回復への一歩「生きづらさの正体、アダルト・チルドレンであることを認める」
こんにちは。あみぽです。
記事を開いてくれた皆様、ありがとうございます。
前の記事では社会復帰に至った自分の考えを紹介しましたが、実はもう一つ復帰に大きく貢献した考え方あるので紹介します。
働くにつれて、社会に触れるにつれて、どんどん顕になっていく「生きづらさ」。この正体を認めることで私はスッと、軽くなったのを感じることができました。
この記事では私の経験を交えなが生きづらさの正体を説明していきます。似たように苦しさを感じて生きている方、特に今の生きづらさが家庭環境にあったのではないかと考えている方の手助けに少しでもなれたら嬉しいです。
▼ 休職の背景を詳しく知りたい方はこちら
生きづらさの正体を探し続けた休職期間
私は症状の過眠がすごく、休職した当初は毎日寝てました。大体5ヶ月くらいずっと、毎日16時間くらい寝ていました。そんな寝てる間にも私を苦しめてくる夢がたくさんありました。寝ると嫌な夢を見る。起きてても辛いことを考えてしまう。とても辛かったです。
学生時代、委員会の仕事で揉めてみんなと嫌な雰囲気になったこと。社会人になって現場でメンバーを混乱させてしまい、怒鳴られ、迷惑をかけた申し訳なさと怖さに怯えてたこと。モラハラ紛いの元彼に責め立てられ、パニックになったこと。小さい頃、兄や母が父に暴力を振るわれていたこと。今も兄が父の呪縛から逃れていないこと。などなど、そんな記憶がいろんな形で夢に出てきていました。
特に印象的だったのが、夢に出てくる家族の話は、シーンそのものは実際に経験したものなのですが、そこで私は叫んでいました。
当時は黙っていたのに、その時思ってたことなのか、大人になった今だから思ってるのか、夢ではとにかく叫ぶのです。お兄ちゃんが裸で引きづられ、外に追い出されている時は「お兄ちゃんがかわいそう!やめて!!」。母ちゃんが作った料理を全てひっくり返されお皿が割れて、家中荒れている時は「それは母ちゃんじゃなくて父ちゃんがいけないだよ!」。私のやったことに対して怒鳴られている時は「私は間違ってない!!」。
だから私の精神疾患は通院して薬をもらうだけじゃ治らないとなんとなく感じ、もっと自分でできることはないかと思い、感じていた生きづらさの正体をネットでいろいろ検索したり、たくさんの本を読んで勉強しました。
まず心理学で心についての勉強。その後はしらみ潰しに生きづらさの原因かもしれない事柄について調べました。大人の発達障害とも呼ばれるADHD、繊細な気質を持つというHSP、親などの特定の養育者との愛着形成がうまくいかないことで現れる愛着障害など、他にも病気なのか障害なのか、性格なのか、、どれも当てはまるような気もするけど、これだ!って思えるものはありませんでした。
その中で詳しく調べるのを避けていた言葉があります。それは「アダルト・チルドレン」です。
まさにじゃない?と思うかもしれませんが、ネットで調べただけの私が思っていたアダルト・チルドレン(AC)の印象としては「毒親」という言葉が使われたり、その生きづらさの原因は親で、親のせいにしていいんだよ。などと、とにかく「悪いのは親、親のせい」というのが気になっていました。
私は親から愛されていなかったわけじゃないし、母や他の兄姉ほどは暴力をふるわれてないし、父親も人間だし頑張ってくれてたし、確かに苦しかったけど親のせいにしたって何も変わらないと、親のせいにすることに抵抗がありました。
しかしこのままではと思い、勇気を出して本屋さんでこの本を手に取りました。そして、この本は私のアダルト・チルドレン(AC)という言葉への解釈を大きく変え、私の自身の気持ちも変えたのです。今となってはバイブルとも言えるかもしれません。
私は虐待を受けていたわけじゃないけどなんか生きづらいと思う人には特に読んでみてほしいです。以下、本の内容を交えながら私の体験や考えを記述します。
アダルト・チルドレンの特徴
アダルト・チルドレン(以下AC)の人は、親の期待に添うような生き方に縛られ、自分自身の感情を感じられなくなってしまった、誰かのために生きることが生きがいになってしまった、よい子を続けられない罪悪感や、居場所のない孤独感に苦しんでいるといった辛さを抱えています。
また彼らは大きく以下の3つのタイプに分けられます。
この3タイプを知ったとき、わ!これ私の兄妹それぞれだ!と思いました。私は5人兄妹で、上から兄・姉・兄・姉・私です。一番上の二人は父親が違う母の連れ子で、しつけとして特に暴力を受けていました。母も父からよく叱られていて、暴力を受けていました。
そんな中で育ったためか、次男の兄が責任者、次女の姉が調整役、私が順応者だと思いました。
子どもがこれらの役割を分担するということは、親がそれらの役割を果たしてないということです。つまり、責任をとってなだめるのは本当は親なのに、その親としての機能を果たしてないから、子どもが親の役割をとり、演じてしまうのです。
この3つはACの類型ではありますが、家族を存続させ、機能させるのに必要な役割であることに気づきます。それを子どもが背負うところに、また特定の役割しかとることができない、そうするしか許されないところに悲劇が生じるのです。
ACの人たちは生きていくためにひとつの類型を身につけ、それが得意な大人となりますが、職場でも新しい家族を作っても、ずっと同じような役割・態度しか取れないことになります。この片寄りは様々な困難を生み出します。
私は3番目の順応する子ども(順応者)タイプです。このタイプはいるかいないかわからない人です。父や母が血を見るような喧嘩をしていても、じっとマンガを読んでいたり、親の対立が始まって兄や姉が仲裁に入ろうとしているときにも自分の部屋に行ってしまったりします。周囲にどんな状況が起きようとも自分の世界を守っています。
無気力や無関心とは違って、そうしていないと激しい渦のような世界に巻き込まれてしまうという恐怖が強いのです。このタイプの人の生活の底には緊張と恐怖が存在しています。著者の信田さよ子さんは、このような親の喧嘩を見せること自体も、虐待だとおっしゃっています。
私の家庭で最も父の暴力が酷かったときは私が保育園から小学校低学年くらいの時でした。私は兄や姉と歳が離れていて、父が怒鳴ったり兄や母に暴力を振るっている間、他の兄姉たちに守られていました。関心がないわけではありませんが、小ささ故、何もできなかったのです。
その影響で私は怒鳴られるのがとても苦手です。怒りをコントロールせずにぶつけてこられると、「殴られるのではないか」と怯えてしまいます。また自分以外の人が怒鳴られていても「兄や母のように傷つく人がいて、私はまた何もできずに見ているだけになってしまうのではないか」と苦しくなります。
時々店員さんがお客さんに、職人さんが師匠に怒鳴られている場面などに出会うと、私はふらふらと具合が悪くなってしまいます。こうなったのは意外と最近で、まだ父の支配下にいたときはむしろ平気でした。父より怖くないからです。
アダルト・チルドレンの再解釈
ACの定義
「現在の生きづらさが、親との関係に起因すると認めた人」
書けばわずか一行ですが、とても意味が込められていました。
ACという言葉は親との関係がポイントになる
親があって自分があるわけですが、恩を受けている、血を継いでいるというようなことではなく、ある意味で親との関係で今の自分が作られていると考えてみましょう。
私は大学1年生の夏に父に勘当され、家を出て行きました。それからやっと、離れてからやっと、父のやってきたことが間違っていることに気づいたのです。それまでは本当に父が全て正しく、母が間違っている。母も兄姉も私も、間違ってるから怒鳴られるし、殴られるんだと思ってました。
父からの教育で、母親は馬鹿だからとか、父のいうことを聞かないと姉のようになる(非行に走る)などと言われ、信じていました。それは父がよく予言をしていたからです。私が何を考えているか、どんな行動を取るのか当てるのです。そのため、父は神様だと本気で思っていました。間違ったことをすれば暴力を受けるのが当たり前、だから私は間違ったことをしないよう、勉強もするし、父の言うことをちゃんと聞くのです。母や他の兄姉のように激しい渦の中に取り込まれないように動くのです。
さらに、直接な暴力は受けてないものの、私が父に好きなものを言うと「そんなのが好きなのか」と軽蔑した目で見られる。学校の課題について相談すると「お前は想像力がない」。これまでの兄姉の子育てについて話を聞きながら「お前たちは失敗だ」。そういうふうに父は私の性格や存在を示していきました。
このように、神様と信者という関係によって私の性格や価値観は形成されていきました。それは今でも私の中にあり、父の言うことに無意識に縛られています。小さい頃に父に言われて、今思えばそれだけが正解ではないようなことも、父の言う通りにしなければと思います。
また、ACという言葉はトラウマ(現在に生々しくある過去)による「傷」に注目するだけではない言葉です。日々の繰り返される生活の中で、ずっと習慣的に経験した恐怖と緊張、見てきたこと、受けてきたことは肌を通して体に染みついてしまいます。血が流れ出るような傷として対象化するより、血液そのものに溶け込んで自分に一部となっていると捉えるといいでしょう。
親との関係で経験してきたことは、そんなふうに自分と切り離せないほど一体化しています。親から与えられた「傷」ではなく、傷を受けたとしか表現できないような「関係」に焦点を当てて考えます。
長年の親との関係があり、そのひとつの場面として生々しい言葉が思い出される。でもその背後には膨大な経験の積み重ねがあり、それが長い時間経つことで現在に影響を与えていくのです。
インナーペアレンツの支配による生きづらさ
著者の信田さよ子さんは、「親に傷つけられた傷を癒すのではなく、自分の中にいる親との関係をどうしていくかが問題だ。」とおっしゃいます。
日本の場合、ACの苦しみは親の人生と子どもの人生が未分化で、融合的に「お前のためだよ」とか「普通でいなさい」「人に迷惑をかけちゃいけません」などと言うように正しさや常識とともに植え付けられるものが、その人を追い詰めていくことがあります。
例えば、私はご飯を残すことができません。どんなにお腹いっぱいで苦しくても、出された食べ物は全部食べないとと、吐きそうになりながらも食べます。
小さい頃、私は体が小さく、あまり食べない子でした。食べないことに対して、父は怒鳴り、食べ終わるまでベランダに私を出します。寒い冬でも裸足でご飯と共に外に出されるのです。他にも、母や兄姉が叱られるのは食事の時間であることが多く、一日の中でも一番緊張感のある時間でした。
だからつい最近までは食事が好きではありませんでした。
それは父なりの正しさであり、私を思ってやっていたことです。「食べないと大きくなれない」「お前のためだ」と。しかしその言葉は私から食事のおいしさや楽しさを奪っていきました。
小学校2年生のときに母が出ていき、それからは父がご飯を作ってくれていました。今思えば過剰な量を出されていた気がしますが、父は元板前さんなので、自分が作ったご飯を残されることにプライドが許さなかったのかもしれません。(そう思いたくはないですが、感じました。)
子どもは親がいないと生きていけないほど無力です。「あなたのためを思ってこうするのよ」と言われてしまえば、いとも簡単に自分の決定権や、自分の判断基準を親に委ねてしまうのです。
結果的に親が子を支配する共依存となっていきます。そのためには子どもは親から見ていつもダメな子ではなくてはありません。そうすればいつでも親に役割があります。親の出番がなくなっていくと、あくまで自分の出番を作ろう子どもに「それじゃダメだ、ダメだ」と否定し続けるのです。
そして「もっと、もっと」を要求されます。クラスで5番以内に入れと言われ、入ると、次は1番になれと。これはまさに兄が言われていたことでした。
このように「もっともっと」を成長してからも自分の中にいる親に要求されるのです。これをインナーペアレンツと言います。何をしていても親の声が聞こえてくるので、決して自分に安住することはできません。
私はアダルト・チルドレンだ
以上より、ACという言葉は
・「親のせいにすることではなく親との関係が起因してるということ」
・「その関係がもたらした自分の中の親と向き合うことが重要であること」
だと再解釈することができました。
また、もう一つ背中を押したのは、信田さよ子さんのこの言葉です。
私は楽になったタイプでした。なんだかわからない生きづらさを持っていたけど、これから何をしていったらいいのかわかってきた気がしたからです。
そして私は、自分がACであることを認め、自分の過去を振り返り、整理して、身の回りの人に伝えることにしました。noteを書いているのは直接伝えられない人のためでもあります。
するととても優しい言葉がたくさん返ってきたのです。こんな自分でも存在を認められた気がしました。また、それを知ってくれているからこそ、わかってもられる私の行動もあり、本当に伝えてよかったと思いました。
私は本を読んでいる時、またこの記事を書いている現在も、もう父とは疎遠になっているにも関わらず、過去を思い出し、自分の中にいる父ちゃんと向き合うと泣いてしまったり、パニックを起こしてしまいます。
それが何より「親との関係」がもたらしたことなんだ、というのを実感させます。これからも自分自身と、インナーペアレンツと、向き合いながら、ちょっとでも生きやすく、そして幸せな家庭を築けるように、前に進んでいきたいと思います。
私がアダルト・チルドレンであるということを認め公表したように、自己を認識して、それを周りの人に伝えて認知してもらう。そしてわかってくれる人に感謝しながら生活することが、行きやすさの鍵の一つかもしれません。
最後に
私がこの本に出会い、学べたことは、とても大きなことで、著者の信田さよ子さん、出版に関係している皆さんに感謝しております。
今回取り上げたこと以外にも生きづらさを感じている人に刺さることが書いてあるので、目次だけでも見てみるとおもしろいと思います。
ACは克服していかなければ、また新しい家族でも次の世代でも同じようなことが起きてしまう世代間連鎖というのがあります。それを止めるためにも私ができることを次回の記事で書きたいと思います。もっと見苦しい内容になるかもしれませんが、よかったらフォローしてまた読んでいただけると嬉しいです。
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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