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昨日の敵は今日の友

同業他社、もっといえばライバル企業のある男からメールが届いた。商売仇などと言っても一回りも二回りも年の違う相手である。

「一身上の都合ですが、自分の可能性を試したく退社することになりました。いままで大変お世話になりました」などという事が書いてある。

お世話なんかしたつもりはないが、そうか、辞めるのか。あいつは年の頃なら30代前後だろうか。もしも俺がものすごーく若い時に子供を作っているとすれば、もしかしたら息子ということもあるかも知れない年齢である。見た目は今時の若者っぽいところもあるが、爽やかで礼儀正しく、いつの間にかなんとなく顔を合わせれば話をするようになっていた。

「そうか...」俺はキーボードの上の手を止めてそいつと初めて話した時の事を思い出していた。

それまであまり国内で顔を合わせたことはなかったと思うが、何度か海外の出張先ですれ違いなんとなく顔だけは見覚えがあった。欧米の学会やその併設展示会などで見かけていたのだろう。やはり同国人なので海外の集まりで何度かすれ違うと印象に残るものだ。

そんなある日の事である。今でも良く覚えているが、俺がどこかの国の何かの懇親会のような場で異国人と立ち話をしている時に、そいつは遠慮がちに自己紹介しながら話に加わってきたのである。

その時に、まず「いいね!」と思った点が二点。

(1)若いのに、ライバル会社のおじちゃん(俺)に積極的に話かけてきた点
(2)俺が異国人と話をしている最中だったので、日本語ではなく英語で話かけてきた点

これがおじちゃんの心の琴線に触れたのだった。特に(2)に関してである。

こういう場面で「ちょっとよろしいでしょうか」などと言いながら日本語で話しかけてくる人もいる。時にはもう最初から名刺を出して日本風挨拶で迫って来る人なんかもたまにいる。

そうするとそれまで立ち話していた相手は「お、日本人同士で仕事の話かな、邪魔しちゃ悪いな、ていうか俺日本語わかんないし」と思うのであろう、気を使って、 Well, I might go grab something. Nice talking with you.(ちょっと何か料理を覗いてきます。お話できて良かったです)なんていいながら別の方に行っちゃたりするのである。
「あらら、せっかく盛り上がってきたとこだったのになあ」なんて思っちゃう瞬間である(盛り上がっていると言っても大体くだらない話題なのだが)。

もちろん、日本人同士なので日本語で話しかける方が自然と言えば自然な訳で、それをとやかく言うつもりはさらさらないのである。
しかしその時、若いあいつが、一応俺と話をしている異国人に気を使って英語で話に交わろうとしてきたところに「おっ、見所あるな!」と感じたのである。

そしてしばらくは三人で英語で話をしていた訳であるが、その後、その異国人が飲み物を取りに行って、我々二人になったところで遠慮がちに日本語で話し始めたのである。
礼儀正しいちゃんとした日本語である。そして、なんかちょっとした緊張感も感じられた。初対面のライバル会社のおじちゃんと話をしているからだろう、「私、ちょっと気張ってます」と言うのが伝わってくるのである。

俺は、そいつが一生懸命話す姿を正面からまじまじと眺めてみた。

まず俺よりウェストが細い。そして顔が小さい。そして俺より背が高い。目鼻立ちがはっきりしている。俺より肌に張りがある。そして俺より毛が多い。そんな感じである。上等である。

でも、俺も負けていない。俺の方が顔が光って輝いている。俺の方が体全体に均等にアブラがのっており体の曲線が美しい。俺の方が毛穴がはっきりしている。俺の方が頬骨が高く、指も太い。

まあ勝負は五分五分と言えよう。とにかく負けてはいない。

それはともかく、その日は当たり触りのない業界話で終わったように思うがその日をきっかけに色々と話をするようになったのだ。

そして、ある時どこかで顔を合わせた時のことである。「自社で出す予定の新製品を、ある人に是非見てもらい意見を聞きたいのだが実はツテがないので、どうしたらいいか考えている」というような事を何故か俺に話すのである。俺は(おいおい、俺、競合の人間だぞ)と思う一方で、何とも素直なやつだなと改めて思ったのだった。

その「ある人」というのは、言わば業界の美輪明宏的な重鎮なのだが、俺は知り合いだったので後日紹介してあげたのだった。その時、そいつにはとても感謝されたのである。

俺は元来そんなに親切なタイプではないのだが、何故競合他社の男にそんな重要なキーマンを紹介したのか! その理由は単純である。そんな小細工なしの直球を投げられたのは久しぶりで新鮮だったのである。

俺は、そいつの会社の人間は何人か知っていたが総じて波長が合わなかった。しかし、ある日突然現れた若いそいつはなんか結構可愛かったのである。やつは初めて会った時から謙虚で真っ直ぐだった。某テニス解説者のような火傷しそうな熱さではないが、じんわりとした熱さが伝わってくるようだった。

***

それはさておき、転職するとなると放って置く訳にはいくまい。俺は早速電話をして見た。聞いてみると思うところあって別業界に転職するのだという。となるとあまり会う機会もなくなるだろう。

俺は「ずっといつか飯を食いに行こうといいながら遅くなってしまって申し訳ないが、時間があればどうか」と誘って見た。やつは「喜んで」と二つ返事で応えてくれた。退職の日まで挨拶回りや引継ぎがびっしりと詰まっているようだったがお互い都合の良い日程を調整した。

***

そして約束の日になった。夕方にブーンブーンと震える携帯を見ると、そいつのメッセージが届いていた。

18:49 [結構早く用事がかたづきました。もしご都合が良ければ早くうかがうことも可能です]

俺は返事を返した。

18:52 [おお、良かったですね。私も出ようと思えばでられます。今、どこですか?]
18:53 [もう、京橋にいます。でもこの辺りはあまりわからないのですが大きな時計のあるビルが見えます]
18:55 [ああ、判りました。その時計のビルでお茶でも飲んでいて下さい。直ぐに仕事を片付けて向かいますので]
18:55 [了解しました。お待ちしてます]

俺は何本か電話の用事を済ませると、上着を着てそのビルに向かった。

19:20 [今、向かってます。多分5分くらいでそちらに着きます。どこの店にいますか?]
19:21 [それではビルの前に出てお待ちしています]

店の名前を教えてくれればそこに行くのに。今日もやつは礼儀正しかった。

ビルが見えてきた。やがてビルの前に立っているやつの姿が見えた。俺がビルの前に近づいて行くと、やつはスーツケース(機内持ち込みサイズの車輪のついたあれ)を持っているのにそれをゴロゴロと引きずりながら事もあろうに俺に向かって走ってきたのである。そこで待ってりゃいいのに。

なんだか、その姿を見て俺も嬉しくなって、いい年をして走りだしそうになったが、そこは「おじちゃん」である。グッと堪えたのだが、それでも幾分早足になってしまった。

やつは俺の目の前まで来ると「忙しいところ申し訳ありません!」と礼儀正しく頭を下げて、いつもの青竹の匂いがしてくるような爽やかな笑顔を俺に向けた。

何が食いたいか聞くと、腹に手を当てて「実は時間がなくて昼抜いたので、なんでも美味しく食えます。しかも飲む気満々です。」と模範回答が返ってきた。そうこなくてはいけない。俺はすぐ近くに良く行くイタリア居酒屋みたいな店があるのでそこに行こうと誘った。

店に向かって並んで歩きながら、「このたび可能性を試したく退社することとなりましたって?」とちょっと冗談ぽく話を振って見た。

するとやつは少し恥ずかしそうに目を伏せてから、ふいにこちらに顔を向け「そうなんです」となんだか嬉しそうな声で言った。

やつはスーツケースをゴロゴロと引きながら、誰でも知っている大きな日本の会社の名前を挙げた。それが転職先だと言う。確かに堅い企業だが意外だった。そいつが今いる外資の会社よりはまず待遇が落ちるだろう。俺は後でゆっくり話を聞くことにした。夜は長いのだ。

店につくと髭をそったばかりの任天堂マリオのようなポッチャリ伊達男のウェイターが俺たちを窓際の眺めの良いテーブルに案内してくれた。「ごゆっくりどうぞ」と腰に布を巻いたマリオは言った。

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やつは「いいお店ですね」と言った。
それを聞いた俺は「やっと実現しましたね」と言ったのだった。

実は昔に海外でばったり会った時に「今晩予定がなければ飲みましょう」などと待ち合わせ場所まで決めたのに、その夜お互い仕事が入り流れてしまったことがあったのだ。「じゃまたいつか」などと言いながらそれからもう何年も経っていた。

やつは「今日はたくさん飲む気で来ました」と言った。俺も「よーし、そうしましょう」と答えながら、暑かったので上着を脱いで腕まくりをした。やつはそれをどうとったのか、「うわ、お手柔らかに。でも今日は私も負けませんよ」と言って笑った。金曜日だし、都内のホテルに泊まりなので時間無制限デスマッチで飲めるという。

そこは何を食べても美味しい店なのだった。いちいち料理を頼むのも面倒なのでコースを頼み、ビールは省略してワインから飲み始めた。

これまではお互いの立場もあり、「言っちゃいけないこと」や「言わない方が良いこと」にフィルターをかけながら話をしていたが、もうその必要もないと思うと気が楽だった。

俺が新しい会社で何をするのか聞くと、やつは「実は日本人として日本の技術を海外に売り込む仕事がずっとしたかった」のだという。

「今は行きがかり上、海外の技術や製品を日本で販売する仕事をしているが、既に出来上がった仕組みの中で役割が決まっていて、続けていてもこの先それほど大きな変化がないように感じた」のだと言う。

そして、「年齢的にも人生のこの時期にやっていることが今後の自分の柱になるだろうから、今がやりたい仕事にシフトする最後のチャンスだと思った」というようなことを言うのである。

「そこで色々探して見たところ、目の前の待遇は落ちるが長い目で自分の成長を見据えて今回の選択肢をとった。すでに海外のある国に駐在して事業の立ち上げに携わることも決まっている」という。

それを聞きながら同年代の頃の自分と比べていた俺の頭の中では、「なんつー、しっかりした30歳なのねーん」という感じの台詞がエコーがかかって鳴り響いていた。しかしいくらフィルターをかけずにしゃべると言ってもそれをそのまま口にするのはさすがにあれである。

俺は少し眼を細めて「それに気づけるかどうかなんだよね...」と低い声で言ったのだった。え、いんちき? そこは大目に見て頂きたい。しかし実際行き当たりばったりで生きてきた俺は非常に感心したのである。

やつはそのうち自分のことを話し始めた。生まれ故郷の瀬戸内の街のこと。片親に育てられたこと。海外で過ごした頃のこと。戻って来て入った会社のこと。前の会社での経験。

俺はやつには似たような匂いを感じていた。俺も、俺がこれまでやってきた事を一通り話した。やつと同じく港町で育ったこと。海外に出て知り合った友達の影響を受けて働きながら学校に行ったこと。いまならもう笑える仕事の失敗談。やつは身を乗り出して聞いてくれた。

やつはもう結婚して子供もいるのだと言った。父親を知らずに育ったので早く家族を作りたかったのだという。子供に対して、自分にもし父親がいたらして欲しかったことを端からしてしまうので、奥さんにはいつも甘やかしすぎだと怒られているといって笑った。子供の写真も見せてもらったが可愛い女の子だった。

途中からは酒を40°くらいのグラッパに切り替えたので急速に酔いが回っていたが話は尽きなかった。同じようなことをしてきているので年代は違っても同窓生と話をしているような感じで打てば響く。

海外での生活の話や、各国民の気質、糊口を凌ぐための怪しいアルバイトの話など、そうそう、あったあった、それそれ、という感じで盛り上がる。そのうちに女性に騙された時の話など、話題もだんだん際どくなっていった。

そこで俺はアジアを担当し始めた頃に危ない目にあった話や、中国系の男に扮するために翡翠の指輪を買ってはめていた話をした。俺はポケットからその指輪を出し、笑いながら俺の話を聞いているヤツの目の前のテーブルの上に置いた。実は俺はオフィスを出る前に何か餞別になるものはないかと探している時にその指輪を見つけ、ふと思い立ち持参したのだった。

迷惑だろうなとも思ったが、酔っていたのと年の離れた弟を海外に見送るような気分になっていたことも相まって、お守りになるかも知れないと言いながら渡すと、やつは目の前にかざして眺め「ご利益ありそうですね。じゃ、お借りします」と言いスーツの内ポケットにしまったのだった。

もう終電の時間は過ぎていた。やつはホテルに戻るだけなので場所を変えて飲みなおすことにした。酔い覚ましに外に出ると大きな月がでていた。そこからはもう二人とも出来上がっていてここには書けないような話もしたような気がするが記憶の遠い彼方である。そしてあっと言う間に三軒目である。騒がしい店だった。

俺はそこで、「これからは、競合でも業界の先輩でもないので、対等な友人として付き合って行きましょう」とやつに言った。やつは聞こえたのか聞こえなかったのか何も答えずに俺の顔を見ると微笑んだ。

こんなに遅くまで飲んだのは久しぶりだった。俺たちは一緒にタクシーに乗り、やつのホテルに向かった。車はホテルについた。俺はやつに体に気をつけるように伝え握手をして別れた。クルマの中で振り向くとやつはホテルの前に立ってまだこちらを見ていた。

タクシーは首都高に乗った。もうこの時間になるとガラガラである。高速に乗ったとたん運転手は何に挑戦しているのかと思うくらい飛ばし始めた。俺は酔っていたので「まあ、いいか」と思い、窓の外のネオンを眺めながらやつと話したことを思い出していた。

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ブーン、ブーン

携帯電話を見るとヤツからのメッセージが届いていた。

3:40 [今日はすっかりごちそうになってしまい申し訳ありませんでした。本当に楽しい時間をすごすことができました!]
3:55 [遅くまで付き合わせてすいませんでした。こちらこそ楽しい時間をすごさせてもらいありがとうございました。今後のご活躍を心からお祈りしています。それから、今後は対等の友人として付き合ってもらえればと思いますので宜しくお願いします]

俺はさっき聞こえていなかったようだったメッセージをもう一度そこに書いた。しばらくするとやつから返事が返ってきた。

4:10 [そう言っていただき本当に嬉しかったのですが、しばらく揉まれてきます。もう少し大きくなってからお目にかかりますので、その時にまたそう思って頂ければその時はお願いします。今度は私がごちそうしますから(笑)。お体にお気をつけて]

俺は、「わかりました。楽しみにしています。おやすみなさい」と打ち込み送信ボタンを押すとシートによりかかった。
そしてふと思い立ち、携帯の「連絡先」のやつのアドレスを開いて「会社名」を消した。

いつのまにかタクシーはもう高速の出口に近づいてスピードを落としていた。

外に目をやると、空がうっすらと明るくなり始めていた。


(了)

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