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『学問のすすめ』なるほどな金言9選!

【カズキチ】私立学校法人勤務の32歳/三度の飯より車のタイヤが好きな3歳児の父/息子に最適な"学校キャリア"(子供が社会人になるまでの進学プロセス)を考えるため、保護者+本業目線で都内の学校情報を収集中

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今回はちくまプリマー新書『13歳からの「学問のすすめ」』(2017年)より、個人的に心に響いた福沢諭吉の金言をまとめました。自分のための備忘録ですが、せっかくなのでシェアします。『学問のすすめ』をまだ読んだことがない方は「学問のすすめってこんなことが書いてあるんだー」と感じていただけると思います。"つまみ食い"感覚で眺めてみてください。

※前後の文脈がわからないと真意が伝わりづらいものもあります。気になった方はぜひ引用元の書籍をご覧ください。


①学ぶか、学ばないか(p.16)

 天が人を生みだすときは、だれもが同じ権利を持ち、生まれによる身分の上下などはありません。みんなが自分の身体と心を働かせ、いろいろなものを利用して衣食住を満たし、人の邪魔をしないで自由に過ごせるように天はしてくれています。
 でも現実の人間の世界を見渡してみると、賢い人もいれば愚かな人もいます。貧しい人もいれば金持ちもいます。地位の高い人も低い人もいます。こうした雲泥の差ともいえる違いはどうしてできてしまうのか。その理由ははっきりしています。
『実語教』という本に「人は学ばなければ智はない。智のない者は愚かな人である」と書かれています。賢い人と愚かな人の違いは学ぶか学ばないかによって決まるのです。


②実学(p.18)

私が言っている学問とは、役に立つ学問です。実用に役立たない学問のことではありません。実用性のない学問はとりあえず後回しにして、私たちが一生懸命勉強しなければならないのは実際の生活に役立つ「実学」です。


③学問し、手本となる(p.59)

わが国の文明を発展させ、国の独立を維持することは、政府の力だけで実現できることではありません。またいまの洋学者たちも頼りにならないわけですから、西洋の学問を志している慶應義塾の同志たちが手本となって事業を興し、国の向かうべき方向性を示さなければなりません。まずは自分が会社をつくってビジネスをやってみましょう。せっかく西洋の学問を学んでいるのだから、人々の先頭に立って事業を興すことはまさに使命です。学問をした者がまず実践して、人々の手本となりましょう。


④貢献度で重要性を決める(p.92)

物事の軽重は金額や人数の多い少ないで論じてはいけません。世の中に貢献したかどうかで、その重要性を決めるべきです。


⑤自分で食っていくだけなら蟻と同じ(p.108)

独立して生活するのは重要なことだし、「自分の汗で飯を食え」というのは古人の教えではありますが、私の考えでは、この教えを達成したからといって、人間としての務めを果たしたとは言えません。この教えはただ「動物に負けないように生きろ」といっているだけです。
 なにしろ動物、魚、虫を見ても、自分で食べるものを捕らないものはありません。食糧を得て一時的に満足するだけでなく、蟻にいたっては、はるかに先のことを考え、穴を掘って住居を作り、冬の日に備えて食糧を蓄えることもするのです。
世の中には、この蟻と同じレベルで満足している人がいます。


⑥ルールがあるから丸く収まる(p.130)

政府と人民は血縁関係にあるわけではありません。他人のつき合いです。他人と他人のつき合いでは、情愛を基本にはできません。必ず規則や約束といったルールをつくって、互いにこれを守りながら、わずかな権利の差を争い合います。そうすることでかえって双方が丸く収まるのです。国に法律が生まれたのは、そのためです。


⑦学問の活用には「観察」と「推理」が必要(p.138)

学問の本来の目的はただ読書にあるのではありません。精神の働きにあるのです。この精神の働きを活用し、実際の役に立つようにするには、さまざまな工夫が必要です。すなわち物事を「観察」することと、物事の道理を「推理」して自分の意見を持つことです。


⑧「妬み」は人間の欠点(p.151)

ただひとつだけ、完全に欠点でしかなく、どんな場面でも、どんな方向性でも欠点中の欠点と言えるのは「妬み」です。妬みはその働きが陰険で、いいことはちっともありません。妬みは、他人の様子を見ては自分の状態に不平を抱き、自分のことを反省することなく、他人に要求するばかりです。そして不平を解消して満足する方法は、自分のプラスになることではなく、他人をおとしめ、害することにあるのです。


⑨疑うことが真理への道(p.177)

社会が進歩して真理に到達するには、異論を出して議論しあうという以上の方法はありません。そして、そこで争われる説は、「疑う」ことから発したものです。「疑うことに真理が多い」とは、以上のようなことです。


おわりに

雑なまとめで申し訳ありません。

しかし本当に『学問のすすめ』には、多くの発見と共感と反省が詰まっていました。

150年先の未来人(私たち)にさえも、これほどの示唆を与えてくれる福沢諭吉には脱帽です…。

私も諭吉みたいに物事の本質を見極められる男に近づきたい…!

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