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休職したから気づいた「なぜ働くのか」

こんにちは。あみぽと申します。

大学でデザインを学び、奇跡的な出会いで、条件ぴったり最高の会社に就職した私は、新卒1年目の後半からどんどん働きづらくなり、2年目で休職しました。それは私にとって大きな経験であり、その中で大きな問い「なぜ働くのか」に気づいたのです。

何かにつまずき、前に進めなくなっている方の参考になればと、私が復職できるほどまで回復した考えを紹介します。

「なぜ働くのか」を考え始めた背景

私が就職した会社では業務内容は希望通りで、働き方の自由度も高いです。何よりメンバーがとても尊敬できて、やさしく、大好きで、こんなにも目指したい大人に多く出会えた環境は初めてでした。決してブラック企業ではありません。

しかし働くにつれ、社会に触れるにつれ、どんどん働きづらくなっていきました。昔から感じていた「生きづらさ」みたいのが露呈した感じがしました。

1年目の12月とうとう仕事を2週間くらいギブアップし、心療内科を受診。通院しながら働くものの、どんどん症状は悪化しました。そして、2年目の7月、会社にもたくさん迷惑をかけ限界を感じ、治療に専念するため休職を決意しました。

症状によって病名は変わる* のでなんとも言えませんが、月経前不快気分障害(PMDD)・適応障害・うつ病・双極性障害(躁うつ病)といったものに近い症状が出ていました。

特に困っていた症状は、パニックを起こすことです。何もないのに過呼吸になり、涙も止まらず、このままずっと苦しみ続けるんじゃないか、とてつもない恐怖に襲われます。そして体力の消費がすごく、落ち着いてもしばらく動けません。また、日によっては体が重くて動けない(重力6倍とよく表現してました。自分の体重に6倍かけて想像してみてください笑)、落ち込んで自分を否定し続け、死にたくなります。

そんな感じで、治療を始めて1年が経ち、やっと回復を感じ始めました。

すると会社に復帰することもちらつきますが、会社に戻って私にできることはあるのだろうか、あれほどやりたいと思っていた仕事なのに、もうそんな意欲はなくなっていました。入社当時は「できることよりやりたいこと!やっていればできるようになる!」と思っていたのに、やっと回復してきた自分を壊したくなく、自分のできることばかりを探してました。

また、もし復帰してできるであろうと思ったことすらできなかったとき、私はどうなってしまうのだろうと恐怖に陥っていました。

そこで、どうやったらもうこうならないのか。どうやったらやりたいことに満ちあふれいきいきとした自分で働けるようになるのだろうか。そして今自分のやりたいことは何なのか。考える方向性を変えました。

その中で「なぜ働くのか」に気がついたのです。そしてやっと復帰を決意できました。それは何より「なぜ働くのか」が自分の中でわかったおかげです。

* 症状によって病名が変わるとは、自分が気付いてない症状もあり、それを見つけながら先生も判断し、治療の方向性を決めていくので、一回の診察で診断できるわけではないためです。

私の「なぜ働くのか」

なぜ働くのか。それは「人は自分の大切にしたい生活(日常)があって、それを守るために働くのではないか」と私は思いました。

というのもライスワーク* といった、ただ生きるためだけに働くという狭義ではありません。

*いわゆる本業のこと。ライスワーク=ご飯を食べるための活動、ライフワーク=夢や自分の好きなことを追い求める活動
(出典)https://diamond.jp/articles/-/189534

例えば、チーズが大好きで毎日食べるのが日常な人は、その大好きであるチーズを食べられるようにお金や時間を確保するために働く。大切なお友達といることがとても幸せで大人になってもそんな時間を過ごしたいから一緒に起業する。大事な奥さんと子供がいて子供の成長や季節の移り変わりを家族で楽しんでいきたい人はそれが可能になるように働く。目標のために日々頑張る自分が好きで常に高い目標を持って頑張りたいからベンチャー企業入る。

このように人は守りたい生活や日常があって働くのではないでしょうか?

正直私は実家暮らしだったし、世の中には最低だなと思う人もいるかと思いますが、まだ親孝行したいとも思ったこともないです。守りたい日常としては「好きなお洋服を毎日着てたい」ですかね、、って感じでした。それはそこまで強い思いでもなく、そのために辛い思いをしてまで頑張ることに違和感がありました。

そもそもご飯を食べたり、家賃とか、生きるためだけに働くなら死にたいと思ってました。だからライスワークだけの生活ではきっと私は死を選んでしまうと思います。

ひどい言い方ですが、実家暮らしだから私は生かされていたのです。たまたま実家で養ってもらえてて、服が好きで働いたら服が買えるしそれでかろうじて生きてたみたいな感じでした。

しかし会社を休職し、たくさん休ませてもらったおかげで私にも大切な守りたい日常を手に入れることができました。それは家族ができたことです。

休職する少し前から大好きな彼と同棲していました。休職中もずっとサポートしてくれて感謝しても仕切れない存在の人です。私は彼との生活が本当に幸せで、彼もそう感じてくれていたようでプロポーズをしてもらえました。

もちろんときには問題にぶつかることもありますが、彼とは話し合いをすることで絶対に解決できる信頼感があります。だからこそ私も、「全力で彼と向き合い、彼と一緒に幸せな生活を守り続けるんだ」と心に決めました。

そうすると、自然と「働きたい!」って本気で思えるようになったんです。この日常を守るために働くならと思うとエネルギーがめきめきと湧く感じすらしました。

この「働く」はライスワークともライフワークとも違う気がしています。実家を出て、家事もして、時にはちょっと凝った料理なんかしちゃって、その活動は全部、彼と楽しくて幸せな生活をしたいからで、ライスワークの範囲を超えています。

そして、日々過ごしていく中で、さらに幸せな日常にするには私も外で働くことが必要だと感じました。

でも前回職場に復帰することは考えたときとは全然違います。守りたい日常がある私は、次々にやりたいことが出てきたのです。私こんなこと好きだし、こんな風に人に影響を与えたりするのも嬉しいし、みたいに自ずとやりたいことがボコボコ出てきました。

できるとかできないとか関係なく、やりたいんだからそれに向かって頑張っていこー!って思えるようになりました。きっとここでできたやりたいことがライフワークです。

「自分の大切にしたい生活や日常を守るために働く」という前提があるからこそ、その先のライフワークがあるのだと私は実感しました。

もしあなたや大切な人がつまずいたとき

もし、なんか働くことが苦しくなってきたとき、衝撃的なことが起きて落ち込んでいるときなど、そういうときは自分の守りたい生活や日常に立ち戻ることが回復への道なのではないかと思います。

私はどんな時が幸せなんだっけ、何が無くなったらいやなんだろう。とか自分の大切な日常がどこにあったのか探ってみてはいかがでしょうか。

そこで見つけた守りたい生活や日常への想いが深ければ深いほど、きっと頑張れると思います。時には辛いと感じることも、その想いが乗り越えられる力に変わるはずです。

そして、その自分の大切にしてきた(したい)、生活や日常を繰り返すのです。できる範囲でそれを毎日やること。その毎日の繰り返しが自分のもっとやりたいことにつながり、「自分は生きている」と実感することができると私は思います。

最後に

以上、私は最近こうやってまた働きたいと思うようになりました。
人は自分の大切にしたい生活(日常)があって、それを守るために働く。そしてその先に自分のもっとやりたいことがある。』
私のめっちゃ等身大の意見です。

この考えに至ることができたから社会に復帰する気持ちが沸きました。何かにつまづいたとき、環境が変わることだけが大事なのではなく、どんな考えに至れるかが、回復への鍵となると私は思います。

初めての投稿で拙い文章でしたが、最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。

※ 本文では触れていませんが、私はアダルトチルドレン(AC)です。複雑な家庭環境の中で育ち、昔から生きづらさを感じています。本文で死についてなど、過激な表現がありますが、赤裸々に、うそなく、私の気持ちを書かせていただきました。驚かせてしまった方、申し訳ございませんでした。

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