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なぜスイカ?

文・ひろこ

パレスチナを支える活動をする人たちの中で、スイカのマークを使っている人や、スイカグッズを持っている人を見かけませんか?

私も最初はなぜかなと思ったのですが、以下の記事を見て、なるほどと思いました。

以下、nprという、アメリカの記事サイトの翻訳、まとめです。
https://www.npr.org/2024/01/08/1222718339/why-watermelons-are-symbol-of-palestinian-solidarity#:~:text=7%20Hamas%2Dled%20attacks%2C%20which,colors%20match%20the%20Palestinian%20flag.

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1967年のアラブ・イスラエル戦争(第3次中東戦争)後、イスラエルではパレスチナ国旗を公に掲げることが禁止され、国旗やその色を掲げた者は逮捕された。

この禁止令は1993年のオスロ合意で解除されたが、イスラエルの新しい極右国家安全保障大臣イタマール・ベン・グヴィールは2023年、公共の場に掲げられたパレスチナ国旗の撤去を命じた。

パレスチナの歴史におけるスイカのシンボルの正確な歴史は、地元でも普遍的にも合意されているわけではないが、著名なパレスチナ人アーティスト、スリマン・マンスールによれば、スイカとパレスチナ国旗とのつながりのアイデアは、1980年代に彼のギャラリーを検閲しようとしていたイスラエル軍兵士から得たものだという。

マンスール氏(@Sliman Mansour インスタグラムより)

彼のギャラリーを検閲したイスラエル兵士は、マンスール氏に対して、「赤、緑、黒、白で描くことは許されない。これらはパレスチナの国旗の色だから」と命令した。

マンスール氏は、この禁止令がさらなる抵抗を呼び起こしただけだと説明した。

マンスール氏の芸術は当初、パレスチナ文化を表現し、政治性を排除することを意図していた。彼はオリーブ畑の風景や、畑で働くパレスチナ人の姿を描いた。

マンスール氏の作品(@Sliman Mansour インスタグラムより)

しかし、その後、マンスール氏はイスラエル政府高官に拘束され、尋問されたとNPR(この記事を書いた記者)に語った。

「尋問を受け、頭に袋をかぶせられ、両手に手錠をかけられ、食べ物も飲み物も何もなしで24時間立たされたことで、多くのことを学びました」

マンスールはその後、スイカやその他の政治的アートを描き始めた。

アーティストや活動家たちはマンスールの物語からインスピレーションを得て、スイカをアイデンティティと抵抗のシンボルとして使い始めた。パレスチナ人とその支援者たちは、抗議のしるしとしてスイカの輪切りを持ち歩くようになった。

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記事のまとめは以上です。
情報リソースがオンライン記事なので、どこまで本当か判別に難しいですが、歴史的に国旗が禁止されたことや、2023年にはイスラエルの公の場で国旗を掲げることを再度禁止する動きもありました。
(「イスラエルのベン・グビール、公の場でパレスチナ国旗の掲揚を禁止」
https://www.arabnews.jp/article/middle-east/article_83413/
注:ベン・グビールとは、イスラエルの国家安全保障大臣で極右政党の党首)


スイカといえば、ヨルダンに限らず、中東ではスイカは安くて美味しい果物です。ヨルダンにいた頃は1玉500円ぐらいで買っていました。
といっても、中東では、1玉いくらではなく、1kgいくらなので、スイカの大きさによって値段が変わるので、その時によって値段もまちまちなのですが…。
スーパーや八百屋でも売っていますが、夏になると道端や家の近所にスイカを積んだトラックがやってきて、その場で計り売りしたりもします。

スイカを売りにくるトラック。地面にある測りを使って売る。

日本のスイカとは違って、楕円形です。
味はとても甘くておいしいです。
日本と比べてだいぶ安いので、シーズンになるとスイカを買って絞って生スイカジュースを楽しんだりもできます。

パレスチナにもきっと美味しいスイカがたくさんあるはずなので、いつか食べに行きたいです。

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