日報の運用方法から垣間見える、組織の病
誤解なきよう、最初にお伝えしておきます。この記事は日報を否定するものではありません。僕のクライアント先でも、日報をコミュニケーションツールとしてうまく運用している企業があります。組織のサイズや、目的に応じて適切に運用すれば、日報は有効かつ有意義な手段です。
(僕自身、意義ある日報であれば書くタイプです)
一方で、日報の慣習が惰性で行われているだけ。無駄な作文稼働でメンバーを疲弊させたり、長時間労働を助長しているだけ。「とっととやめたほうがイイんじゃないですか?」と言いたくなるような企業組織が多いのもまた事実です。
日報のような日常のコミュニケーション習慣やルールから、その組織の病を窺い知ることができます。今回は日報を切り口に、組織病診断をしていきましょう。
※コミュニケーションから垣間見える組織病と処方箋は、新刊『コミュニケーションの問題地図』も参照ください。
ところで日報の習慣、僕がかつて勤務してきた日系大企業(複数)ではまったくなかったのですが(週報を運用していた企業はあります)、スタートアップや中小企業が好む慣習なのでしょうか。
なおここで触れる日報とは、日々の進捗報告、気づきの報告などの作文及び社内報告行為を指します。法令や契約で義務付けられている、関連省庁・行政・顧客への作業報告や稼働報告などは除外して考えてください。
1.日報が機能する組織の規模・職種
僕は、日報が有効に機能する組織のサイズの限界は30名だと考えます。
30名未満の小規模な組織であれば、単一事業を動かす上で、社長や経営陣とメンバーが密に連携しつつ、全員がお互いの仕事の内容や気づきを共有し合う合理性も重要度も高いですし、仕組みとしても回しやすいでしょう。
ところが30名を超えたらどうなるか?
・全員の日報を見てコメントするのが大きな負担になる
・機能分化され、全員の様子を毎日読まなくなる/読まなくても特段困らない
こうなるでしょう。ましてや100名を超えた組織で、全員が全員の作文に目を通す。それだけでも、社長や経営陣にとっても、メンバーにとっても大きな稼働負担でありコミュニケーションコストです。
また、職種による相性の問題もあります。営業などの職種はさておき、作業中心の職種の場合、気づきを書けと言われても、そんなに毎日新たな気づきや学びがある訳でもなく、それこそ「ないものを創作する活動」に時間とカロリーを消費させるのは健康的ではありません。
(もちろんメンバーの「気づき力」「文章力」を高めるためのトレーニングととらえて日報を運用している企業もありますが、組織規模や職種に応じて、日報以外の、毎日作文させない他の方法を考えたいものです)
部門内、チーム内の情報共有や進捗共有であれば、TeamsやSlackのチャネルのやり取りで十分機能するでしょう。
要は、日報なる制度(習慣)が自己目的化し、機能不全をおこしているのです。
日報に限らず、30名を超えたらコミュニケーションの仕方、マネジメントの仕方、組織体制や権限移譲の仕方を見直してみる必要があります。
そうしないと、これまでのルールや慣習が形骸化し、誰の得にもならない(社長の自己満足にしかならない) #仕事ごっこ が蔓延り、組織の体力をじわりじわり奪います。
実際、少なくとも僕が経験した複数の大企業では、全社一律での日報を運用していた企業がないことからも、ある程度の人数規模の組織に日報はうまくない(やり方を変える必要がある)とも考えられます。
目的を見失い、仕事やルールが形骸化しアップデート機能(自浄作用)が働かなくなる。経営陣もメンバーも思考停止しただ従うだけ。その病気を、大企業病といいます。
そして、大企業病は、スタートアップや中小企業でも発症します。
(むしろ、社長や経営陣が「ウチはスタートアップだから」「当社は中小企業だから」と思っていて自覚しにくい(させにくい)ところが大企業の大企業病よりも厄介です)
日報に話を戻し、30名を超えた組織でも同じスタイルで日報を続けるリスクを見ていきましょう。
2.リスク その1:メンバーの疲弊・長時間労働・サビ残の温床に
まずもって作文(文章の創作)に手間と時間がかかる。その割に、組織が大きくなってきたのもあり、誰かから役立つコメントやフォローをもらえるわけでもない。
社長や経営陣のための報告のためだけに、50人や100人もの人に毎日作文させているのだとしたら、それは悪趣味です。50人、100人以上の作文稼働とコミュニケーションコストをトップのためだけに奪い続けている訳で。
フルタイムの専業者ならさておき、時短勤務や週3日勤務の人などはそれだけ本来の業務に使うことのできる時間が削られる訳で、これまた悩ましい。ダイバーシティ&インクルージョンの視点でも問題あり。
組織風土にもよりますが、業務時間内に日報を書きにくく残業が恒常化していたり、残業をつけるのが気がひけてサービス残業が恒常化している組織も見かけます。アンヘルシーですね。
(「当社はフレックスタイム制を導入しているから問題なし」とか、そういうことではありません)
3.リスク その2:経営陣や管理職が育たなくなる
100名越えても、全員に日報を作文させて提出させる組織。
それが、社長が全員の動きを把握したいためだけにやっているのだとしたら大問題です。ともすればナンバー2やナンバー3、中間管理職が育たなくなります。
社長がメンバー全員の様子を知っておきたい。その気持ちもわかります。
しかしある程度組織が多くなってきたら、そこはナンバー2やナンバー3、さらには部門長やチーム長に任せていかないと、彼ら/彼女たちが育たない(マネジメントできなくなる)ですし、組織が回らなくなる。
何より、皆社長の顔しか見なくなる。ナンバー2も、ナンバー3も、中間管理職も社長の顔色だけを窺うようになる。
組織や人を育てられなくなる、意志決定しなくなる……どころか意志をもたなくなる ⇒ミドルマネジメント崩壊ものがたりの始まり
ある程度組織が大きくなったら、部門単位、チーム単位で日々のコミュニケーションをマネジメントしたほうが良いでしょう。
そもそも、日常の業務コミュニケーションがSlackやTeamsなど、部門内やチーム内のチャットで連携してわかりあえているのなら、それで十分。
わざわざ社長や他部門の人たち向けの作文稼働を毎日発生させるのはそれこそ無駄。
部門間や社内コミュニケーションを活性化させたいなら、各部や各チームのSlackやTeamsのチャネルを「公開」にしてお互い覗きに行けるようにしたり、日報を書かせる以外の方法で気づきや学びを社内共有する方法もいくらでもあります。
4.リスク その3:社長が育たなくなる
なにより、メンバー全員の状況を社長がいつまでも把握しておきたい、フォローしたい、現場の長でいたい。
その状態を続けると、社長自身が育ちません。
全員の日報に目を通し、状況を把握する時間と労力をほかのことに振り向けるべきですし、なにより組織が育たない。マネジメント不全に陥っていく。
「私は徹夜してでも、全部こなせますから大丈夫!」
ですって。いやいやいや、その発想がダメ!というより経営リスクです。
社長の属人的な体力や精神力で回っている組織、後任が育たない組織まっしぐら(あるいは気合・根性依存のブラック体質まっしぐら)
数名で動かしているスタートアップ黎明期ならさておき、ある程度大きな組織になったら、社長や役員の気力・体力依存のマネジメントから卒業しましょう。
正しくナンバー2、ナンバー3、中間管理職にマネジメントを任せる・任せられるようにして、社長は次のテーマを見つけて飛び回る。そうしないと、社長も組織も成長しません。
(もしかしたら、社長が経営幹部や管理職を信頼していないのかもしれない。であれば、社外メンター、社外の壁打ち相手に相談に乗ってもらうのも良いでしょう。そうして、他者から正しくダメ出し・後押ししてもらうのも大事です)
5.毎日じゃなければダメなんですか? 作文しなくちゃダメなんですか?
組織の病の話が続きましたが、再び日報の話に戻します。
日報制度が形骸化していないか?
日報が一部の人しか恩恵を受けないストレス行事になっていないか?
ほんとうに日報を毎日全員に書かせなければダメなのか?
無駄な作文稼働を生んでいないか?
目的、組織のサイズ、職種の特性を勘案して見直してみてください。
(1)週報にする
日報ではなく週報を取り入れている企業もあります。
週単位でも、各部門、チーム、担当者の様子やトピックスは十分に知ることはできます。
なお僕がかつて勤務した大企業で、週報を実施していた企業では毎週木曜日が週報提出日に指定されていました。
(金曜日に有給休暇を取得しやすくしたり、金曜日に残業を発生させない配慮かもしれません)
(2)毎日書かなくても良しとする
職種にもよりますが、そんなに毎日気づきや特筆事項がある訳でもなく、なにもない日もあるでしょう。あるいは、疲れて一刻も早く休みたい日、早く帰りたい日もあります(にんげんだもの)。2日おきでも良しとする、などの寛容さも欲しいところ。
私たちは「良い作文コンテスト」をやっているのではありません。ビジネスをしているのです。
(3)全部署書かなくても良しとする
たとえば作業中心の部署は、部門内やチーム内のTeamsやSlackや独自の進捗管理システムで進捗管理できていれば事足りる訳で、そのような部署や担当は日報の対象からはずす(あるいは週報で良しとする)などのグラデーションも欲しいところです。作業内容を全社向けにわざわざ箇条書きにさせるような作文を、わざわざ書かせるのは無駄です。
(4)短文や「特筆事項ナシ」も良しとする
気づきや共有したいような特筆事項がない日は、「本日は特筆事項ナシ 以上」で良しとする。あるいは短文で良しとする。
繰り返しになりますが、私たちは「良い作文コンテスト」をやっているのではありません。ビジネスをしているのです。
(5)簡易なツールを使う
わざわざ日報のための作文をしなくても、その日の出来事や気づきを備忘メモなども兼ねて共有できるツールもあります。そのようなツールを活用するのも良いでしょう。
僕個人的にはサンロフトさんの"nanoty"(新刊『コミュニケーションの問題地図』でも好事例として紹介しています)がお薦めです。
日々のチーム内外の情報共有やコミュニケーションにも便利。
わざわざ日報のための作文をさせるのではなく、ついでに日々あったことを共有できる。「わざわざ」を「ついでに」に変える。業務改善の基本です。
6.無駄を指摘する/改善するシステムがないのも問題
そもそも、メンバー(あるいは管理職も)が「無駄だ」「変えたほうがいい」と思っている仕事の仕方や慣習に声を上げる場や仕組みがない、改善するシステムがないのが大きな問題であり、組織病の一つです。あるいはある程度の規模の企業組織であれば、人事、経営企画などの管理部門が機能不全に陥っている可能性も高いです。
先日「あいしずHR」(愛知県と静岡県の企業カルチャーを変え、新しい仕事を生んでいく経営者・部門長コミュニティ)にて、参加した経営者の一人がこんなエピソードをお話ししてくれました。
皆さんの組織では、このような慣習の見直しや自浄作用が働いているでしょうか?
このケースは経営者のトップダウンですが、組織全体としてあるいはボトムアップやミドルアップで仕事の仕方やコミュニケーション、マネジメントを見直すための仕組みや仕掛けは、組織を大きくしていきたいならば必須でしょう。
日報にしても、「続けたい」「やめたい」「やり方を見直して欲しい」などメンバーの声をまず聞いてみてはいかがでしょうか?
あ、日本の組織に蔓延する、やめられそうな慣習を一覧にした本も僕書きました。その名も『仕事ごっこ』。宜しければ、社内やチーム内で皆で苦笑いしながらお読みください。
7.組織開発をしよう
組織は、人数規模やビジネスモデルなどの変化に応じて、コミュニケーションやマネジメントのスタイルを変えなければ健全に維持および成長させることができません。そこにギャップが発生すると、やがて病として発症します。
組織の課題や病気に名前を付け、アップデートするための仕組みを創り回していく行為。それを組織開発といいます。事業開発、人材開発のみならず、組織開発を回していきましょう。
宜しければ、私たちも伴走します。