ぐらしあすの「自己分析」

あまり過去を振り返ることを控えめにして、将来に向けて今を大切にしたいと思っている。

ただ、なぜ今うつ病で苦しんでいるかを考えてみた。

そもそも「他者から秀でていること」を求められ、そこに価値を置いていた少年時代。
友達と一緒に写っている写真を見ると、ぐらしあすはいつも真ん中にいる。

そして、そもそもの器質であるHSPもあいまって、常に他者からの評価、他者から自分はどう見られているかということに気は向いていた。

そして、そういった器質と同時に、ADHDの攻撃性が加わって、攻撃先はいつも職場の上司に向いてしまいなんどけんかして、仕事をやめたことか。

そして今から15年前に、当時の上司とそりが合わず、毎日のように自分が考えていることと、上司が考えていることのギャップは平行線をたどり、その上司からのいわゆるダブルバインド(二重拘束)に振り回された。

ダブルバインドを簡潔にいうと、「それはいい考えです。そうしましょう。でもやっぱりそれはだめです」というような、「いったいどっちなんだ」という混乱を生じさせ、身動きが取れない(自分が思うまま動くことができればいいが、組織としてのコンセンサスを重要とする)状態が続き、ついに休職。そのまま復帰できずに退職に至った。
そこでうつ病を発症した。

そこがうつ病の原点で、今に至っている。
あの強烈な毎日のように繰り返されるダブルバインドは今でも決して忘れることができない。

他者からの評価を気にし、ADHDからくる攻撃性があり、そこに自己愛性パーソナリティー障害(これは自分でそう思っている)がのっかり、他者との関りについても、相手にすまないという気持ちと、いつでもかかってこいという矛盾した気持ちがあい重なって性格の色(そもそもどんな色が基準かという問題は置いておいて)が徐々に重なり合い、どんどんクリーンさからかけ離れ、いつも現状のそのようなことに目が行き過ぎて、将来性を計画的に積み上げられない(これもADHDからくる見通しを立てることの困難さだと自分では思っている)状態が続いている。これは生き方に大きく影響し、同時に経済的問題への見通しの甘さにもつながっている。

さらに、その上、もろもろの依存傾向があり、もうこれは自分ではどうしようもなく、精神科クリニックに通院して精神療法(というもの)と服薬をしても、そのような問題以前の上記のような「こころの姿」はもう今後変わらないと自分では思っている。

上記が自己分析なのだが、もう変わらないと言ってしまったら「The end」なので、行動面に注意をしながら前へ進んでいきたいと思っている。

行きつくところ、上記のような「こころの絡み」を紐解いていくのは重要だが、到底困難さを持つ複雑な問題は甘いものではなく、今後の見通しと計画性をもって夢に向かって歩んでいきたいと思っている。
もうそれしかない。

ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。