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オセロ


小学生の時、祖父とよくオセロで遊んでいた。

囲碁が大好き、ボードゲーム好きな祖父は、もちろんオセロも強かったのに、なぜか私が勝った記憶しかない。(祖父は一人孫の私にめっぽう甘い。)

家庭の方針で、ゲーム機を持っていなかった私ができるゲームといえば、オセロや将棋ぐらいしかなく…. それをひたすらにやっていた記憶がある。

ルールが単純で、小学生の私にも分かりやすく、一度四隅のどれかを取ったら、瞬く間に相手の駒を自分の色にできる。文字通り「白黒」はっきりしていて、勝敗もつく。その単純明快さが好きだった。




就職活動中、SNS上でよく見る言葉。
「20代で成長するには、●●をしないと負け組である」「今は、●●業界に行くのがいい」「●月までに就活を始めなければもう遅い」

そうやって、ただでさえ視野が狭く、まだ何も知らない学生を煽り、そのうえでビジネスにつなげようとする大人たちの言葉。

これで何人の人達が精神的に殺されたんだろうと、強く思う。
みんな、同じ「大学生」といっても、いろんな事情があって生きているのに、一元化することなんて無理なのに。
そういう言葉は容赦なく、心をむしばんでいく。

私は幸いにも、留学しているから普通の就活なんて諦めていたし、休学経験があったからこそ、もう結構イレギュラーケースってわかっていたから、あまり気にしていないマインドでいれたけれど、もちろん辟易もしていた。

私たちは、もれなくオセロの駒のように、黒、白、正、誤、モノクロの世界に連れ去られていくのかもしれない。いや、それはきっととうの前から始まっていたのかもしれない。



でも、私だってそうだった。大学に入学したとき、全然授業で発言しないクラスメイトに「積極性がない」といらだっていた。課題をギリギリにやっていつも低評価をもらっている友達に「計画性がない」と思っていた。
言わなかったけれど。

私はそうならない。私はもっとできる。ああなってはだめだ。
私はそういう人間じゃない。

当時は気づいていなかったけれど、今ならわかる。私はそうやって、自分を正と信じることで、自分を守っていた。自分を鼓舞していた。

私が正と感じることは、きっと世の中でも正で、私が正であり続けることでみんなに認められる。

シロの世界には、シロであることだけが許されると本気で信じていた。

その人たちの、個々の輝きには目も向けずに。個々の声を傾聴せずに。


俗に言う、白黒思考。よく精神医療関連のホームページで見られる言葉。

その名の通り、何事もシロかクロかで判断してしまう思考のこと。実際生きていたら、殆どのことは混沌としていて、グレーゾーンの中にあるのに、なんでもはっきり決めつけないと気が済まない状態のことを指す。

ASD (自閉症スペクトラム障害)の人に見られやすい考え方だと言われているが、それに関係なく私はこの白黒思考にかなり陥りやすいタイプだと思う。(今も、もちろん。)

白か黒かで測れる世界はきっと楽だけれど、きっとつらく、厳しい。
なのにこの思考法をやめられない。
でもそうやって白か黒かで判断してくる周囲の人には苛立つ。
もうオセロのような残酷なゲームをしたくないと思いつつ、結局駒にしかなれない私。ただ「はいはい」と駒になれたらどんなに楽だろうか。

矛盾している自分の声が、思いが、ふつふつと湧き上がって、消えて。
苦しい。苦しい。


「(本名)さん、これやれば、就職に有利ですかね?」
「いつ就活始めればいいんですかね?」

最近そういうことも聞かれることが増えてきた。
そうやって私に真剣に聞いてくれる後輩に、私はなんて返してあげればいいんだろう。

ここで、白黒の世界で強く生きていく先輩を演じるべきなんだろうか。
私は、そうやって大人になるんだろうか。

相手が求めている回答が分かっているからこそ、やるせなく成ってしまう。


私のキャリアについて、一緒に考えてくれているアドバイザーの方が言ってくれたこと。

「本当は自分でやりたいことがあって、でも今やりたいことがすぐにできるかわからなくて、見通しもなくて。自分と同じような困難があった若者を救いたいけど、まず自分の奨学金も返さなきゃいけない、現実問題お金がない。働かなくちゃいけない。スウェーデンで院に進学したい。いつか住みたい。だけど今は学問じゃなくて、まず就職しなきゃいけない、つらい、つらい、つらい。」

そういう現実を全部絶望だと捉えている私に、はっきりと

「今回の(就活)意思決定ですべての正解を出そうとしなくていいんですよ。今たぶん沢山疑問もある、不安もあるけど、それを全部解消するのはたぶん無理だと思います。期限だけ決めておいて、これからひとつひとつ解消していけばいいんです。」

「きっと、(本名)さんの考えていること、興味のある事は将来繋がってきます。可能性があります。だからこそ、今はどこで働きたいか、どんな人と仕事をしたいか、で選んでみてもいいんじゃないでしょうか。」

そうだ。そうなんだ。私の生き方は一本道でも何でもなくて、ゆらゆら、いろんな風に、雨に、ぶつかりながら、でもその都度広がっていくんだ。
いま靄の中にいて、でも、なんとなく道を歩いていくんだ
、それは暗黒ではないんだ。だいじょうぶ、大丈夫。終わらない、終わりじゃない。

ただ辛い、はっきりしないことがつらい。
でも私たちの人生は、オセロではない。
目に見えない誰かに、オセロゲームの駒にされてしまう前に。
いまを、どうやって歩いていけるだろうか。


●●すると、すべてが終わるなんてことはない。でもそう思ってしまう。
正解を急いで、焦って、悩んで。
少しでも、自分は「シロ」でいたい。

もし私と同じように、そう考えてしまう人がいれば、一緒に混沌とした人生を、わからないままに歩んでいけるようになりたいと言いたい。
私は後輩になんて言えるだろうか。一緒に歩こうって、言えるだろうか。
後輩だけじゃない、そういう人たちと寄り添い合って生きていけるだろうか。




おじいちゃん、私はもうおじいちゃんに手加減されなくても、きっと大丈夫。躓きながら、泣きながら、少しずつ強くなっていってるんだと思うよ。

大きくなったよ。















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