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性同一性障害 → 性別違和 → 「性別不合」

この業界で有名な針間克己医師の「性別違和・性別不合へ」という本をザッと拝読した。

私はこれまで、長崎大学病院精神科、東京・千秋クリニックというところに性同一性障害の診断を得るために通った。

結局、長崎は遠すぎるのとあまりに時間をかけるため行くのをやめ、千秋クリニックで、改名を行うための診断書を得ることになったのだが、その際、本人もMtFのトランスである松永医師より、「現在は男性として暮らしてるんですね」という見た目によってのみ判断された性別でもって酷い言葉をかけられたのだが、その松永医師が意外にも素晴らしいお考えを持っているようで、その本に書かれていたことを書きたいと思う。

これまでの性同一性障害や性別違和の場合、出生時の性別が男性なら女性へ、女性なら男性へというものであったのが、性別不合の場合は、男女の二元論にとらわれず、いろんな性別の在り方を尊重しましょうというものになっているとのこと。

私はずっとこれに苦しめられてきた。

女性だと自認し、手術まで望むのなら、もっと「女性らしくあれ」という社会的な圧力があったからだ。しかし私の場合は、確かに男性の特徴的身体部分は非常に不快で今すぐにでもSRSを希望しているが、普段はスッピンだし、ガーリーな女性ではなく、マニッシュな女性で在りたいと思っている。

しかしこんな私であると、どこのクリニックや病院もまさに松永医師の旧来の考え方のように見た目でのみ性別を判断し、女性で在りたいのなら、そのステレオタイプ通りの女性らしさでいなければならず、私の求めている状態へ解決されることはなかったのだ。

だが、今では「性別不合」という言葉と概念に変わったことにより、男女の性別二元論に縛られることなく性別的な意味での人生の選択をすることが可能になったようなのである。

この松永医師曰く、ジェンダー的にはノンバイナリーでも、身体への不快な気持ちは強くいる人も、この性別不合に当てはまるということのようなのである。

そもそもなぜここまで医師の診断に当事者がこだわるのかというと、診断書がなければ、基本的にSRS性別適合手術を受けることができないからなのである。

そもそもその許可がなければ手術ができないという時点で、基本的人権や法の下の平等に反していると思うのだが、なにはともあれ、この性別不合という概念への移行によって、生きる希望を失っていた私にも生きる意味が見えてきたと思っている。


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