学校という牢獄(人間関係は死をも齎す)

こんちは。

最近、中高の二つ上の姉さんに会いました。

彼女は私が小学校の頃通ってた塾の同級生の姉で、中学のバスケ部の先輩で、唯一今も繋がりがある友達。

彼女は、中高の時からよく笑い、群れることを嫌い、上下間の礼儀に無頓着な美人で孤高な存在で、私はそんな彼女が大好きだった(今も大好き)。

私が通っていた中学は、私立でお受験して、合格して選んだ学校だったけど、スクールカーストが根強く存在し、登下校も、休み時間も、教室移動も、お昼ご飯も、トイレでさえ、誰かと一緒じゃないと、「ぼっち」というレッテルを貼られ、「可哀想な奴」という認識を受けるような窮屈な場所。

私は、当初、小学校の頃みたいに、クラスの中心で、仕切ったり、目立つのが大好きな子供で、スクールカーストで言えば「上位」に居た。

その頃は思春期真っ只中で、教師や親などの大人に対する反抗意識もあって、色んな悪さをしていたので、良くない男子達との関わりもあった。でも、ある日を境に、ちょっとした問題が起きて、根も葉もない噂を立てられて、孤立するようになっていった。

私はまだ子供で愚かだったから、そんな狭い世界で、可哀想と思われるのが耐えられなくて、色んな"グループ"を転々としたり、今まで仲良くなかったグループに入れて貰ったりして、ぼっちをしきりに怖がっていた。

そんなこんなを繰り返して、私が退学を決意した大きなきっかけの事件が起こる。

その前から、それらの人間関係に振り回されまくったり、成績が悪く、ピアスや校則ギリギリのファッションをしていた私は教師に目をつけられ、しつこくアイデンティティを破壊しようとされたりしたこともあり、ついにストレスに誘発されて、バセドウ病を発症したことも大きな要因のひとつだったけれど、決定的だったのは、4年間くっついたり離れたりしていた友人に「全ての元凶があんたなんだよ」と言われたことだった。

私は、えづくほど泣いた。あの日ほど泣いた日は前にも後にもなかったと思う。

私は完全にクラスで望まない孤立をしていたけど、今も仲が良い姉さんや、当時仲良くしていた男の先輩、同じクラスで唯一話しかけてくる同期の男友達みたいなほんとにごく一部の、自由で孤高な孤立を望んでしている、スクールカーストの外側の人達と私は最後まで関わり、でも結局耐えられなくなって、学校を去った。

私は、今もこのことを後悔していない。

言い切れるのは、退学手続きをするために、母と学校を訪れた時に、私達の姿を見て、こそこそと耳打ちをしたあの子達のおかげでもあり、

そのあと行った単位制の高校での留学経験や、さまざまな過去の持ち主との出会いのおかげでもあり、

大学進学が決定した後に再び赴いた時に話した先生が、当時思っていたほど全然大した大人じゃなかったおかげでもある。

当時は有り得ないくらい泣いたし悩んだけど、当時を知る今も唯一関わりのある同級生には「お前は周りに流されない、群れない、他とは違っていたから」と言われたのでめちゃくちゃ拍子抜けした。

逆に、私から見て、孤高だった姉さんも、私が見えないところで、実は狭い世界で居心地の悪い思いをしていたりした。

中高の狭い世界というのは、本当に恐ろしい力がある。まだ未熟な人間の集まりというのは雑多でカオス状態。見栄や虚勢を張り、狭い世界が全てと思い込み、視野が広がることもなく、そこでのルールや価値観を疑うことを知らない。

自称「進学校」のような学校はそれこそ、学業が全てであり、どれだけ"良い"大学に行けるかが人の価値であるかのような教育の刷り込みを平気で行い、理由のない校則で自由を縛ったり、辱めて、脅して、アイデンティティを奪う。そして肝心な人間関係の問題には見てみぬふりの事勿れ主義。教師間でもいじめがあるなんて噂もあった。

私が学校を去った後、まだあの場所が地獄だったことを裏づけたのは、後輩の自殺事件だった。

詳しい原因がどこにあったのかはわからない。だけど、当時、睡眠薬を多量摂取するも自死に失敗した同級生の存在も、私自身の毎日毎日死にたくてたまらなくて、ふとした瞬間に泣きそうになるのを必死に我慢しながら学校に居た時のことを思うと、気持ちわかる、と思った。

この前、母の習い事の先生の娘が、当時の私と同じようなことで悩んでる、と聞いて、「あの場所だけじゃないんだ、地獄…というかまだ今もあるんだそういうの」とショックでした。

幼さ故の、視野の狭さや過ち、虚栄のその集団。

そんなのその地獄に居る大人や地獄の外にいる大人が救いを提示するしかないのに、それをしない、出来ない未熟すぎる大人しか周りに居なくて、誰も救ってくれない頼れない地獄。

勿論、地獄を目一杯楽しめる人、気づかない人も沢山いると思う、気づかない方が幸福でずっと生きやすい。

だけどそのまま大人になった人達に、子供や生徒の不幸や地獄は見破れないし救えないと思う。体験的に理解できないから、共感出来ずに的外れなことを言ったりする。

私は今だから思うけど、スクールカーストなんて本当にクソで、他校から見たらそんなもん何もわからんし、大人から見たらみんな同じ餓鬼。一人だろうが多勢だろうが何も思わないし、一人でいることは全然恥ずかしいことじゃない。多勢でいることが強いわけでもない。むしろ一人一人は弱い。でも一人で居る人が強いわけでもない。

大人になったら全て無意味になる。世界はその地獄が全てじゃなくて、なんなら日本ですら世界の全てじゃない、という視野を持つことと、あらゆる境遇の人達が居て、その一つに私がいる、という視野を持つことが大切だなと思う。

あとは、みんな虚栄を張ってはいてもほんとは辛くて必至なんだとちょっと寄り添ってあげる余裕の気持ちと、今は辛いけどその経験のおかげでその分人に優しくなれたり、人の痛みを想像できる人間になれる、という思考転換が出来たらもう最高。それだけで、同級生の2、3歩先の境地にいると思っていい。

でも、私が自分の辛かった過去の話を明かしてまで、伝えたかったことの一番は、「辛いならいますぐに逃げろ」ということ。

いろんな要素が邪魔をすると思う、進学、将来、親、周りの目……でも、一番大切なのは、これは自分の人生だ、というところ。親でも周りでもなく、自分の人生。自分の人生だから、自分が幸せになるように選んでいい。将来をも投げ出したいぐらい、今が辛く苦しいならとりあえず、海外でも他校でも家でもなんでもいいからすぐにそっちに逃げ出すこと。

世界は今見えている分で全てじゃない。そして、逃げる=恥 ではない。逃げは自衛であり、無視してはいけない危険信号に従う行為。全ての人達に、自分を守るための逃げか自分を犠牲にして守る体裁、どっちが人生に大切なことなのか、今一度考えてみてほしいと思う。(これは、学生だけじゃなく大人も)

匿名の学校掲示板にクソほど悪口書かれて、殺害予告まされて警察沙汰にまでなった私が、前者を選んだおかげで、23まで生きているんだから、そのあたりも加味して。笑

そして、子供の周りにいる大人達、学校。

親は子供の不幸を子供以上に悲しんで哀れむべからず。悲しくて辛いのは子供。親がそれを悲しむことで余計に辛くなるのも子供。子供が何も言えなくなることの原因はそこにある。そもそも、普段から友人的関係性を築けているか、なんでも話せる関係性を築けているかというのもかなり重要なので、子供の心を守るために是非、良好な関係性、そして柔軟な考えを持ってほしい。大切で守るべきは体裁や将来じゃなく、今の子供の心です。

学校や社会はこと、人間関係の話になると全く機能しなくなるが、海外では、いじめられた側ではなく、いじめた側に精神疾患があると考えられ、施設送りになるそうですよ。これに関しては対応が難しいのも分かるけど、最低限、よく生徒を観察して、教師としてではなく、イチ大人やイチ人間として、話をすることくらい出来ると思います。教育者として頭を悩ませながら子供達のために努力してください、これはお願い。

あと、学歴主義、進学主義はもう古いぞ。

人には得手不得手があり、好き嫌いがある。

好きな分野、得意な分野をそれぞれ伸ばしていけばいい。絵や音楽、ファッションや芸術が得意で、国数理社が不得意でも、それになんの問題があるのか、はっきり言えないなら、他者の才能を台無しにするようなことはもう辞めよう。

いい学校を出ている=優秀ではないし、学校を出ていない=落ちこぼれでもない。そういう固定概念って頭が固く、視野が狭い人だなと思われるよ、恥を知ろう。

あと、校則!!

これも古すぎる本当。

髪の毛の色、ピアス、爪の色、靴下や靴の色、スカートの長さ、髪の毛が肩につくこと、の何が風紀だ!!!

海外の人が聞いたらなんそれ??てなるくらい時代遅れやで日本よ……

もう、社会体裁とかいう名の、同一主義で、他人のアイデンティティを奪う、農業時代の考えもう辞めよう……

それが、見た目で人を判断する、ということも無意識の間に日本人に根付かせてるし、人と違う考え方=異端、問題児、変人 みたいな偏った狭い視野ももう辞めよう…… 個人の個性を受け入れていこう……

というようなことを思っています。

人間関係って結局大きいから、人は人と関わらずには生きていけないので、一つ傷がつくと、ひどく心が怪我をするし、傷跡の治りもかなり遅いのですが、それもいずれはかさぶたになり、痣になってしまえば一つの事象として受け入れられるようになっていきます。

過去の私や、当時の大人達に言ってやりたかったことをここにぶつける形になってしまいましたが、このことに関しては、こと詳しいので、経験者としての立場で、発信する、発言することって必要なのかもなと思い、執筆するに至りました。

なんにせよ単純に、懐かしい姉さんに会って、「ほんま、しょーもないよなぁ〜ああいうの」って笑いながら話していると、「あ〜死ななくて済んだおかげで、当時を笑い話にして共有出来て良かった〜」と思いました。

皆さんに、自分の為の良い人生を選ぶ勇気を。

一度きりの学生生活に、幸あれ。








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