旅館好きが見た夢のような場所・河鹿園で紅葉を見る
「旅館の部屋の奥にあるちょっといいスペース」として親しまれているあの場所が、私も例に漏れず大好きだ。
一応「広縁(ひろえん)」という名前で呼ぶ場合もあるが、「旅館のあのスペース」と言った方が圧倒的に世間には通じるだろう。
なぜこんな話をしているかというと、東京・青梅にある「河鹿園(かじかえん)」は、あのスペースに凝縮されている「良さ」自体がまるごと一軒の建物になったような場所だったからだ。
河鹿園は2017年に旅館業を廃業し、それからは美術館として建物自体を展示する形で人々を迎え入れている。
今年4月に唐突に閉館したのだが、現在は再オープンされているという。
私がこの場所を訪れたのは2022年11月のことだ。
紅葉シーズン真っ盛りで、河鹿園のある青梅はハイキング客で大変な賑わいだったが、この建物は静けさに包まれていた。
二棟ある建物のほぼ全ての客室が開放されており、自由に徘徊することができた。
ここまでだって「相当良いぞ…」と心が震えるのを感じていたが、次の部屋に入った時に興奮のあまり息が止まった。
部屋の奥に最高の光景が垣間みえたからだ。
もうお分かりだろう。
そこにあったのは「旅館のあのスペース」の限りなく理想形に近いやつだった。
籐椅子にガラス天板の籐製テーブルときた。
センスがお有りになりすぎる!!永遠の午後がここで過ごせてしまう!!!
窓の外には木が茂っているため、眺望を楽しむというより日差し自体を楽しむ空間といえる。
呆然としたが、長居して他の客と滞在時間がかぶるとお互いに不幸なので、後ろ髪を引かれながらその場を後にした。
しかし、河鹿園の本気はまだ続く。
階段を降りてきて視界に入ってきたものに、また息が止まって「グッ……!」となった。
旅館のあのスペースとは一味違う気がする、そこは瀟洒な雰囲気の小さな「サンルーム」だった。
この素敵すぎる場所でかけがえのない午後を楽しんだ旅客が何人もいたのだろうと思うと、旅館を廃業しているという事実が胸にきた。
順路に沿って下階へ降りる内に、客室はだんだん旅館のそばを流れる川に近くなり、窓外の景色は目を見張るものになっていく。
や、やばい!!
どうしよう!!!素敵すぎる!!!
この部屋は赤色の敷物が心憎い効果を生んでいた。窓を望む一角を、あの色がいっそうリッチな表現に仕上げていたように思う。
さらに下階へ降りたところにある二室が、最も川に近く景観の評判も良いとされている客室だった。
なんとまあ贅沢な眺めなのか。窓に切り取られた風景は一幅の絵を見ているようだ。
風とせせらぎの音だけが部屋を満たしている。
秋が私に囁きかけているのだろうか———
心の中にいる文豪風な人格が顔を出してしまったが、要するに「ヤッベ・・・!」と思った。
しかし、これは二室の内の一室。
この隣にある一室こそが至高の部屋だったのだ。
入った瞬間、夢でも見ているのかと思った。
この部屋の美しさはどうやってもうまく写真に映らなくて、歯痒い気持ちで胸が一杯になる。
明るめのトーンの写真で、改めて二枚の窓をご覧いただきたい。
向かって右の窓には青と赤が入り混じったもみじの葉が、左の窓には竹林の風景が切り取られているのだ。
そして、大きな机のガラス天板へのこの反射。
「いとをかし」という思いに全身が支配されて、しばらくその場を動けなかった。
何をどうすればこの時間を空間ごと残せるのだろう、と無理とは分かっていても考えざるをえなかった。
この部屋に関しては苦し紛れのGIFも投下しておく。
ここまでで、なんとまだ河鹿園の半分くらいだ。
もう一つの棟にまだ見ていない部屋がいくつも残っている。
ここまでの部屋を見ていても思ったが、豊富に取り入れられているガラス窓から差す光が本当に美しい。
また、カーテンのタッセルといい、随所に仕込まれたハイカラなエッセンスが心をくすぐってくる。
階段を上ると、レトロな鏡が据えられていた。
カゴに入っているのは旅館時代に使われていた箸置きや猪口などの小物で、販売されていた。
近くの部屋に入ると、山のように並んだ食器類に迎えられた。これらも全て処分品らしく、値札がついていた。
次の扉を開くなり、「あのスペース」が目に入ってきた。
ウッ…!「旅館のあのスペース」の限りなく理想形に近いやつ…!(二度目)
しかし、先ほどの棟で見たそれとは全然味わいが違う。
籐椅子にガラス天板の籐製テーブルという取り合わせは同じだが、ガーデン・テラス感の強かったあちらと比べると、落ち着きがあってより旅館らしい高級感がある気がする。
窓外に覗く松葉の緑が美しい。机上に飾られた苔玉も、色彩の取り合わせを考えてのことなのだろう。なんと洗練されているのか。
廊下を歩いて次の部屋へ。
ここは河鹿園でもっとも小さい客室だという。
やはり窓の効果がとんでもない。
華やかな眺望というわけではないが、全体的に色調の抑えられた室内の中で自然の色彩が目を引き、それでいて調和が取れている。
河鹿園には一体いくつの表情があるというのだろう。
河鹿園の散策もいよいよ終盤だ。
次の客室はこれまでとうってかわって窓の大部分が閉じられていたが、その理由は一目でわかる。
あっぱれである。粋の一言に尽きる。
こんなオシャレな眺望で攻めてくるとかアリ…?
遊び心に溢れすぎている。
最後の部屋は、控えの間がある広い一室だった。
こんな部屋にたかだか1000円程度で入るのが許されることなんてある…?改めて信じられない思いだった。
目に映るもの全てに隔世の感を覚える。旅情を妨げるものが何一つ無い。
「あのスペース」こそ無いが、部屋自体にあの空間が持つ特別感や贅沢さみたいなものが詰まっている気がするのだ。思えば、この部屋だけでなく、この建物自体に。
どの部屋に入ってもかつてこの場所を訪れた旅客の感嘆の声が聞こえてくるようで、勝手にしみじみしてしまった。
春先に一度閉館したのはご主人の健康上の理由だったようだが、建物の老朽化という点でも、いつ閉鎖されてもおかしくない場所だ。行っておいて本当に良かったと思う。
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