車椅子ランナーの・・・
正直、自分に関係することとは思っていなかった。ロスでの試合中継は見ていたが、普通に地球人を応援する一員としてだった。画面の中で、屈強な筋骨逞しい体格の選手が、走る岩石の塊に吹き飛ばされた。その岩石から、ごつごつした腕が伸びると落ちたボールを拾いあげ、転がるようにコートをあっと言う間に駆け抜けた。
「トライ!」審判の声に地球側の応援団から悲鳴と絶望の叫びが上がった。
突然、スマホから今まで聞いたことのない非常用音声が流れた。警告音の後、音声が流れた。「こちらは国際スポーツ連盟緊急対策本部。君にすぐに来てほしい。一時間後に迎えのヘリを派遣する」
画面表示された発信元にも確かに国際スポーツ連盟緊急対策本部(公式)とある。悪戯ではなさそうだ。なんだ、これは。確かに俺はマラソンはやっているが、連盟本部から連絡が来るような、心当たりは毛頭ない。
事態を理解できず混乱していると扉が激しく叩かれた。マンションの前の道路にヘリが停まっている。
「機内で説明します。乗ってください」黒服の男が許可もなく入ってくると、質問の余裕もなく俺の車椅子を押してヘリに架けられたスロープを昇った。
機内には、車椅子の人間がもう一人いた。「リックじゃないか」「なんだ、お前もか」周囲を黒服の人間が固めている。「空港までお送りします。そこから専用機でロスへ向かいます」
ロス? 壁際の緩衝装置に車椅子ががちりと固定される。固定されたのを確認し周囲の人間も座席につく。
「今更、説明の必要もないと思いますが、ドミゴス人との試合は見ているでしょう」
「そりゃそうだろ」
「完敗だったな」リックが言うと男が悲痛な顔をした。
見てない人間はいないだろ。ほとんど地球人は中継される試合経過に釘付けになっている筈だ。地球人の名誉を賭けた試合。第一試合でまさかドミゴスとぶつかるなんて。そもそも地球が銀河知的生命体文明連合からの突然の来訪を受け、国連決議を経て加盟したのはまだ四年前のことだ。
ヘリが空港に到着すると、そのまま抱えられて航空機専用車椅子に移され、ゲートをフリーパスで通過して大型ジェット機に乗せられた。見回すと、他にも多数の車椅子ユーザーや白杖を持った男女が座席に着いている。保安ゲートも税関も素通りだったから、よほどの緊急事態なのか。俺が? 少なくとも観光旅行じゃない。
本来なら映画が流れる前面プロジェクターに、先程のラグビー試合風景の続きが映っていた。例の岩石から長い頑丈な足が伸びると、目にも止まらぬ俊敏さでボールが蹴り出された。ゴールポストの真ん中を一直線に飛び抜けると、遥か先の観客席の壁にめり込んだ。桁違いなパワーのゴールキックだった。希望が潰えていった。
試合終了のホイッスル。画面のテロップは地球対ドミゴスの二二四対〇の惨敗を告げていた。観客席から絶望の慟哭が湧き起こった。実況アナウンサーも解説者も言葉を失い唸り声を漏らすばかりだった。機内でも呻き声が上がったが、リーダー格の女性が立ち上がり睥睨すると、すぐに沈着な雰囲気に戻った。彼女の胸に緊急対策本部長という名札がちらりと見えた。
ただ、俺は冷静に頭を巡らしていた。全身が硬い岩石状の皮膚で覆われたドミゴス人に、いくら頑強な体格でも地球のラグビー選手がタックルやスクラムで歯が立つわけがなかった。昨日はマラソンだった。ドミゴスはラグビー選手とは違ってマラソンには軽い木のような体軀の選手が出場していた。脚も二メートル以上あり歩幅がまるで違った。軽快に飛ぶように駆けるドミゴス選手には、数キロもの差を開けられた。
さすがに身体条件の違いに地球側も抗議したが、銀河知的生命体スポーツ連盟の憲章では気体生命体部門、電気生命体部門などの種別はあっても、ミドル級ヒューマノイド部門では地球人とドミゴス人は同種別との判定であった。ドミゴス人が岩石状だったり木のようだったりするのは、同じ惑星出身だが、大陸ごとに大きく生育環境が違い、周囲の環境を身体に取り込んで進化、分化した結果であり、人類でも人種ごとの特性があるのと同一との審査結果であった。
中継では次のサッカーの試合が開始された。ホイッスルが鳴り、ボールの激しい奪い合いが展開された。突然、ドミゴス選手から黒い霧状の気体が吐き出され、瞬く間にサッカー場を覆い尽くした。この人種のドミゴス人は黒い粒子が充満した洞窟内で生活しており、普通に呼吸する空気が黒い霧状で、息をすることで空中に広がっていったのだ。たちまちピッチ内は何も見えなくなった。それでも普段から黒霧の中の暗闇で生活しているドミゴス人は、ボールが見えないながらも探り当て、ドリブルからパス、シュートへと繋げていった。
「ゴール!」地球人には何も見えないうちに、ゴールが立て続けに決められた。何度もゴールに蹴り込まれるボール。気付けば試合終了のホイッスルが鳴らされていた。ロスタイムすらなかった。
最初の三試合は全敗となった。あと三試合あるが、これまでの試合展開を見ていると絶望と悲嘆しか湧いてこなかった。銀河知的生命体連盟のスポーツ憲章では、他種族に試合を挑まれた場合、必ず応じなくてはならない。その代わり競技種目は防衛側が選択できる。このスポーツ制度は太古の宇宙戦争の名残という説もあって、試合での勝利は至上の名誉とされていた。敗れても物理的不利益はないが、知的生命体の中では最大の不名誉と恥辱と思われており、各種族は絶対に負けられないと考えていた。もちろん地球人も。
中継が終了したところで緊急対策本部長が立ち上がった。
「残念だけど予想どおりの結果。でもこれを見て。昨日のマラソンの後にあった出来事の記録」
競技場の中央に、一抱えほどある虹色の鉱物が載った装置が鎮座し、内部では彩やかな光が明滅していていた。
「ボキサイド結晶生命体で、この競技全般の審判団をしている」
結晶生命体に、とことこと歩み寄った少女がいた。まさか近寄る人間などいないと油断して、ろくに警備もされていなかった。
少女が尋ねた。「地球の競技だったら何でもいいんでしょ。だったらパラスポーツは駄目なの?」
突然の事態に地球の役員が慌てて駆け寄るのに、結晶生命体はこう告げた。
「もちろん、スポーツなら何でも大丈夫だよ」
「これを見て勝つヒントが浮かんだ。競技種目は防衛側が指定できるから、地球側はマラソン、ラグビー、サッカーを指定した。で、全敗。そこでだ、次は車椅子ラグビー、ブラインドサッカー、車椅子マラソンを指定する」
「そこで君たちパラスポーツの優勝経験選手の出番になったのだ。ぜひとも地球の名誉を賭けて戦ってくれ」
ようやく納得できた。車椅子マラソンの選手のリックや俺が呼ばれたわけが。
俺たちは専用機から降りると、また介護者の手によってヘリに乗り換え、ロスの競技場へ向かわされた。競技場に隣接した駐機場に着陸すると、恰幅のいい人間たちに抱えられて、マラソン競技用の車椅子に乗せられた。手荒な扱いからすると介護士ではないな。海兵隊員か。
翌日は車椅子ラグビーから開始された。ドミゴス人の頑強な岩石の体が激突したが、鉄板を貼った競技用車椅子は衝撃に耐えた。地球選手が闘志を滾らせ果敢に突進し返すと、衝撃でドミゴス選手が吹き飛ばされた。
競技場にガツン、ガツンと激しい激突音が鳴り響き、火花が散った。ボールを持った車椅子選手がラインを突破した。「ウォー!」
互いに満身創痍になりながら、地球人側がなんとか勝利した。
続いて、ブラインドサッカーの試合が開始された。昨日と同様に黒い霧がピッチを覆った。地球選手は動じることなくピッチに散らばり、ボールの音に耳を澄ませた。ドミゴス人がボールを蹴る音がすると、すかさず最も近い選手が食いつき、巧みにボールを奪うと、的確にパスを回した。ゴール前の選手がキャッチして素早くシュート、「ゴール!」
気付けば、サッカーも地球人側が勝利していた。スタジアムは地球の歓喜の雄叫びに包まれた。
「これが最後の勝負だな。お互い頑張ろうぜ」車椅子マラソン世界優勝者のリックが拳を突き出してきた。俺はがっちりと拳を合わせた。
車椅子ラグビー、ブラインドサッカーと勝利し二対三と追いついた。車椅子マラソンで勝つと同点になり、同点の場合は防衛側の勝利、つまり地球側の勝ちになる。マラソンの点数は一位から順に三点、二点、一点の合計点で競われる。同点なら総合得点には加算されない。つまりこのマラソンこそが勝負の分かれ目になる。
パン! マラソンが開始された。最初の十キロは緩やかな下り坂だった。腕の力で初速をつけて車輪に加速を与えると、そのまま前傾姿勢でフレームに体重を預け重力に任せて駆けた。車椅子が有利に働いて、ドミゴスを引き離していく。勾配が終わり上り坂になると、一転、忍耐勝負になる。このために鍛えた腕の力を振り絞りグローブからハンドリムに注ぎ込む。頭が真っ白になる。
前方でリックが一位でゴールするのが見えた。すぐ後ろにドミゴス選手が滑り込む。勝敗は三位をどちらが取るかになった。俺はスタジアムに入った。すぐ後ろをドミゴス選手がぴったりと付いてくる。ラストスパート勝負か。俺はハンドリムに残った渾身の力を叩き込んだ。ドミゴス選手との距離が開くのが目の端に見えた。勝てる。観客席から大歓声が上がる。
なぜ突然、そんな以前のことが浮かんだのか。手を挙げても何台も通り過ぎていくタクシー、脇をすり抜け我先にエレベーターに乗り込む人々、SNSのバリアフリーの要望に連なる見ず知らずのアカウントのリプ「我儘言うな」
腕から力が抜けた。競技場から俺の名を連呼する声が聞こえる。ゴールは目前。もう何もわからない。
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