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「元の生活」に囚われず、柔軟でありつづけたい

職場に行かないと仕事にならない。顔を合わせないと楽しい時間を共有できない。

そう思って、会うことに固執していませんか?

リモートワークができないなんて時代遅れ。今は人に会えないのは仕方がない、またいつか。

そう思って、会わないことに固執していませんか?


「出かけないとやってられない」という人も、「今は我慢しなきゃいけない」という人も、表に出てくる行動が違うだけで、元は同じな気がします。

コロナ前の生活と今を比べて、今はつらいと思っている。

コロナ前の毎日はよかった、あの頃に戻りたい、変わりたくないという気持ちがどこかにある。


では、今我慢すれば、私たちは「元の生活」に戻れるのでしょうか?


私は、ワクチンが広まったり、医療体制が今より改善したとしても、コロナ前の生活には戻れないと思っています。

今我慢することは無意味だ、自粛をやめて自由に外出や外食をしよう、と言いたいわけではありません。

人々が自由に動くことで感染に歯止めがきかなくなったら、救えるはずの命が救えなくなるかもしれない。それが自分や親しい人である可能性は0ではないわけだから、協力しあって人の流れを減らすことは必要だと私は思います。


でも、いつ来るのか、本当に来るのかも分からない「元の生活」を夢見て、ただ我慢をするだけでいいのでしょうか?

「元の生活」のままの思考や行動を、ただ続けるだけでいいのでしょうか?


できない言い訳を並べるのではなく、どうやったらできるかを考える。

本当に大切なことは何か、何のためにそれをするのかを考える。

人との交流を楽しみたいなら、直接会わずにどれだけ楽しく距離を縮められるのか、みんなでわいわい実験してみてもいい。感染リスクの低い会い方や遊び方を、お店や主催者任せにせず自分たちで考えてみてもいい。

今求められているのは、物事の本質をとらえ、柔軟に行動を変えていくことじゃないかと思います。


いつもよりきつめの文章になってしまいましたが、自分自身、「コロナだから仕方ない」と思ってしまうこともあります。

3度目の緊急事態宣言下、柔軟に変わっていける人でいようという自戒も込めて。

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