あまのっち

「聴くこと」を通じて、自分のこだわりや偏見に気づくことが、幸せの第一歩。読書も大好きで…

あまのっち

「聴くこと」を通じて、自分のこだわりや偏見に気づくことが、幸せの第一歩。読書も大好きです。読書は、著者の話を聴くことだと思っています。週一ペースでのんびりやってます!

最近の記事

「自分の声を聴く」ということ

差別問題にどう立ち向かえばいいのか。考えてみました。 ジェンダー差別は消えない 仲間がやっているpodcast「康太郎雑技団チャンネル」。とあるテーマで、ホストのCOTAと、ゲストの2人の女性が語り合っている。簡単に言えば、ジェンダー差別、女性蔑視についての話だ。もっと大きく言えば、アンコンシャスバイアスが招く様々な差別につながる話。例えば、ちょっとした集合写真で偉い人の横に若い女性が立たせられるとか、飲み会の席では女性が率先して取り分けをするのが当たり前とか。最近は多様

    • 「必勝しゃもじ」。批判するのは簡単だけど、ちょっと待って。

      2023年3月24日(金)。ずっと外にいたいほど爽やかな晴れ。 3月21日に岸田首相が、戦時下のウクライナを電撃訪問し、ゼレンスキー大統領に、広島県名産の「必勝しゃもじ」を贈ったことが物議を醸している。僕のタイムラインには、批判の声ばかりが届く。もう国民全員が、「ありえない」「センスなさすぎ」「日本の恥」「器じゃない」と声をあげているように思えてくる。でも、本当にそうか。どれだけの人が、この話題に関心を持っていて、どれだけの人が批判しているのだろう。こちらから情報を取りにいか

      • 「生きづらさ」を聴く

        • 母の言葉「なった気なるなや」

          薄暗い台所で、母が昔、僕に言った言葉。今もその情景がありありと思い出される。僕の田舎の方言だ。意味が分かるだろうか? 時は今。僕には高校3年生の息子がいる。受験生だ。おかげさまで、10校ほどの大学を受験できる恩恵に与っている。進学校に通い、周りがみんなそうであるから、複数の大学を受験することは「当たり前」なのかもしれない。そう「当たり前」なのだ。なにかそのことにモヤモヤする自分がいる。お金をケチっているわけではない。そうではなく、そういう境遇を「当たり前」と思ってほしくなく

        「自分の声を聴く」ということ

          ひとりひとりが北極星

          いわゆるプロの表現者ではない、わたしのような「普通の人」が表現するということはどういうことか。最近考えている。そんなとき、先日読み終わった『忘却の野に春を想う』にこんな一節が出てきてハッとした。 「ねえ、おまえ、よっぽど気をつけないと、求心力の虜になっちまうよ」 そのあとにこんな一節も出てくる。 「「声」は場を開くものです。「うた」には神が宿るものです。無数の「うた」は無数の小さき神々を呼び出して、それは無数の世界の可能性を拓くでしょう。だから(略)きっと私たちひとりひ

          ひとりひとりが北極星

          世の中を回しているのは「熱」である!?

          先日、批評家の若松英輔さんの講座を受講しました。高橋巌「シュタイナー教育の方法」を読むというものです。その際に学んだことをベースにエッセイを書いてみました。「熱感覚」「世に潜む叡知」「秩序を育む数学」「犠牲(献身)」がキーワードです。 母の涙 高3の息子は遠い地の大学進学を目指している。うまくいけば、春からは一人暮らしか。見送る寂しさを想うとき、わが母の涙を思い出す。母が私を見送るときに流した涙を。母の想いは、今、私の心に「熱」となって甦る。 あいさつって数学的!?

          世の中を回しているのは「熱」である!?

          「誰もが輝かなくていい社会へ」というツイートを見て

          先日、社会学者の岸政彦さんがこんなツイートをしてバズってました。今日時点で5.8万いいねがついてます。僕もいいね押しました。 単一の価値観を強制しない方がいい この言葉を見たときにイメージしたのは、2つの立場の人です。1つは「輝くことがいいこと」という価値観が当たり前だと思ってる人。きっとハッとしたんじゃないかな。もう1つは、その価値観に押しつぶされそうになってる人。そうそう!と膝を叩いたかもしれません。僕は前者の人間でした。そして、最近やっとそういう呪いの言葉を使うのを

          「誰もが輝かなくていい社会へ」というツイートを見て

          『夢のような時間をありがとう!』~息子の野球を見続けることで幸せをもらった僕が、この5年半を振り返る~第3回

          野球というスポーツの奥深さを感じながら、息子と過ごした5年半は、僕の「生き直し」の時間でもあったのです。そして、感謝感謝のフィナーレ! 第3回 野球だからこそ 野球というスポーツは、感情に寄り添ってじっくり観るには、もってこいのスポーツだということに今更ながら気付く。特にバッターとして打席に入っているとき、右バッターの君を、いつも一塁側という特等席から観ていた僕には、君の表情がよく見えた。初球の甘い球を打ち損じてファウルにした時の悔しそうな顔。2ストライクに追い込まれて焦

          『夢のような時間をありがとう!』~息子の野球を見続けることで幸せをもらった僕が、この5年半を振り返る~第3回

          『夢のような時間をありがとう!』~息子の野球を見続けることで幸せをもらった僕が、この5年半を振り返る~第2回

          野球を始めた息子に説教をしてしまう僕。そこにあった感情を乗り越えて、純粋に観戦を楽しめるようになる過程がありました。 第2回 観方が変わる 「おやときどきこども」(鳥羽和久著、ナナロク社)。この本に出会い、僕はわが子に「呪い」をかけていたことに気付く。「呪い」とは、自分の価値観の押し付け、または自分の後悔のリベンジをわが子に託すことだ。一見褒め言葉に思える言葉も、呪いなのだ。 例えばテストで80点を取ってくる。平均点より20点上だ。僕は経験上、だいたい偏差値60くらいだ

          『夢のような時間をありがとう!』~息子の野球を見続けることで幸せをもらった僕が、この5年半を振り返る~第2回

          『夢のような時間をありがとう!』~息子の野球を見続けることで幸せをもらった僕が、この5年半を振り返る~第1回

          7月10日、息子の高校野球生活は、あっけなく終わりました。同時に、僕の応援生活も終わりました。この2週間は、僕の心にあいた穴を、じっくり感じる時間になりました。自分でもびっくりするほどの大きな喪失を、味わい、振り返り、感じたことを書いてみました。全3回です。 第1回 わが子を観るということ 夢のような日々が終わった。 終わりはあっけないものだった。 もう、君が「打って」「走って」「捕って」「投げて」躍動する姿を観ることができないと思うと、とても寂しい。 そう、僕の息子は

          『夢のような時間をありがとう!』~息子の野球を見続けることで幸せをもらった僕が、この5年半を振り返る~第1回

          #4 肚落ちっ!「人は生まれつき必要なものを全て満たしており、ありのまま直すところのない存在です」

          すんなり受け取れない! 先日、コーチングを学んでいる方に教えてもらったこの言葉、 急き立てられるように走り続ける私たちに、 突如現れた給水所のようなやさしい言葉です。 ですが、 この言葉を聞いたとき私には、2つの感情が湧きました。 それは、 素直に感謝して、その水を飲みたいという気持ちと、 「おいおい本当か?私たちに休んでる暇はないんだよ」 という猜疑心から、素通りしてしまいたくなる気持ちです。 この葛藤の正体が何なのか、考えてみました。 ”不完全”というの呪いの言葉

          #4 肚落ちっ!「人は生まれつき必要なものを全て満たしており、ありのまま直すところのない存在です」

          #3 遺書を書くということ。遺書はわたしにとっての祈りのことばだった話。

          とあるワークショップで遺書を書く機会があった。その体験から、生きること、そして死ぬことを考えてしまった。 「あなたは10分後に死にます。残された時間で遺書を書いてください」 そんなショッキングな問いで、そのワークショップは始まった。ワークショップの全貌は、【番外編】を。https://note.com/amanocchi_0810/n/n2807f96d7b8a 最初の3分、頭が真っ白になる。誰に何を伝えていいか分からない。このままではいけない、と思い直す。とにかく何か

          #3 遺書を書くということ。遺書はわたしにとっての祈りのことばだった話。

          【番外編】ワークショップ体験記~終わりから逆算する自分の人生~

          「あなたは10分後に死にます。残された時間で遺書を書いてください」というショッキングなワークで始まる濃密な時間の記憶をここに記します。様々な視点から自分を見つめ直すことで、生まれ変わった気分になれる!? 4つのワーク 今回行われた4つのワークは以下です。どれもわたしを深い思索に誘う問いでした。 ①「あなたは10分後の死にます。残された時間で遺書を書いてください」 ②「このまま生きて、死ぬときに後悔するとしたら、そこにはどんな制限があったと思いますか?」 ③「あなたは死んで

          【番外編】ワークショップ体験記~終わりから逆算する自分の人生~

          【第2回】まずは自分がしあわせになろう。そのしあわせは、しぜんに周囲に伝わって、やがては。。。

          2つの振り子時計 振り子時計が2つ。間隔をあけて壁にかかっているのを想像してみてください。最初は、それぞれのリズムで思い思いに時を刻んでいます。しかし、しばらく見ていると、2つの時計のリズムは徐々に合わさり、ついには同じリズムになります。 1つの振り子時計に焦点をあててみます。もう1つの時計や壁を見ない時、徐々にリズムを変える時計を不思議に思うかもしれません。しかし確実に、もう1つの時計や(場としての)壁に、時計は影響を受けているのです。 わたしたちは常に見えない何かに

          【第2回】まずは自分がしあわせになろう。そのしあわせは、しぜんに周囲に伝わって、やがては。。。

          『半径2mのしあわせ』~ぼくのしあわせが、ほんの少し君に伝わるなら~

          みなさんこんにちは。この文章は、「しあわせとは何か?」を日々考えているぼくが、その想いを真剣に言葉にしようと試行錯誤した軌跡です。 初回の今日は、noteに投稿するに至った今の気持ちを綴ります。 そもそも「しあわせ」とは何でしょう。人それぞれ定義があるのではないでしょうか。ぼくが考えるしあわせとは、 「ありのままの自分でいること」 いつでも、どんなときも、嘘偽りのない自然体の自分でいること。それができることが、「しあわせ」であり、それを目指して日々直面する困難に向き合

          『半径2mのしあわせ』~ぼくのしあわせが、ほんの少し君に伝わるなら~