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あなたのこどもは、あなたの子ではありません

あなたのこどもは、あなたの子ではありません
絶えることなく続こうとする生命、それが息子や娘になったのです
こどもはあなたを通過する存在であり、あなたから生じた存在ではありません
こどもはあなたと共にいますが、あなたに属しているわけではありません
・・・
カリール・ジブラン 「預言者」より

この一節に出会い、ストンと心に落ちたことを覚えています。
子どもを育てる一人の親として、そして建築家として考えていることを書いてみます。

子どもは社会に還す

しつけはどのようにするべきか。何のためにするべきか。怒っていいのか、いけないのか。
無理をさせていないだろうか。わがままを許しすぎていないだろうか。
子育ては自問自答の連続です。

大人の言うことを守れる子だけが良い子だとは全く思わないけれど、言うことを聞ける子は可愛かったりもする。
おや、これって親のエゴで強制しているのではないか。洗脳しているのではないか。
と思うこともあります。その境目は難しい。

天真爛漫に遊ぶ子は可愛い。いつまでもそうあって欲しいと思うけれど、現実いつまでもそうでは生きていけない。
とっとと働けや!と言わなければならない日も来るでしょう。


子育てに正解は無いと言います。本当にその通りだと思います。それぞれの家にそれぞれの考え方があり、それぞれの親にはそれぞれの事情があります。人の家のことに首を突っ込んでも良いことありません。

では人の家の子どもは他人の子だから知らん顔かといえばそれも違います。
子どもは社会の子どもです。親の所有物でも無ければ親の代わりに何かをしてくれる人でもないのです。
親はただ、子どもを社会から預かり、自立できるように助けてやって社会に還すのが役割なのだと思っています。

子育てをしていると、社会にお世話になっていることを痛感します。医療・保育・子ども手当といった補助をいただき、街の人には優しくしてもらっています。だからこそ、僕たちはしっかり働いて税金を納めようと思いますし、子どもたちにも将来ちゃんと働いて恩返しをしてもらいたいと思うのです。それがずっと続いてきた安定した平和な社会なのではないかと思っています。

子ども向けの家なんかいらない

家の中に遊具的な仕掛けが沢山ある家がたまに特集されていたりします。
「子どもしか入れないような空間をあえて作りました!」とか「この隙間にネットを張ってお昼寝できるんですぅ」とか「ご飯よって呼ぶと、この滑り台で子どもたちが下りてくるんですよ。」とかをドヤ顔で言ってるのを聞いた口ひげボウズのお宅探訪爺さんが「いやー嬉しいですねー。空間!ですよねー。愛!ですねー。」ともう何千回と繰り返したセリフ集の中から最も当たり障りのないセリフを並べたてて賞めちぎるという痛快な新喜劇的ドキュメンタリーで「子育てしやすい家」とか「子どもがよろこぶ家づくり」とかいわれていたりします。

「もしもし、子どもってね、大きくなるんですよ。」
って耳打ちしたい衝動に駆られます。

あ、さっき人の家のことに首を突っ込むなと書いたばかりでした。そうでした。すみません。
いえ、その家の良し悪しがどうかではなくてですね。
大人がこういう風につくったら子どもがよろこぶだろうと考えていることが浅はかだと思うのです。
子どもはどこでも遊びます。あるもので遊びます。大人の想像力なんかよりはるかに大きな豊かな発想力と実行力を持っています。
遊び方を大人が決めてこう遊べっていうのは子どもを馬鹿にしていると思うのです。

子どもの可能性

ウチの家系は足が速いはずなのにウチの子はそうでもないんだよなーとボヤいている人がいました。じゃあその子は遺伝的な問題があったのでしょうか。そうかもしれません。でもただ好きじゃないだけかもしれません。

自分の子だから足が速いはず。算数ができるはず。音楽のセンスがあるはず。と言うけれど、本当はそんなこと分かりません。
分からなくていいんです。分からない方がいいんです。好きなことは自分で選ぶものです。

子どもの可能性が全く分からないからこそ何を用意してやるかをしっかりと考えることになります。親がやらせたい事を押し付けるのでは無く、子どもを見て適した選択肢を与えることが親の努めだと思っています。

子どもはいずれ出て行くもの

では、子育て世代の住宅はどうつくるべきなのでしょうか?

僕は以下の2点が大事だと思っています。

1.子どもが将来どんな世界に行っても生活できるように準備すること。
2.子どもが出て行った後のことを想像すること。

1点目について
外の世界は様々です。必ずしもみんなに優しい設備になっているとは限りません。
どんな状況でも自分で考えて工夫して対処できるようになって欲しい。
例えば、
・スイッチに手が届かないならば、スイッチを低くつけるのではなく踏み台を使えば届くということを教えたい。
・チャイルドロック機能に頼るのではなく、触ったら危険だということを教えたい。
・人感センサー付きの照明を採用すれば照明の消し忘れは無くなります。しかし使い終わったら消すという習慣が身につきません。
技術はどんどん進歩しているので、超絶便利なオッケーグーグル住宅をつくることも可能です。しかし不便さの中に知恵を絞るきっかけがあり、その知恵を応用する力がつくのではないかとも思うのです。

2点目について
例えば、注文住宅購入の平均年齢は39歳。第1子出生時の母の平均年齢が30.7歳。日本人の平均寿命は男性が81.25歳、女性が87.32歳だそうです。
つまり、仮に親が39歳、子どもが8歳の時に家を建てて85歳まで生きるとしたらその住宅に住む期間は約46年間。
子どもが30歳で独立するとしたら8歳~30歳なので子どもと一緒にその家で暮らす期間はたった22年間。
残り約半分の24年間は夫婦が暮らす家になるのです。
杖をついたお年寄りの家に20年以上使わない子ども用滑り台とかあったらなんだか悲しくないですか。

子ども部屋は将来どう使うのか。リフォーム出来る可能性を残して設計することも可能です。
家の主は親です。親がその時その時のライフスタイルに適した住まい方を出来る家が良い家だと思います。

子どもは1日に300回笑い、大人は10回以下だそうです。でも子どもといる大人はきっと50回ぐらいは笑うようになると思います。
子どもと生活していると気付かされる小さな歓びが沢山あります。
その歓びをそっと包むような家をつくりたいです。抗わず大らかに。


最後に

冒頭に紹介したカリール・ジブランの「預言者」という本の「こどもについて」の章を以下に載せておきます。この本の中には神という言葉が出て来ますが、それは各々の信仰や哲学に置き換えて読むことができる名著です。

こどもについて

あなたのこどもは、あなたの子ではありません
絶えることなく続こうとする生命、それが息子や娘になったのです
こどもはあなたを通過する存在であり、あなたから生じた存在ではありません
こどもはあなたと共にいますが、あなたに属しているわけではありません

こどもに愛を与えることはあっても、あなたの考えをおしつけてはなりません
こどもにはこどもの考えがあるからです
こどもの体を家に住まわせることはあっても、こどもの魂までをそうしてはなりません
こどもの魂は未来という家に住むからです
その家をあなたは訪れることはできません たとえ夢の中であっても
あなたがこどものようになろうとすることはあっても、こどもをあなたのようになるよう強いてはなりません
命は過去にさかのぼることも、留まることもできないからです

あなたは弓です そこからあなたのこどもが生きた矢となって、解き放たれるのです
神の射手は無限の道の彼方にある的を見
神の力を使ってあなたをしならせるのです
その矢が勢いよく遠くまで飛んで行くように
あなたが射手の手によってしなることを喜びとしなさい
なぜなら、神は飛んでいく矢を愛しているだけでなく
そこに留まっている弓をも愛しているからです

出典)The Prophet
邦訳)『預言者 The Prophet』監修・翻訳/船井幸雄
著者)Kahlil Gibran



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