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憂
2024年5月16日 09:18
今回の詩の雑感で取り上げる詩はボオドレエル「幽霊」(堀口大學訳)である。 私はまず、最初の「褐いろの眼せるかの天使等の如く、」で躓いた。褐色の目をした天使らとはどのようなことか。原文を見てみると「褐いろ」の部分は"fauve"の訳で、"fauve"は他に「野獣のような。荒々しい。」という意味もある。後者の方がしっくりくる気がするが、「褐いろ」と訳した堀口氏の意図は如何に。それにしても、荒々し
2024年5月11日 16:53
今回「詩の雑感」で取り上げる詩は西脇順三郎の詩集「ambarvalia」(1933)から「手」である。 この詩「手」はギリシア的抒情詩と題された詩の集まりのうちの一つである。この詩の全体を通して感じるのはギリシアにおける人類の歴史である。つまり、この詩の主人公は人類である。 まず一行目の「精霊の動脈が切れ、神のフイルムが切れ、」について考える。「精霊」とは草木、動物、人、無生物、人工物な
2024年4月29日 10:30
今回の「詩の雑感」で取り上げる詩は瀧口修造「レダ」(1937)である。 タイトルの「レダ」は、ギリシア神話で、スパルタ王テュンダレオスの妻「レダ」のことを指していると思われる。ギリシア神話に全く詳しくない私は、ただただ詩に書かれていることから感じたことを書く。 最初に「突風は貝殻をコップのように空虚にする」ときて、読者に理解の出鼻をくじく。「貝殻」が登場するということは舞台は海辺か。「貝
2024年4月26日 18:52
今回の「詩の雑感」で取り上げる詩は加藤周一「四つの四行詩」(1942)である。 「野の径の尽きる彼方に / 山裾に 白壁かげる」というセンテンスで1つ目の四行詩は始まる。これは自然豊かな村で日が暮れてきて影が伸びてきていることを表わしていると思われる。 次に「村は瞻る」とくる。「瞻る」とは「目を見張ってよく見る。注視する。見つめる。」という意味である。夕暮に訪れる穏やかではないきりっとした
2024年4月22日 09:51
今回の「詩の雑感」で取り上げる詩はステフアン・マラルメ「ためいき」(堀口大學訳)である。
2024年4月16日 09:06
今回取り上げる詩は福永武彦「火の島」。1943年に書かれたものである。
2024年4月13日 12:36
2回目となる「詩の雑感」。今回は中原中也「春の日の夕暮」について雑感を述べたいと思う。
2024年4月12日 21:58
ある詩についてああだこうだ述べる「詩の雑感」というものをやってみたいと思う。詩について造詣の全くない私ではあるが、そんな私が私なりに感じたことをただただ造作もなく書いてみようと考えている。 今回取り上げる詩は、瀧口修造「蝸牛の劇場」。