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知育教材・学習教材は色々使いました。使っています。

私は、自分の所属が(自分の感性のようなものが)「女性」「母親」にある部分が少なくて、主に「教師」にあるように感じています。

教師というと学校の先生かってなるけど、そうでもなくて。教員免許は持っていますが100%ペーパーです。中学社会科・高校地理歴史科の2つを持っています。歴史オタク大学出身です。

教師というか、教育。あ、「教育に関心がある人」という意味で「教師」というとしっくりくるかもしれません。

とにかく関心があるのです。その方向性がなんとなく決まっていて、そこ以外に対しては関心が薄いので、自分の無意識の中でぼーっとした道筋があるというか。天の川みたいな感覚です。なんじゃそりゃ。

やりたいことは、能力を伸ばすこと。程よくとはいえ、指示をしてやらせる部分もあります。でも自由にのびのびそれでいいのよというだけも苦手です。伸びるものは伸ばしたいのです。学校教育に合わせることは考えていませんが、それなりに理由を説明して学校の部分とそれ以外を切り離すよう努力しています。この努力、しなくてよくなりたいです。

そういう欲求があります。なぜかはわかりません。これはまた別の話になりますが、私が幼少期にあまりに本に飢えていたからかもしれません。あの時の私に本が溢れていたら、絶対にもっと自分の能力を高められて違う自分が育ち、違う小学校時代・違う中学校時代・その先を過ごせたに違いないという確信と欠落感は一日たりとも感じない日がないほど、私を形成する要素になっています。伸びるものを伸ばしたい。自分でも子供でもよその子でも誰かほかの人でも。その欲求は私の要素です。

そこに加えてうちは2人だけの母子家庭なので、「私が死んだ時点でどれだけの能力をつけているか」が最重要課題となります。

毎年、自分の誕生日にも子供の誕生日にも学年が上がる時にも、「ここまでちゃんと生きて曲がりなりにもちゃんとした生活をさせている私はエライ」と思います。「この先どこで死ぬかわからないけど、ひとまずここまできた」と思います。

ひとりひとりがのびのびと力強く思いっきり能力を伸ばせる。大人も好きなだけ学びなおせる。世代も国境も越えて認め合える。そしたら世の中をすっかり変えてしまうなんてカンタンだ、と思うのです。

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風邪ひとつひけない世界になるとは思いもしませんでしたね。子供と2人きりのシングルです。遠くても仲間や繋がりを大切に走ってきました。世の中が変わりましたが、アロマとハーブを知って次々と思いもしなかった扉が開いています。健康を翼にして、必ず世界中の友達に会いに行きます。