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「似たもの同士」になっていくけれど

 友人へのプレゼントを買いに、あたしは町の本屋さんに向かった。お目当ては、題名は伏せておくが、タイトルからしてノアールな雰囲気が漂う小説だった。

 「ゴシック小説でね、ずっと読みたい本だったのよ」友人はすでにずいぶんとその本の虜だった。「とんでもなく天才的な書き手でね、大きな文芸賞を射止めた、それはもう伝説的な著作なの」そう力説する。友人の話では、ナチやら古城やら、人体実験やらが登場する話らしい。
 生返事を返しながら、あたしは何だか薄気味悪くて陰気な小説だな、と思うのだった。

 しかし考えてみれば、かつてあたしもそういった芸術作品を好んでいた。それというのは、ほの暗い闇を抱えたような作品たちのことだ。
 20代半ばのころの話だろうか。信じられないことにあたしはかつて、シェイクスピアの悲劇や、ゴシックホラー、異形の怪物や幽霊が出てくるような映画が大好きだった。
 あたし自身の――あるいは自分に近い存在、つまり仲間たちの姿をそこに投影しては、安心していたのだ。だから、友人が好むその本も、かつてのあたしなら興味を示していたのかもしれない。
 どうもここ数年で、あたしの性格はあっけらかんと明るくなってしまったようだ。

 だれの影響か、考えるまでもない。
 あたしの恋人は、とにかく明るく、楽しい。思慮深いが楽天的で、笑顔が絶えない。まるで陽光のような暖かいエネルギーを、365日24時間絶え間なくあたしに送り続けているのだ。

 彼の趣味は本人同様に明るく、楽しい。「水曜どうでしょう」と中島らもの小説を偏愛していて、ホラー映画とジェットコースターと採血が大の苦手。彼にかつてあたしが好きだったものを紹介したら、きっとすごく困ったような顔をしてすごすごと尻込みするだろう。

 あたしは愕然としてしまう。
 まるで世界観のちがう男に恋をして、一緒になろうとしていることに。それによって、あんなに強固だったはずのあたしの世界が大きく様変わりしてしまったことに。そして、そのことに少しも気が付かず、彼の好きなものをあたしも愛して幸せを感じていたことに。
 あたしたちは、今ではすっかり「似たもの同士」になってしまったのだ。

 そのことを嘆いているわけではないが、どことなく悲しく思ってしまう。十数年かけて築いた美意識や価値観を、こんなにあっけなく忘れてしまうなんて。恋愛は、破壊的だ。

 実家の本棚のシェイクスピアは、ホコリをかぶって日に焼けていたけれど、美しいままだった。あたしは静かに「オセロー」を開く。忘れ去ってしまった日々を追想するように、ページを繰った。

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