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それでも声が届かない人に気がついた

このところ以前と比べて格段に読書量が増えた。
書籍だけではなくネットの記事やエッセイにも目を通すことが多くなった。
半分くらいは仕事にも活かそうと選んでいる医療関係の本だが、生きていくうえで力を与えてくれたり背中を押してくれそうな本も積極的に手にとるようになった。

☆急に具合が悪くなる
  宮野真生子 磯野真穂 著

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☆だから僕は、ググらない。
  浅生鴨 著

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☆ロバート・ツルッパゲとの対話
  ワタナベアニ 著

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☆なんで僕に聞くんだろう。
  幡野広志 著

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どれも考えさせられる本だ。
『生』への向き合い方、『死』への向き合い方、『人生』との向き合い方、『他人』との向き合い方…………。

内容の全てに賛同するわけではないが、「なるほど。こういう考え方もあるのだな。」と視野を広めてくれたり、「他人の目を気にして生きるのはつまらない。」とハッキリ言い切ってくれて安心させてくれる。
おそらくこれらの本は、また何度か開くことになるだろう。
生きていくうえで方向を見失いかけたり、迷った時に空の星のように目印になってくれる本だと思う。

しかし、一方である思いが胸の中に燻っているのを感じている。
僕にとって素晴らしいと思えるこれらの本が、すべての人に同じように受け入れられるものなのか?という思い。

これらの本に共通しているのは『強さ』だと思っている。
限られた時間の中で何を成していくか?を問い掛け続ける宮野さん、磯野さん。
クリエイティブな発想法を題材に人生において「妄想」するチカラをつけるといいよ、という鴨さん。
机の上でこねくり回してるんじゃないよ!まずは動いて経験して判断しろ! と突き放すアニさん。
切れ味鋭い表現で世の中のくだらない柵から自分を解き放つ行動を勧める幡野さん。

多くの人が「面白い」「参考になる」「素晴らしい」「優しい」といった感想をSNSに投稿する中でふと思った。
『強くない人はどう感じるのだろう?』

人間は強い人と弱い人に二分されるわけではない。
強さと弱さの間に5段階評価があるわけでもない。
無段階のグラデーションの中に個々人がいる。

文章を読んで「面白い」「素晴らしい」「自分もああなりたい」「変わりたい」と思える人は『強さ』を持つ人だと思う。
もちろん実際に実行に移せる人、思うだけで何も変わらない人の違いはあるだろう。
だが、前向きに捉えられることだけでもその人の中には『強さ』があるのだと思う。

SNSには“べき論”が飛び交う。
見ない日はないというくらい。
それに対する反論もある。
『それは強者の論理だ』と。

多くの人を前向きにさせるコトは、時として取り残される人を生み出すこともあるのかもしれない。
僕にとってプラスに働くものが他者にとってはマイナスである可能性。

「自分なんて……」
「そんなことを言う勇気はない」
「どう動いていいのか……」
「みんなが素晴らしいと思うコトが自分にはそうは思えない。自分がおかしいのでは?」

けっして自分を信じられない人、自分を諦めてしまった人を置いてきぼりにしようという本ではない。
だが、僕が「救われる」と思えた本に「救われない」人たちは必ずいる。
表現は厳しくとも根底には優しさや暖かさが流れている言葉を受け止め切れる余力がない人たちには届かない。
そして届かない人たちの言葉も多くの人たちに届かない。

そんなことを

☆社会的処方
  西智弘 著

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を読みながら思っている。
私たちにとって目指すべき社会とはどんなものなのだろう?