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蜘蛛の糸

 生温かく赤黒いねっとりとした液体の中を漂いながら見上げると、上空は重く厚い雲に覆われ、陽光は微塵も窺えない。ここはどこだ?  黄から赤信号に変わった瞬間、交差点でトラックが右から突っ込んできたのは憶えている。俺の軽自動車は簡単に撥ね跳んで横転し、歪んだ車体フレームが俺の躰を圧し潰して鮮血が噴出し視野を真っ赤に染めた。直後、激痛が来たがすぐに意識がなくなった。  気がつくと、闇の中で粘り気のある重い液体に浮かんでいた。液体からかろうじて顔だけが突き出ていた。濃厚な鼻を刺す鉄分

    • 悩むよりまずはクリニック

      「この歳で切除とは珍しいですね。よく思春期に受験勉強の妨げになるからと、親御さんがお子さんを手術に連れて来られることが多いんですが」  四十代半ばぐらいに見える彫の深い顔立ちで恰幅のいい医師が、しげしげと私の方を眺めながら言った。私は気恥ずかしさを憶えて、視線を医師の目線から外して下に落とした。白衣の下に薄ピンクのシャツを着ているのが透けて見えて、なぜか目が離せない。 「なにか今頃、切除しないといけないようなことがあったんですか」 「いや、そういう訳では」咄嗟に言ってしまう。

      • スウェーデンの林

         増雄は妻や息子たちを連れて郊外の遊園地に来た。ここまで背負ってきた息子は、地面に降ろすや否やメリーゴーランドを見つけて一目散に駆けて行った。妻が慌てて後ろ姿に向かって、気をつけるのよと声を掛けている。  彼は妻と一緒にベンチに腰を降ろした。  遠くからジェットコースターが走り抜ける轟音に悲鳴と歓声が入り混じって聞こえてくる。増雄は、ベビーカーを並んで押す若い夫婦や手を繋いだ恋人たちが行き交う光景をぼんやりと見ていた。  向こうに見える回転するティーカップの中に、ふと、短髪で

        • 車椅子ランナーの・・・

           正直、自分に関係することとは思っていなかった。ロスでの試合中継は見ていたが、普通に地球人を応援する一員としてだった。画面の中で、屈強な筋骨逞しい体格の選手が、走る岩石の塊に吹き飛ばされた。その岩石から、ごつごつした腕が伸びると落ちたボールを拾いあげ、転がるようにコートをあっと言う間に駆け抜けた。 「トライ!」審判の声に地球側の応援団から悲鳴と絶望の叫びが上がった。  突然、スマホから今まで聞いたことのない非常用音声が流れた。警告音の後、音声が流れた。「こちらは国際スポーツ連

          この世には地雷というものが存在する(BFC4落選作)

           この世には地雷というものが存在することを知ったのは、公共系機関に勤める藤野が勤務八年目、J課に異動になった年だった。 「Sさん、この助成金の計算、たぶん違うと思うよ」と軽くSに言ったことがきっかけだった。広くはないフロアに机が島状に並び、二つ向こうの席の彼女に声を掛けた。前年から主任になった藤野としては、注意も職務の内なものの、呼びつけるのは威圧的な気がして、柔らかい雰囲気で言ったつもりだったが、周囲の空気が緊張した気がした。Sはいきなり立ち上がってやって来て、ひったくるよ

          この世には地雷というものが存在する(BFC4落選作)

          小説変態化光線を撃滅せよ!

           ウィーン、ウィーン。平成な警告音が書店内に鳴り響いた。 「探知システム反応、ゴールド。小説変態化光線、来ます!」「襲来予測地点は?」「〇〇市立図書館です」「よし、出撃だ」  そう指示を出したのは、昨年、小説変態化光線に蹂躙された大型書店の店長だった。そう呼ばれる謎の光線を浴びた書籍は、その小説をもとに異形の姿に変容し、見るも無残で醜悪な姿に実体化する。彼の店の本は『ゲソ戦記』『炊いたんの幼女』『現場対戦』(あるいは『真現場対戦』『新現場対戦』)『バァさんがー 皆殺し軍団』な

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          果樹園は海底にたゆたう

          (お願い:小さい2が表示できないため二酸化炭素をCO2と表示しています)  市議会から戻った母さんが、そのまま僕の部屋に入って来た。 「侑司、そろそろ、あなたもチョウチン鮫狩りに行く?」  母さんに突然そう言われて咄嗟に意味がわからなかった。しばらくしてその意味に気付くと、あまりに嬉しさに飛び上がりそうになった。 「本当?」  部屋は、天井に植え込まれている発光苔だけの灯りだけで薄暗く、母さんの顔つきもよく見えたわけではなかったけど、決して甘い表情なんかではないことは想像が

          果樹園は海底にたゆたう

          屋敷ヤドカリの島と、届いたあるいは届かなかった便りについて

           屋敷ヤドカリのことは汐楼本島の民なら知らない者はいない。これは小さな木製の舟しかなかった百年も前の話。  本島の北には紅帆島、紫帆島、黒凪島という三つの島があり、今でこそ大型船で結ばれているが、当時は速く急な潮流で遮られ舟で行き交うことはできなかった。あるひとつの方法を除いては。                              *   汐楼本島南側の穏やかな海に面して真っ白な砂浜が見渡す限り広がり、透明な水が陽光を反射させながら繰り返し波打ち際に打ち寄せる。

          屋敷ヤドカリの島と、届いたあるいは届かなかった便りについて

          銀河鉄道の真夜中(ブンゲイファイトクラブ3落選作)

          「青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。」  僕は『銀河鉄道の夜』を枕元に置くと、ぼんやりと天井を見上げた。今日、学校で課題図書として感想文の宿題が出た。期限は金曜日までなので、あと三日あるけど家に帰ってきてから一気に読んだ。表紙は少年の姿を描いたきれいなアニメの絵で、題名も銀河鉄道というぐらいだから、銀河を駆けるカッコいい話だと思っていたら、案外、地味で冒険も何もない話だったけど、ひと

          銀河鉄道の真夜中(ブンゲイファイトクラブ3落選作)

          脅威!小説変態化光線

           ビー、ビー、ビー。昭和な警告音が書店内に鳴り響いた。 「げっ! 早期警戒システムに反応あり。小説変態化光線警報です!」 「まさか、この三十年、何もなかったのに」 「間違いありません。まもなくこの書店に変態化光線が降り注いできます」 「気をつけろ。醜悪に変態した本の内容が出現してくるぞ。まずお客様を避難させるんだ」  この事態に対処できるよう、毎年秘密訓練を受けてきた店長がてきぱきと指示を下していく。  世界中の書店員や図書館員だけに秘密裡に知らされている恐るべき脅威。それが

          脅威!小説変態化光線

          朱く、赤く、紅く、そして

          「準決勝戦のテーマを発表します。テーマは合戦」  観覧システムに接続された観客から「おおっ」と心のどよめきが上がった。 「なんとかなるな」  仮想空間の漆黒の闇の中に浮んだ、みさき先輩が頷くのが見えた。本当なら闇の中の動作は見えないはずだが、見えたかのように認識されてしまうのが表象VRの特徴。三組のペアで戦うルール。僕は残る対戦相手を見た。  先鋭科技高校科学部を始めとする六組一二人。三年と二年の女子ペアの美麗女子学院と僕達を除けば、どこも二年生の同性二人。まぁ普通そう。五回

          朱く、赤く、紅く、そして

          「サンゲツ機」 (ブンゲイファイトクラブ2落選作)

           文部科学省は大学入試センター試験の改革を進め、新テストとして思考力、論理力を問う記述式問題の導入を決定した。しかし障害となったのが五〇万人もの受験者の記述回答の採点をどうするかということであった。そこで文科省は採点用AIの開発を開始した。  民間のエンジニアであった私は、全く縁のない大学入試センターからの突然の電話に戸惑った。すぐにセンターに来てほしいと言う。訳のわからないまま到着すると、他にも十数名の人間がおり、流されるように守秘義務の誓約書に捺印した後、システム制

          「サンゲツ機」 (ブンゲイファイトクラブ2落選作)