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[随筆] 積読礼賛

 本を読む楽しみと本を買う楽しみは異なる、とある人から聞いた。当たり前と言えば当たり前だが、積読家である私は専ら本を読む楽しみより本を買う楽しみの方が好きなきらいがあるので、その言葉には励まされた。  ここでは積読することを徹底的に肯定してみたい。積読はよくない、と思われることが多いけれど、これを読んだ後に、積読も悪くない、と思っていだければ執筆冥利に尽きる。  本を読むために図書館で本を借りる人も多いが、図書館の本の返却期限は決まっていて2週間程度である。よって、図書館で

    • [日記] 今日から俺は 2024/4/30

      • [詩の雑感] 瀧口修造「レダ」

         今回の「詩の雑感」で取り上げる詩は瀧口修造「レダ」(1937)である。  タイトルの「レダ」は、ギリシア神話で、スパルタ王テュンダレオスの妻「レダ」のことを指していると思われる。ギリシア神話に全く詳しくない私は、ただただ詩に書かれていることから感じたことを書く。  最初に「突風は貝殻をコップのように空虚にする」ときて、読者に理解の出鼻をくじく。「貝殻」が登場するということは舞台は海辺か。「貝殻」が「コップのように空虚」になるとはどういうことか。わからない。が、このセンテ

        • [掌編小説] コートの女

           日が暮れかけていた。村には一人の女が不審なよろめき方をしながら歩いていた。周囲には誰もいない。ボロボロの長いコートの前を懸命に締めながら、40歳ほどの女が一人歩いていた。  四辻にさしかかると、女は止まった。女は警戒するように辺りを見回した。そして、コートの内ポケットからライターを取り出し、それをぽいっと前へ投げた。ライターは女から見て左側に着火する部分を向けて倒れた。女は無表情のままライターを拾い、ライターをまたコートの内ポケットに入れて、コートの前を懸命に締めながら四辻

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        [随筆] 積読礼賛

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          [日記] 今日から俺は 2024/4/30

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          [日記] 今日から俺は 2024/4/30

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          [詩の雑感] 加藤周一「四つの四行詩」

           今回の「詩の雑感」で取り上げる詩は加藤周一「四つの四行詩」(1942)である。  「野の径の尽きる彼方に / 山裾に 白壁かげる」というセンテンスで1つ目の四行詩は始まる。これは自然豊かな村で日が暮れてきて影が伸びてきていることを表わしていると思われる。  次に「村は瞻る」とくる。「瞻る」とは「目を見張ってよく見る。注視する。見つめる。」という意味である。夕暮に訪れる穏やかではないきりっとした鋭さを感じる。  そして「西空の国 / 夕暮に希望の熟れる…」で1つ目の四行詩は

          [詩の雑感] 加藤周一「四つの四行詩」

          [詩的実験] 蒸されるわたし

          橙色の日射にも似た香りだかい箱 わたしはその箱に遊びに行く 思考が麻痺して心地よくなる 皆の感覚を裏返し凍りつかせるような箱 わたしはその箱に遊びに行く ただただ研ぎ澄まされる身体を感じる これまでの一切を拭き取り、噴出したすべてを取り戻すかのように水を飲む 椅子に座り、翻ったからだを受け入れる 心地良い空虚 そしてまた、スタート地点に戻る

          [詩的実験] 蒸されるわたし

          [詩の雑感] ステフアン・マラルメ「ためいき」(堀口大學訳)

           今回の「詩の雑感」で取り上げる詩はステフアン・マラルメ「ためいき」(堀口大學訳)である。  堀口大學により文語体で訳されたこの詩。堀口大學の訳詩集「月下の一群」からの抜粋である。「月下の一群」は1925年に出版されたため、この詩が訳されたのはそれよりも前で、さらにマラルメによってこの詩を書かれたのはもっと前であろう。(調べれば正確な年月がわかるだろうが、インターネットだけではわからなかった。)  また、インターネットで調べると別の人が口語体で訳したものを見つけることができ

          [詩の雑感] ステフアン・マラルメ「ためいき」(堀口大學訳)

          [詩的実験] 愛の教会

          アムールの土砂降りにただただ狼狽える その場ではわたしは啞である どうしようもない幸福が諦めとともに襲ってくる チャコールグレーの日射 満ち足りないと神父は嘆く 救済と落葉が同時に眼前にあらわれる 盗まれた神灯が街を豊かにする わたしはその恩恵に預かる ひとりだけ苦しみもがくものがいる 神父が破顔した こどもたちは泣いていた 教会に恭しい鐘の音が鳴り響く

          [詩的実験] 愛の教会

          [随筆] 余毒を余得へ

           とある女性が「付き合うってことはその後結婚するか別れるかの2つしかないよね」と言っているのを聞いた。恋愛的に付き合うということは現在多種多様になり一概にそうとは言えないが、その女性にとってはそうなのであろう。そのように、付き合うということを目的である結婚の手段と捉えてしまうと、その交際は無味乾燥なものになりかねない。  恋愛における交際は、普通における人との交際とは異なり、お互いが深く関わる。よって別れるとなったとき、「余毒」が生じ苦しむことになりかねない。だからそうやって

          [随筆] 余毒を余得へ

          [詩の雑感] 福永武彦「火の島」

           今回取り上げる詩は福永武彦「火の島」。1943年に書かれたものである。  まず、全体に関していうと、作者が意図したことであるが、すべての句が4つに区切ることができる。例えば最初の段落。  福永武彦を含める中村真一郎、加藤周一らのマチネ・ポエティクというグループは戦後、押韻定型詩の興りを試みた。歴史的には彼らの運動は失敗に終わったとみられているが、現在のポップスの歌詞のほとんどは押韻定型詩ではないか。  私は現代詩について全くの無知なので、これ以上彼らの運動が成功だったの

          [詩の雑感] 福永武彦「火の島」

          [詩的実験] ほつれた脳内

          頭痛のような眠気 どうしようもない天からの啓示 わたしは瞼の裏にユートピアを持つ 悪夢が悪夢のような顔をしていない喜劇 どうすればあなたと健やかな眠りにつけるのか 諦めに似た諦めが心のなかでゆらゆらする もう何も考えなくていいとあなたは言う 神様はわたしに天罰をあたえる ああ! きっとこのままどこにも行けない

          [詩的実験] ほつれた脳内

          [詩の雑感] 中原中也「春の日の夕暮」

           2回目となる「詩の雑感」。今回は中原中也「春の日の夕暮」について雑感を述べたいと思う。  「トタンがセンベイ食べて」というセンテンスからこの詩は始まり、読者は面を食らう。「トタンがセンベイ」を食べるはずはないのだから。このセンテンスにはどこか哀愁を感じる。「トタン」屋根の家に住む貧しい人が「センベイ」を食べているような情景が浮かぶ。確かに「穏か」である。  次に「アンダースローされた灰が蒼ざめて」というセンテンスがくる。情景を思い浮かべると奇妙ではあるが秀逸である。「アン

          [詩の雑感] 中原中也「春の日の夕暮」

          [詩的実験] 新しい朝

          眠気の辞書はだれにも見つからない場所に隠している 眼を擦りながら太陽と月の衝突を再確認する 枕と珈琲の朝は冷たく忙しい 薄志弱行の決意 不規則なリズムで揺れる脳はまだ夢と現実を区別できない ひっそりと立つ富士山がわたしをくっきり惑わす 澄んだ狂気が血液に充満する ベッドのぬくもりは靴の中にだけ残っている 気味の悪いポストは今日も朝の匂いを浸す あなたが向こうから歩いてくる ポッと灯った燈火の胸がわたしを夢に誘う そしてやっと新しい朝が訪れる

          [詩的実験] 新しい朝

          [詩の雑感] 瀧口修造「蝸牛の劇場」

           ある詩についてああだこうだ述べる「詩の雑感」というものをやってみたいと思う。詩について造詣の全くない私ではあるが、そんな私が私なりに感じたことをただただ造作もなく書いてみようと考えている。  今回取り上げる詩は、瀧口修造「蝸牛の劇場」。  まず、「白と黒の窓」というのフレーズがおもしろい。「窓」という想像しやすい物を想像しがたくし、読者を惑わす。そして、「白と黒」という言葉がどこか動物的な印象をもたせる。  蝸牛は「うつくしい目」、「青いリボン」、「シガレットの灰」らをそ

          [詩の雑感] 瀧口修造「蝸牛の劇場」

          [数学コラム] 素数の無限性

           初めて数学についてコラムを書きます。  私は大学・大学院と応用数学を学んでいて、数学が好きなんです。大学院を修了してから、なかなか数学を学べていないので、コラムを書くことが数学を学ぶきっかけになればいいなと思っています。  今回は「素数が無限に存在することの証明」について書きます。「素数が無限に存在することの証明」は、ユークリッドというギリシャの数学者が紀元前3世紀頃に書いた「原論」に載っていることでも有名です。  今回紹介する証明方法のみそは「背理法」です。背理法は高校

          [数学コラム] 素数の無限性

          [詩的実験] 愛の技術

          浄玻璃がまぶたの重さに変わる わたしは酒の瓶を持ってあなたの帰りを待っている きっと、肋骨にできた空白は酒をもってしても埋まらない 雲の鳴らすメロディは美しいに決まっている わたしは密かに地球の裏側にまわりこむ 記念日はわたしにとって空疎なものでしかない 噓を醸し出す水夫は地獄の扉の鍵を持つ あなたはその水夫の面貌に魅力を感じ、水夫の手を取る あなたと水夫は楕円軌道を描く 夜明けの街中でユラユラと揺れる愛の技術者は誰にも見えない わたしはあなたと愛の技術者を探しに裸足で

          [詩的実験] 愛の技術