見出し画像

投影

私は惚れっぽい。
とは言え、四六時中恋をしているという訳ではないし、誰でも良いという訳でもない。
ただ、「この人が好きだ」と思うのにあまり時間を要しないみたいだ。
「人に好感を持ちやすい」というのが正確な表現だろうか。良く言えば、「人の良いところを見つけるのが得意」なのかも知れない。もちろん、好感を持つのと同じ速度で、嫌悪する場合もあるけれど。

そんな私は先日また心を奪われた。待ち合わせの場所へ向かうため、いつものようにいつもの電車に乗ったときのこと。さぁどこに座ろうかとガラガラの車内をサッと見て、シートの端っこに目標を定めた上で、向かいに座っている人を一瞥、若い男性、そして座った。
そこから細かいことは覚えていない。気づいたら私は、目の前にある手を見つめていた。色白で自然光を跳ね返す、少しぽってりした優しそうな手。何気なくその手を見ていてふと気づく。その手には小さな赤い傷跡が所々あった。それを認識した途端、私の心は意思を持った様にキュッと動き出した。その赤いものは虫刺されの跡かも知れないし、或いはアレルギー性のものだったかも知れないけれど、私にはそれが「葛藤」に見えた。その手は幾度となく越えてきた「葛藤」を背負っていた。
葛藤を隠しきれていない優しい手が愛おしく思え、心が収縮する、手を伸ばしたくなる。大丈夫だと、言葉を差し出したくなる。けれど葛藤に潰されない優しい手がまた愛おしく思え、心を掴む、この手を取ってほしくなる。大丈夫だと、言葉を差し出してほしくなる。すっかり心を奪われてしまった。電車に乗っている間、隙あらばその手を見ていた。
その手を持つ向かいの男性はと言うと、おそらく外国の方で、旅疲れなのか寝ていた。色合いが優しい服装で好感を持てた。けれどやはり私は、またその手に目を落としていた。

ここまで無事読んでもらえただろうか。さすがに自分でも自覚している。変人だと思われても仕方がない。人に好感を持つ時は、その人の人柄を垣間見た時で、その人柄を見抜く力があったとしても、多少の思い込みはあるもの。にしても今回は「思い込み」でしかない。単なる妄想だ。そしてそもそも「人柄」というかただの「手」だし、「惚れっぽい」ってたぶんそういうことじゃない。

時々、私は一体何に惚れているのか分からない時がある。人が人を愛おしむ時、その目には何が映っているのだろう。
たぶんあの手が背負っていた葛藤の半分は、私自身のものだったと思う。あの手は、毎夜爪を立てていた私のあの日の手であり、その手で必死に空を掻いて求めた誰かの手だったのかも知れない。