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「普通」からは逃れられないけど、距離感は自分で決められる

「普通ってなんだ?」をテーマに、グループでzoomを活用したオリジナルの寸劇を作り、オンライン上で発表する「Cplus」というプログラムに参加しています。
プログラム終了までの間、このテーマについて自分自身が考えたこと、仲間たちと話す中で気付いたことをシリーズで書いていきます。

第4回は、「普通」との付き合い方について。


普通に対するスタンスを図にしてみた

前回の記事では「普通」という言葉を価値観と常識に分けて考えてみました。
個人的には、自分の思っている「普通」とのずれに出会ったとき、個人の価値観の違いであれば割り切って考えやすいです。
厄介なのは、常識である普通との付き合い方。無意識のうちに染まっていることもあるし、同調圧力にさらされることもありがちで、距離を取るのが難しい。

スタンス

図では、「普通」そのものをポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるかを縦軸に、「普通」と向かい合ったときの自分自身の感情を横軸に取っています。
賛否は分かれるけど未だ根強い常識として生きていそうな「結婚することが幸せな生き方である」という例を使って、それぞれの項目を説明していきます。

①普通をポジティブに捉える・気持ちもプラス

「結婚することって幸せだよね!」と思っており、かつその人が既婚者で、幸せな結婚生活をしているのが代表例。

素直に「普通」を肯定できる幸せな状態。ただ、悪意はなく純粋な気持ちから、無自覚に普通を押し付ける危険性もあったりする。

②普通をポジティブに捉える・気持ちはマイナス

結婚することが幸せの形だと思いながらも、心のどこかで自信がなかったり不安がある。「普通の状態でいること」を安心材料として心の支えにしている場合、自尊心を保つためにマウンティングをしてしまう危険性もある。

また、自分が未婚で「普通」に当てはまらない場合、「周りは結婚して幸せになっているのに、自分は売れ残って焦る」と、劣等感に苦しむこともある。

③普通をネガティブに捉える・気持ちもマイナス

「結婚することが幸せという常識を押し付けられ辛い思いをしてきた。そんな考え方なくなってしまえばいいのに」と拒否感を示す人が代表例。

「普通」の枠に押し込められるのが嫌で、普通から離れようとしたり、普通の定義を変えようとしたり必死になりがち。

④普通をネガティブに捉える・気持ちはプラス

「結婚だけが幸せの形じゃない」と考え、前向きに普通から距離を置こうとする人たち。

普通にとらわれずに生きている「つもり」。理由は後述。

⑤普通をニュートラルに捉える

自分もまわりの人もみんなが結婚していく状態。適齢期になれば親が見合い話を持ってきたりして、当然の流れとしてみんなが家庭を持った時代のイメージ。

「普通」は常識としてあるけれど、当たり前すぎて存在を意識しない状態。意識しないがゆえに、「普通」の価値観を疑ったり、何かと比べて相対化することはない。「普通」の概念に心を乱されることもない、とても気楽な状態。

一方で、無意識のうちに「普通」を押し付けてしまい、誰かを苦しめてしまう可能性がある。「普通」が当たり前すぎて、その外に広がる可能性にも気づけないかもしれない。

結局、みんな「普通」の枠の中にいる

①~④の、「普通」をポジティブ/ネガティブに捉え、何らかの感情を抱いている状態。普通を意識していることで、普通に特別な意味を持たせてしまっているように思います。

普通に縛られたくないと思っていること自体、普通に縛られている証拠といえるのではと思うのです。

そういう意味で、⑤のニュートラルは、一見普通に縛られていないようにも思えます。でも、存在を意識していないだけで、実は普通の枠の中にきれいに収まっている。

結局、みんな「普通」の枠の中にいる。


では、完全に「普通」の枠の外にいる場合は?

その「普通」自体を知らなければ、枠から完全に外れることができると思います。

結婚の例だとちょっと想像しづらいので別の例を。

海外の手だけで食事をする文化の中で育っていて、自分の住んでいる村とその周りしか知らない子供。その子は、遠くに日本という国があり、そこではお箸を使って食べることが普通だとは知りません。2本の棒を使って食べ物をつかむなんて想像もしないはずです。

その子は、日本人にとっての「普通」とは全く関係ないところで生きています。

でも、食べ物は手でつかんで味わうという、その子が暮らす世界の中での「普通」がある。

ある「普通」の外にあるのは、別の「普通」なのです。


「普通」からは逃れられないけど、距離感は自分で決められる

ある「普通」を意識してしまった以上、その枠から完全に外に出ることはできないかもしれない。

でも、違う価値観を知ることで、「普通」を相対的なものとして捉え、たくさんある「普通」との距離感を自分で選べるようになるのではないでしょうか?

例えば、「幸せの形は決まっている」「細かいルールをきっちり守らなければならない」という「普通」がある世界から飛び出して、「価値観は人それぞれ」「ルールは最低限」というコミュニティに属した場合。

そのコミュニティは、「異なる価値観を尊重すること」「良識をもって自分で判断すること」が「普通」ということになります。

両方の「普通=常識」を知っていれば、どちらか居心地のいい方を「自分にとっての普通=価値観」として採用することができる。


この世界にはたくさんの普通があって、真逆のことがそれぞれ「普通」として存在していることもよくあります。
そのなかでどれを選ぶかは、自分で決められる。

いろんな価値観を知り、その中から自分の価値観を選び取っていくことで、常識との距離感も自分でつくっていくことができる。

普通という名の常識に囚われすぎず、ちょうどよい位置に自分を置くことが、普通との上手な付き合い方なのかもしれないと思います。


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