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『夢のような時間をありがとう!』~息子の野球を見続けることで幸せをもらった僕が、この5年半を振り返る~第3回

野球というスポーツの奥深さを感じながら、息子と過ごした5年半は、僕の「生き直し」の時間でもあったのです。そして、感謝感謝のフィナーレ!

第3回 野球だからこそ

野球というスポーツは、感情に寄り添ってじっくり観るには、もってこいのスポーツだということに今更ながら気付く。特にバッターとして打席に入っているとき、右バッターの君を、いつも一塁側という特等席から観ていた僕には、君の表情がよく見えた。初球の甘い球を打ち損じてファウルにした時の悔しそうな顔。2ストライクに追い込まれて焦っている顔。1球ごとに間合いがあるからこそ、じっくり表情やしぐさを観察できるのが野球というスポーツ。サッカーやバスケットボールのように、常に動いているスポーツでは、ここまでじっくりかんさつすることはできなかっただろう。それでいて、1対1ではなく、9対9であるからこそ、変数が多く、想定外のことが起きるから余計面白い。

よくぞ、野球をやってくれた!という気持ちだ。

さらに、野球部という特別な存在。親が積極的に関わるのが当たり前なのが、野球部。しかも専用のグラウンドを持つ中高一貫校の野球部だったことで、強豪校でもないのに、毎週練習試合に来てくれるから、楽に試合を観戦できる。頻繁に試合観戦ができた環境にも感謝だ。

世界一特別な存在である君の躍動する姿を、とても近くで、じっくりと観察することができた。それも、邪念なく純粋な気持ちで。君の感情を推し量りながら、同じ気持ちになったつもりで、同じ景色を見ていた。もしかしたら、同じ景色を見ることで僕は、中学高校を生き直していたのかもしれない。いや、まぎれもなく、君はあの頃の僕だったのだ。君と同じ気持ちでバッターボックスに立ち、君と同じ気持ちでピッチャーのボールを待っていた。

一塁手の君(僕)は、左バッターが嫌だった。守備は苦手だから、ボールよ、飛んでくるなと祈る。不安を打ち消すように大きな声を出す。後ろを振り向きライトに声をかける。さあ、ボールよ、飛んでくるな。そう願いながら、仕方なく腰を落とす。僕も君と同じように、ボールよ、飛んでくるな、とドキドキしていたのだ。

そんな夢のような時間が終わった。
終わりは突然訪れた。いつかは終わると分かっていたけど、それでも心の準備などできていなかった。だから、心の整理に2週間もかかっている。この喪失感の正体を知るために、これを書いているのだ。

君にとって、最上級生としてのこの一年はつらいものだったかもしれない。キャプテンで4番という重責の中での野球は、自由に楽しめない、今までと違うものだったろう。時々辞めたいと言っていたのは、逃げたいという気持ちではなく、好きな野球を嫌いになりたくないという気持ちだったのかもしれない(その証拠に、引退した今でも、バッターボックスに立ったつもりで、バッティングの構えをしているじゃないか!)。
それでも、最後までやりきったことに、僕は感謝したい。少なくても僕は、君が野球をしている姿を見ることで、もう一度青春の日々を過ごすことができたのだから。生き直すことができたのだから。

君はそんなこと露知らず、複雑な感情を抱えながら、野球と向き合い、引退の時を迎えた。今君は、何を想っているのだろう。今度じっくり聞いてみたい。

君にとっての5年半がどんなものだったかは分からない。でも、僕にとっての5年半は、こんな意味を持つ日々だったのだ。控えめに言って最高!の時間だったのだ。

だからありがとう!最高の夢のような時間を与えてくれてありがとう!!

最期まで読んでいただきありがとうございます。
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