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【創作ショート・ショート04】いつか始まる長い恋の予言

 土曜日の午後は川べりに座って、スケッチブックを開く。14:00ごろには、公園をジョギングしている男の子とすれ違う。たぶん同い年くらい。あまりにも毎週顔を合わせるので、何となくお互い会釈する。
 そして15:00を少しすぎたところで、「小さな世界」のメロディーとともにアイスクリーム屋さんがやってくる。アイスを食べるときもあるが、たいてい私は川べりに座ったまま絵を描くことに熱中している。

 都内から電車で30分ほど離れた場所にあるこの川の水面には、驚くほど様々な生き物がやってくる。トンボとか、それを捕まえにやってくるサギとか、いつまでもいるカモの夫婦とか。水は綺麗ではないと思うけど、生き物たちにとってはそれほど重要ではないらしい。そんな生き物を見つめながら、私はせっせと絵を描く。
 13:53。いつもの男の子とすれ違う。黄色のウインドブレーカーがカシャカシャと音を立てる。今日はカラリと晴れた気持ちのいい日だ。

「絵がお上手ねぇ」
近くで声がしたので驚いた。時にはこうして声をかけられる日もある。たいていは冷やかし半分なのだ。
「ありがとうございます」
私は相手の顔も見ずに答える。
「いつも描いていたものね」
優しい声でそう語りかけられ、目を上げると、60代くらいの女の人がいた。傍らには同じ年くらいの男の人が寄り添っている。
「ここへよく来られるんですか?」
いいえ、とその人は首を振る。
「ずいぶん久しぶりよ」
よく分からないが、頻度の感覚なんて人それぞれだと思い、私は何も言わなかった。

「この人がどうしてもここへ来たいと言ったの」
その人は一人で話を続けた。夫だと思しき男の人は、目を細めて静かに頷いてそれに応じた。
「ここも、変わってしまったなぁ」
その男の人がポツリと言った。
「昔よく来られていたんですか?」
私は彼に尋ねた。
「そうだよ、ここは思い出の場所なんだ」
それを聞いて恥ずかしそうに女の人が笑った。
「二人の思い出?」
女の人はそれを肯定するように私にむかって微笑んで、となりに腰をおろした。そして、そっとスケッチブックを覗き込んで水面を描いていたあたりを指さす。
「きっとここにレモンイエローを乗せると綺麗よ」
「素敵」
ちょうど水面の色に悩んでいたところだった。たしかにレモンイエローは日を反射する水の色だ。
「絵を描くんですか?」
女の人はちょっと首をかしげた。
「私、美術教師だったのよ」
そして夫をまぶしそうに見上げる。
「で、この人は体育の先生。……若いころは、よく走りに来ていたわね」
彼のセーターも水面のように明るい黄色だ。

 その時、「小さな世界」のメロディーが鳴ってアイスクリーム屋がやってきた。それを聞いて、女の人が立ち上がった。
「もう行かなきゃ」
そして私の方を振り返った。横顔が日に照らされて輝いている。彼女は、私の瞳をじっと見つめた。
「これは予言なんだけど、あなたの恋はこの場所から始まるわ」
どこか真剣な口調でそう言って、今度は笑顔で夫の腕に自分の腕をからめた。

「お気をつけて」
私は彼女の言葉の意味を考えながら、手を振った。美術教師の魔女だとしたら、それはそれでおもしろい。
 今日はアイスクリーム屋へ寄ることにした。スケッチブックを片付けていると、ふと黄色のウインドブレーカーが見えた。あの男の子が今度はチョコレートのアイスを持ってすれ違ったので、私は笑ってしまう。男の子もどこか恥ずかしそうに、小さく笑った。
「よかったらさ、一緒に食べない?」
男の子の声を始めて聞いた。その声をどこかで聞いたような気がしたが、思い出せない。
 アイスクリーム屋のラジオから、タイムマシンが実現可能な段階に入ったというニュースが聞こえてきた。

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