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【第2回】まずは自分がしあわせになろう。そのしあわせは、しぜんに周囲に伝わって、やがては。。。

2つの振り子時計

振り子時計が2つ。間隔をあけて壁にかかっているのを想像してみてください。最初は、それぞれのリズムで思い思いに時を刻んでいます。しかし、しばらく見ていると、2つの時計のリズムは徐々に合わさり、ついには同じリズムになります。

1つの振り子時計に焦点をあててみます。もう1つの時計や壁を見ない時、徐々にリズムを変える時計を不思議に思うかもしれません。しかし確実に、もう1つの時計や(場としての)壁に、時計は影響を受けているのです。

わたしたちは常に見えない何かに影響されている

このようにわたしたちは、様々なものに影響を受けていると思うのです。海外で活躍するプロスポーツ選手の言動、尊敬する先生の一言、そういう「分かりやすく強い力」だけが影響ではないと思うのです。
通勤電車で隣の人が読んでいる本、公園で体操をしているおじいさんの動き、子どもたちにえさをあげるつばめの献身さ。わたしに向かって発せられているわけではない、そういったものに不意に影響を受ける。生きるとはそういうことではないでしょうか。

だから、存在するだけで価値がある

「分かりやすく強い力」だけが影響力であり世界を変えると思ってしまうから、それほどの力を持たないわたしたちは、この世界に居ても居なくてもどっちでもいい、価値がない、と思ってしまうのではないでしょうか。
人が望むものを与えることだけが価値だと思ってしまうから、それを与えることができない自分には価値がない、と思ってしまうのではないでしょうか。
本当にそうでしょうか?
振り子時計は、一見何の影響も与えていないように見えても、壁にかかり振り子を振っているだけで、他に影響を与えているのです。
同じように、弱いわたしたちだって、存在するだけで価値がある。
ただ呼吸をし、そこにいるだけで誰かに影響を与えているのだと思うのです。

まずは、自分がしあわせになる

逆に言えば、ちっぽけなわたし自身のあり方が世界に影響を与えるということでもあります。もしそうだとしたら、どうせなら、しあわせな影響を与えたいと思いませんか?
誰かに影響を与えたい、世界の平和に貢献したい、社会的インパクトのある仕事がいたい。そんな「強い影響力」を考えなくても、自分がしあわせになるだけで、世界を変えられるかもしれないのです。
自分がしあわせであることをとことん突き詰める。このことは利己的で自分勝手ではなく、利他的なふるまいだと思うのです。

しあわせの波紋

知らず影響を与えているとはいえ、わたしは、「自分は社会に影響を与えている」ことを実感したいとも考えてしまいます。
そこで思うのは、目の前にいる”あなた”としあわせを分かち合うということです。世界が平和でしあわせであるためには、まず自分がしあわせになり、次に”あなた”がしあわせになる。わたしから”あなた”にしあわせの波紋が広がるイメージです。わたしの内にあったものが、”あなた”に伝播するとき、何らかの力が外に向かって動き出すのです。静かな湖面に降り注ぐ一滴の雨が、波紋を作るように。ひとたび波紋が生まれさえすれば、それは外に向かって伸びていくようです。わたしがその波紋の起点となるのです。

波紋は世界に広がる

次には自然に、”あなた”がしあわせの波紋の起点になります。しあわせが波紋のように広がり、同時に起点も波紋のように広がる。やがては世界中にしあわせの波紋は広がって、その波紋は自分に返ってくる。

すべては”わたし”と”あなた”から始まる

半径2mは、コロナ禍で言われるソーシャルディスタンスのことです。半径2mの内側は、自分のテリトリーとも言えます。半径2mの内側に入ってくる人は、わたしにとって特別な”あなた”です。
まずはわたしがしあわせになる。そして、半径2m以内の特別な”あなた”としあわせを分かち合う。それだけで充分なのではないか。いや、人間はそれくらいのことしかできないのではないか、と思うのです。
漠然として捉えどころのない「世界」というものを憂う前に、”わたし”と”あなた”のしあわせにフォーカスすること。それが結果的に「世界」を変えるかもしれない。
わたしは、これからも「半径2mのしあわせ」を追い求めます。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は、先日体験したワークショップ「終わりから逆算する人生」について語ってみたいと思います。

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