「わかる」と「できる」の違い

「言うは易く行うは難し」ということわざがある。
ご存じの通り、理解は出来ても実行することは難しいというものだ。
これについては皆さん「そういうものだ」と思うであろう。
が、今回は「なぜ出来ないのか?」「どうしたら出来るのか?」を考えてみたい。

出来ない理由①:目的は理解はしており、Howに納得してない
例えば、「信号無視してはいけない」と分かっているが、急いでいる時や車が全然いない時は「ま、いっか」となる。ただ、「信号無視は良くないこと」とはわかっている。これは目的(信号という安全確認装置を利用しながら身の危険を守ること)については理解・共感しており、通常(車の多い通り等)は「信号を守る」というHowに納得・行動するが、急いでいる時や明らかに待つことが危険度を下げえない際には信号無視をする。
正しく行動するには、まず「危険から身を守る」という目的を明確にしたい。そして、危険度を判断する1つの道具として「信号機」を用い、自身の危険度および影響する周囲の危険度も正しく見極めた上で、渡るか渡らないかを自分の責任で決める。信号を守らず捕まる・事故に合うのはもちろんのこと、信号を守ったのに事故に合うこともあれば、信号を守らずに無事でいることもある。いずれも自分の判断だ。

出来ない理由②:Howにも納得しているが、自分の中での優先度が低い
こちらは、「1日30分運動する!」で考えてみたい。「痩せたい」「健康になりたい」という目的にも、「1日30分の運動」というHowにも納得しているとしよう。
でも「なかなか続かない」のはなぜか?「仕事が忙しくて」「雨だし今日はなし」などは、「出来ない理由」ではあるが目的達成を諦めていたり先延ばしにしていたりするだけだ。「〇ヶ月でxkg痩せる!」という目標を立てて奮起するのも一手ではあるが、まぁまぁストイックでなければ続かないし、三日坊主タイプの人には厳しい試練だ。
ホントの「出来ない理由」は何か?別に「出来なくても良い」と思ってるからだろう。「絶対にやらなきゃならないこと」「絶対にやらないといけないこと」であれば、目標をおかなくても無理に習慣化しなくとも出来るのではないかと思う。

「将来の自分のため」「会社のため」「家族・友人のため」にどうなりたいか?を真剣に考える機会は少ない。ので、何となくやりたいこと・やっておいた方が良さそうなこと・みんながやってることなど、何となく取り組んでしまいがちだ。
まずは「どうありたいか?」を考えたい。そしてその「優先度」を考えたい。その結果、自身の信じるものを追求する人生も良し、会社人間になり会社の発展に力を注ぐも良し、家族・友人を大切にするも良し。自身で決めたことだから自身で納得・行動できる。
逆にそうでもない「何となくやりたいこと」に力を割くのはやめよう!自分を含めて誰も喜ばないし、誰かのせいにすることでもない。皆さんが自身を発見し、自分らしく、無理をせず、やりたいことを追求する社会になって欲しいと切に願っている。

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