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ラヴェンナへ①

K氏とのイタリア国内旅行1日目はボローニャ集合
ディナーはK氏ご希望の「本場のボロネーゼ」を求めて老舗レストラン「da Nello(ダ・ネッロ)」へ 食事の内容は別途綴っているのでこちらを参照

美味しい夕飯を食べて、ほろ酔いでボローニャの夜の街を怪しい格好で宿泊先まで というのも雨が降ってきてしまい、ポルティコ(アーケード)があるので傘はほとんどいらないが、時々ポルティコのないところを歩くのでフードを2人してかぶって歩いていたのだ

朝から痛かった喉は、相変わらずで鼻水まで出てきたので早々に寝た(日本から持参した風邪飲んでいたのだが)

1人なのにとても広い部屋

宿泊先についてはこちらをご参照


☆ボローニャからラヴェンナへ移動


ボローニャからラヴェンナは列車で約1時間ほど ボローニャ中央駅へ行くと駅の構内は大混雑 この時は混雑の理由をわかっていなかったが、後になってロンバルディア州(ボローニャより上の北イタリア)で激しい暴風雨があった影響のようだった

HITACHI製の車両

乗車予定の列車がくるホームへ行ってみたが、電光掲示板に行き先が載ってない
ボローニャの宿泊先は朝食付きではなかったのでホームのベンチで朝食を食べようと思ったがベンチがない

仕方ないので地下通路でK氏のスーツケースをテーブルがわりにして、K氏が宿泊先のポットで湯を沸かして入れてきたコーヒーをいただく(K氏はコーヒー好きで出張先にコーヒーセットを持参する人)

そしてこの日の朝食は、前夜の「da Nello」で食べきれなかったパンにモルタデッラ(ハム)を挟んだものだ(笑 こっそり持ち帰ってきたのだ

お腹も満たされたし、そろそろ乗車時間だからホームへ戻ると電光掲示板に行く先の「Ravenna(ラヴェンナ)」の表示が出ていた

ラヴェンナへの列車は高速鉄道ではなくローカル列車だが、こちらもスマホからチケットが購入できるので、駅が大混雑していてもなんなく買えたので助かった

車両に乗って感じたのは10年前より車両が綺麗だと思った(もちろん、路線とか時間によって古い車両の場合もあるもあると思うが)

二階建て車両だったので2階へ

明るい車内でシンプルだけど席も綺麗、車窓も大きくて快適だった

☆ダンテ・アリギエーリ終焉の地


今回のイタリア滞在中に「ラヴェンナ」はどうしても訪れたかった場所

「イタリア語の父」と称されるフィレンツェ出身の詩人であり政治家だった「ダンテ・アリギエーリ」が政治的理由でフィレンツェを追放され、ついには故郷に帰ることなく、最期を迎えたのがラヴェンナなのだ

私のイタリア語の恩師が日本において唯一の「ダンテの神曲」研究者で、いろんな論文やダンテに関する著書・翻訳をされている にも関わらず、私はこれまで「ダンテの神曲」の表紙を開いたことがなかった

会社を辞め、姉の飲食店の手伝いもやめ「好きなことをする!」と決めた日からイタリア語を復習し始めたことと並行して、恩師の著書を読み漁った

それで「ダンテの神曲」について遅ればせながら「興味」を持って、せっかくイタリアへ行くのなら「ダンテの墓参りがしたい!」と思ったのだった

☆ラヴェンナ到着


駅舎を撮ってなかった・・・
駅構内はこんな感じだった 地方なので都市の駅に比べたら小規模

駅前は街路樹が並木になっていて綺麗

ひとまず、荷物を置きに宿泊先へ向かう(雨だったのか石畳が濡れている)

宿泊先はいろんなお店が軒を連ねる、そこそこ人通りのある通りに面した場所にあった

宿泊先の詳細はこちらを参照

☆Basilica di San Giovanni Evangelista(バジリカ・ディ・サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ/サン・ジョヴァンニ・エバンジェリスタ聖堂)


宿泊先に荷物を置いて身軽になったので、ラヴェンナ駅近くにある「サン・ジョヴァンニ・エバンジェリスタ聖堂」へ

ラヴェンナに現存する教会で一番古い聖堂でガッラ・プラキーディアが聖ヨハネに感謝して寄進した(425年から434年に建設、11世紀にロマネスク様式に改修され、14世紀にゴシック様式に改造された)


第二次世界大戦の空爆により大きな被害を受けたが、ほぼ創建当時の姿に修復されている

レリーフや大理石もない至ってシンプルなファサード、内部はというと

こちらもシンプル
入ると漆喰の白と屋根の梁の黒っぽい色のコントラストが美しい 

主祭壇挟んで両脇にも廊のある三廊式のバジリカ

壁に18世紀に聖堂床下から発見された中世のいろんなモザイクが掲げられている

なんか「千切り絵」みたいで可愛らしい

ユニコーン、グリフォンなど空想の動物や第四次十字軍の主題のモザイクも掲げられていた

内部後陣(アブシデ/abside)の半円蓋(クーポラ)

今現在は漆喰で覆われているが、5世紀〜16世紀にかけては漆喰部分にモザイク装飾がされていたと推測される

聖堂エントランスの頭上の絵画はカルロ・ボノーニの作

美しい聖母子の像もあった

イタリアでどれだけの聖母マリア様の像を見ただろう

どの聖母マリア様の像も本当に美しく穏やかな表情でずっと見ていたくなる

色合いがまた優しい 温かみを感じる

建造物はとてもシンプルだったが、床下から出てきたというたくさんのモザイクを見ることができたサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂を後にしていよいよ「ダンテ・アリギエーリの墓参り」へ

⇨⇨次回へ続く

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