写真をたくさん撮ってね
「そういえば、彼氏はどうしてるの」
友人が何気ない風を装って、そう尋ねた。振り返ったが、彼はあたしの方を見ようともしなかった。
「そうねぇ」
あたしは、少し悩む。「忙しくしているみたいね」まるで他人事だ。ほんの少しの罪悪感が胸に広がる。
あたしの恋人は、東京で働くあたしと一緒になるために上京の準備をしているというのに。
「転職活動が大変みたいなの」
あたしの恋人は来年30歳になる。大がかりな転職をするには、もうギリギリのラインだ。
「きっと大丈夫だよ、東京には働き口もチャンスも多いんだから」そういう友人は、去年の春にあっさりと「都内に異動になった」と言ってのけたのだ。「東京に一緒に行くよ」と。
「そう思うのは、あなただからだと思うけど」
あたしは何だか憎らしい気持ちになって友人の横顔を見つめる。
優秀さを少しも隠さない、怜悧な瞳をしている。その瞳が、笑うとどんな風にほどけるのかあたしは知っている。
友人は手に持っていたカメラをこちらにむける。あたしはとたんに身構える。
「やめて、写真は好きじゃないの」そう反射的に言って、友人の身体を遠ざけようとする。「いいから」友人は真剣な顔をして、あたしが手に持っていた荷物を奪い取ってしまう。
「こっちをむいて、笑って」
あたしはほとんど困り果ててしまう。カメラの前に立つと、心細くなる。一体どんな顔をすればいいのか、分からなくなる。
それで、手で顔を隠したり変な顔をつくったりする。
「ふざけないの」友人はぴしゃりと言って、いくつかあたしの写真を撮る。
道の真ん中で振り返るあたしや、ミモザの木陰で涼むあたしや、料理に目を丸くするあたしの姿なんかを、何枚も撮る。
「撮ってどうするのよ」
「いいのいいの」
撮った写真を確認しているせいか、上の空で彼は答える。
これまで彼に、撮った写真を送って、と言ったことはない。なんとなく言えないでいる。もしその写真が、とても美しかったら嫌な気持ちになるかもしれない。とくに、恋人が撮るあたしの姿よりも美しかったら。
それでも、あたしは彼に写真を撮ることをやめないでほしい、と思っていることに気づく。できればあたしの記憶と一緒に、忘れないでいてほしい、と。
「ねぇ、できたらもっと綺麗なときに撮ってよ。こんな汗だくのときじゃなくて」
「なんで? 十分綺麗じゃない」
素直になれないあたしにさらりとお世辞を言って、彼はいつもの顔で笑った。
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