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4月には、同じ日のことを思い出して

 かけっぱなしにしているプレイリストから、椎名林檎が「また4月が来たよ、同じ日のことを思い出して」と歌っているのが聞こえる。
 そのフレーズをあたしも思わず口ずさむ。この曲があたしは大好きだ。だって、あたしたちも4月に始まったから。

 その季節のことをあたしは、時々思い出す。まだあたしは誰のものでもなく、恋人は他人だった。
 その頃、あたしには会っている男が他にも何人かいて、そのうちの幾人かとは、肉体関係をもっていた。その幾人かと比べると、恋人はその時やや遠い場所にいたといえる。
 恋人はもともと、あたしのSNSのフォロワーの一人だったのだ。

 だからある日「お土産を買ってきたんだ」とDMを受け取ったとき、とても驚いた。「会える?」と聞かれ、困った。わずかなやり取りの中で、知性とユーモアをもつ人であることは知っていた。ただ、それだけだった。

 適当な嘘をついて断ろうと思った――ちょうどコロナが流行りはじめた頃だった――が思いとどまった。
 あたしに買ってきた可愛いお土産。渡す相手がいなくなってしまったお土産を手にうつむく男の後ろ姿が見えた気がした。会ったこともない人だが、それがとんでもなくかわいそうになって、あたしは彼——現在の恋人に会う決心をしたのだった。

 それから何度か、定期的にデートをするような関係が続いた。その頃のあたしたちは、ご多分に漏れず肉体関係を持っていて、そちらについても申し分なく具合がいいことを確認していた。このまま名前のない関係をダラダラと続けていてもいいかもしれない、と思い始めた頃、季節は4月になっていた。

 夜桜見物をした帰り、彼はどこか思いつめた表情で、あたしに言った。「好きです、付き合ってください」例文のような告白だった。
 付き合うことをしないままで、肉体関係だけを続けるという選択肢がないわけではない。それにも関わらず、ケジメをつけると言わんばかりにあたしを恋人にしようとした彼の人柄が何よりも好もしいと思った。ほとんど愛おしかったといってもいい。

 あたしの心は決まっていた。しかし返事は躊躇した。
 まだ彼には言っていない秘密が山ほどあった。その一つ一つをここで詳らかにして、「それでも付き合いたいですか?」と尋ねたい衝動にかられた。彼に対して同じように誠実でいようとするなら、そうするべきだとも思った。
 そして考えがまとまらないまま、あたしは寛解しているものの持病があること、それによって平均寿命よりもずっとずっと若くして死ぬだろうことを告げた。すでにあたしたちは20代半ばだった。これから先の人生には出産も子育ても待ち受ける。それらを一緒に乗り越えるには、あたしは心もとない存在かもしれないな、とふと不安になったことを覚えている。

 あたしの話を聞き終わって、恋人はにっこり笑った。そして、「身体は心配だけど、ゆっくり一緒にやっていこう」というようなことを言った。
 許された、とあたしはその時なぜか強くそう思った。難病と障がいがあるこの身体では、普通の幸せは得られないとどこかで思い込んでいたのかもしれない。この人の隣で人生を生きていいのだ、普通の幸せを享受していいのだ、とこれまで感じたことのない安らいだ気持ちをあたしは感じていた。
 言うまでもないが、その翌日には会っていた他の男たちと縁を切った。

 その日以来、恋人の隣があたしの居場所だ。
 もちろん、数少ない友達や敬愛する両親とも親密にあたしは時間を過ごす。しかし、帰る場所はただ一つ、彼のすぐそばだ。

「i wanna be with you 此処にいて ずっとずっとずっと 明日のことは判らない だからぎゅっとしていてね ダーリン」椎名林檎が歌っている。この曲を歌っている頃の椎名林檎は、まだどこかあどけない。
 この曲は、そのまま、あたしの彼への気持ちだ。



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