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マッチ売りの少女

 部活の同期の紹介でティッシュ配りのアルバイトを始めることにした。駅前や高校の校門の近くに立って、次々と流れる通勤・通学者の脇に立って、ティッシュを差し出していく作業だ。朝に早起きする機会も生まれ、悪かった生活態度も少しずつ改善されるし、時給も良く、生活費の足しになるので助かっている。

 知らない人にどんどん声をかけていくことには最初は抵抗を感じたが、その抵抗を外すアシストをしてくれるのが、手に持っているティッシュだ。ティッシュを持っていれば見知らぬ人たちに声をかける口実が出来て、しっかり声をかけることができる。無視されてもなんとも思わなくなったし、ティッシュを受け取ってもらえたら嬉しくなる。わざわざティッシュを受け取りにこちらに向かってくる人も1日にひとりくらいいて微笑ましい。

 それで私は気弱な性格なので、声をかけるだけで睨んできたり、私を最初から疫病人が如くあからさまに避けてように通過していく人に出会うと思わずティッシュを持つ手が震え、腕が萎縮してしまう。朝は急いでいるし、それぞれ抱えているストレスがあって、一介のティッシュ配りに声を掛けられたら頭に来てしまうのだろう。そもそもティッシュ配りをしている人間なんて大した奴でなく、そもそも人間だと思われてもいないのかもしれない。人の流れに腕を突っ込んでティッシュを差し出すロボットでしかないのかもしれない。私はそんな人たちに申し訳なく感じると同時に「そこまで拒否しなくても……」とした悲哀も生まれる。さらに、昨日は大きな駅の前で配っていたら「邪魔なんだよクソ」と罵られ、クソ扱いである。通行人とティッシュ配りの持つ関係なんて1秒もないのに、相容れない溝が両者の中に生まれてしまうから、人間関係というものは不思議だ。

 現代版マッチ売りの少女のようだ。さすがに、ティッシュはしっかり一定数受け取られるし、そもそも無料で配っているものなので、マッチ売りの少女よりは状況は過酷ではない。それでも、街に佇んで通行人に声を掛け続けるこの仕事をしていると、少女の心がわかってくる。

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