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『若きウェルテルの悩み』を読んで

 この本を手に取ったのは偶然だった。その日、私はふと本屋の海外文学のコーナーへ行きたくなり、目についたのがこの本だった。どうして読みたくなったのかはわからない。けれども本の裏に書かれたあらすじに、惹かれたのは事実だった。
 買ってから1週間経ち、夏が終わる前に読んでしまおうと思い開いたのが今日。買ったその日に数ページ読んではいたものの、やらなくてはいけないことを済ませているうちに放置していた。
 読んでいく度に、ロッテのことが好きになり、ウェルテルに共感した。そして、美しい情景描写とはっとされるような胸をつく文章に心を奪われた。特に腑に落ちた文章を載せておく。

 ぼくたちはよくこう思う、ぼくらにはいろいろなものが欠けている。そうしてまさにぼくらが欠けているものは他人が持っているように見える。そればかりかぼくらは他人にぼくらの持っているものまで与えて、もう一つおまけに一種の理想的な気楽さまで与える。こうして幸福な人というものが完成するわけだが、実はそれはぼくら自身の創作なんだ。

若きウェルテルの悩み・ゲーテ より。

 私はこの文を読んで、今は疎遠になってしまった親友のことを思い浮かべた。その子も、いつも笑顔で明るく暖かく、話していると元気になれた。心のうちのどこかで私も、その子には私ほどの痛みを抱えたことはないと、そんな嫌なことを考えていたから。
 
 それからこの小説の途中で、自殺についてウェルテルとその恋敵アルベルトが議論するシーンがある。私は迷うことなくウェルテル側の意見だけれど、アルベルトの意見も決して間違ってはいないと感じた。要は、正解不正解という話ではなく、わかり合えるかわかり合えないか、の色が濃くなってしまう部分なのだろう。
 (夏目漱石の『こころ』にも似たような趣旨の文章があった。)

 古典的名作に触れると、現代と少しも変わっていない価値観が確かにあったのだと知ることができる。発売当時から数百年が経過した今もなお、ここまで感情を揺さぶられるのだから、発売当時に読んだ人たちの感情がどうなったのかは想像に難しくない。… 

 この本の冒頭に書かれている言葉通り、この本は私の心の友になった。また日を置いて読み直してみようかな、と思う。他にも書いておきたい言葉はたくさんあった。それは、また読み直した際に書いておくことにする。


ここまで読んでくださりありがとうございました。


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