30代、人生という名の迷路であがく僕が島に移住した理由。
はじめまして。カトウマモルといいます。1984年神戸市生まれ、気づけば34歳。そんな私、2018年、社会人になってから10年以上過ごした首都圏から離れ、鹿児島と沖縄の間にある奄美大島に移住しました。
今回は、30代を迎えた私がどのように迷い、あがき、移住するに至ったのかを自己紹介としてまとめたいと思います。
サラリーマンに向いていないと考えつつ、サラリーマンになった矛盾。迷路の始まり。
そもそも、「つまんない仕事を毎日して、新橋で酔っ払ってくだまいてネクタイ頭に巻いている」みたいなイメージが強くて、サラリーマンなんかなるのは無理だなー、と思っていたのです。
…そこから5年くらいで「新橋のサラリーマン」になったんですけどね。ええ。もう迷子ですよね、迷子。
なんにせよ、学のない自分が生きていくためには、手に職をつけなければなりません。簿記は途中でリタイア(3級取ったけどその後が…)したし、六法全書は買ってみたけど法曹家になれる気はこれっぽっちもしない。
そうして行き着いたのがPCであり、システムエンジニアの世界だったわけで。システムアドミニストレータ(今はもう無き資格ですが)なんて取得して入り口には立ったものの、資格だけでは意味がありません。
技術を身に着けるためには、修行が必要。修行するなら、求人も仕事も豊富な東京のシステム会社でサラリーマンをするのが早いだろう。
3年もして一人前になったら、フリーだとか、なんだとか、何がしか食べていくのに困らないくらいにはなるだろう。
…とまあ、いい加減な、ガムシロップよりも甘い気持ちで、向いてないサラリーマンになったのです。そりゃあ迷子にもなる。
しっかり迷路に迷い込む。システムエンジニアというより、SIer業界に向いておらずあっけなく転職。
そうしてシステムエンジニアになったわけですが、SIer(システムインテグレーター)業界なんて、まあきれいな下請け構造なわけです。
運良く入社した会社は一次請けの仕事が多く、かつ、上司や派遣先の方々には大変恵まれたのですが。
結局、時間が評価のほとんどになるわけです。そりゃあ、そうです。残業いっぱいしたら派遣先からその時間分お金がもらえる=会社の売上になる=売上をあげて評価される…という構図。
派遣先で一人前の働きをして評価されて単価が上がった自分よりも、先輩にくっついて残業ばっかりしていた半人前の同期の方が、自社内では評価が高くなるという。
サラリーマンになったんだからそんなの当たり前に起こることなわけで、ガマンすればよかったのですが。ここでもうひとつ余計なことを考えます。
新卒で年収300万円。30歳くらいでの予想年収が400万円くらい。元請けのエンジニアだと、30歳で600万円とか、800万円とか。このまま下請け仕事したところで結局元請けほどは稼げないわけだしなあ、とか考えるとなんだか虚しくなってきたわけです。
が、しかしまだ自分で決めた3年が経っているわけでもないし、東京での暮らしにもやっと慣れて、友だちもできて、楽しくなってきたところ。まあ、まずは環境を変えてみようと。そんなわけで、2年経たないうちに転職することにしました。
社内SE。だったはずがマーケティング・広報がメインに。迷路はますます複雑化し、30代を迎える。
転職先を選ぶときも、最終2社内定をいただいたのですが、まあ迷子のやりそうなことをやっているわけです。ガムシロップより甘い甘さは変わっていないのですから。
コンサルタントが全力で勧めてきた、50年以上連続黒字という東証二部上場(現在は一部)の企業を蹴って、未上場の30人くらいの独立系コンサルティング企業を選ぶという…。
※ちなみに学のない僕が自信を持てたのは、この上場企業の内定が出た際にSPIの成績が評価されていたりして、「ああ、一般的なものさしで測っても通用するんだ」と思えたことだったりします。その節は本当にありがとうございました。
でも(あくまで結果論としては)この選択は間違ってなかったのです。
実は内定いただいた両社で大変悩んだうえで、最終的には「30歳で600万稼げる可能性がどちらが高いか」と「どっちの上司と働いた方が得るものが大きそうか」というポイントで行き先を決めました。
転職先に選んだ企業の上司は、年齢は私と5つくらいしか変わらないのですが、ものすごいキレ者。
当時はシステム開発の部長だったのですが、そこからあれよあれよと営業・マーケティング・人事・経理の責任者となり、取締役として会社の執行を取り仕切る立場に。
私も社内SEとして入社したのですが、上司の担当範囲が広がるのに合わせていつの間にかマーケティング・広報のマネージャーとなることに。当初から社内のシステム整備はずっと担当してきましたが、そちらは部下にあたるメンバーを採用して、そちらに任せていく形になりました。
気づけば3年くらいのつもりでいたサラリーマン生活も8年を過ぎ、30歳を過ぎ。目標としていた年収は上司のおかげで超えていたものの、ここでふと気づくわけです。
「この年収って、ほんとに市場価値に合ってるんだっけ?この会社(専門性が高く特殊なため、マーケティングするためのビジネス理解が大変)だからもらえてるんじゃないか?どこにいっても通用するスキルは自分にあるのか??」
力がないのに年収があるのって逆に怖いなと。会社にハシゴを外された(あるいは会社がハシゴを外さざるを得ない状況になった)瞬間終わってしまうわけで、そう考えると収入が上がっても生活レベルは怖くて上げられませんでした。
ぶっちゃけ、その上司が社長だったら、あんまり考えずに会社に下駄履かせてもらって生活していたと思うんですよね。そして移住することもなかったでしょう。
しかし、その会社はゴリゴリのオーナー経営企業なので、いくら実力があれども、社長が交代することはあり得ないという現実。世の中っておもしろいものですね。
こうして、複雑化する迷路に迷い込んだこじらせ系の僕は、2度目の転職を迎えることになります。今度は、マーケティングサービスを提供するスタートアップにジョインすることになったのです。
スタートアップで見た新たな世界。見つめ直した人生。そして移住へ。
スタートアップにジョインし、20代の頃、あんなに気にしていた年収は200万円以上下がりましたが、それを埋め合わせてあまりある貴重な経験と人脈ができました。
とはいえ、前職の2倍以上の労働時間になり、クライアントワークや代理店の無茶ぶりへの対応が重なることにより、なかなか自分で時間をコントロールできず、仕事に追われ、ストレスは相応にかかる状態が続いていました。
そうなると人間というのは、仕事とかキャリアとかスキルとかを超えて、「人生における自分の時間の使い方はこれでいいのか?」ということを考えるようで…(ひょっとしたら私が特殊なだけかもしれません)。
そんなことを考え出したのは、ちょうど結婚したというタイミングとも関係があります。妻は美容師なのですが、休みは合わないし、お互い仕事の日は朝8時過ぎに家を出て、夜10時や11時、ときによってはもっと遅く家に帰ってくる。
結婚して一緒に暮らしてはいるものの、一緒に過ごす時間は限りなく短い生活。本当にこのままでいいのか?…と。
その時に思い出したのが、妻と以前に訪れた宮古島。
「こんな海がきれいなところで暮らしたいね」なんて言っていたなあ…。
そもそも人間は自然の中で暮らす生き物で、コンクリートの中で生きるように作られているわけじゃないしなあ…。
海がきれいな島で、のんびり暮らす。そんな暮らしの方が、人生は豊かになるんじゃないかなあ…。
お金は稼ごうと思えば稼げるけど、時間は限られている。限られた時間をどう使うかこそが、死ぬ時に後悔しないためには大事なんじゃないかなあ…。
そんなことを考えているわけです。目の前に案件と宿題山積みなのに。もはや迷路なんてレベルじゃありません。末期です。
ただ、もう末期まで、行き着くところまで行き着くと、あと考えることはひとつです。
じゃあ、やらない理由ってある?
結婚したとはいえ夫婦2人。お互いの親が介護が必要なわけでもなければ、子どもの学校が…とか、持ち家があるとか、いわゆる外的な要因で「どうしてもできない理由」はない。
あとは、仕事さえ(今の会社で続けるのを)諦めればいいわけです。うん。簡単。
そうして、移住することになりました。奄美大島になぜ決まったのか、その経緯はまた別の機会に書きたいと思います。もうここまでで想定の2倍以上の長さになっちゃってるし。
さておき、移住すると決めて動き出すと、応援してくれる人や助けてくれる人と出会えます。この出会いがいちばん感謝しているところでもありますが、そのおかげでいろんなことはなんとかなっていったりします。
「移住してもリモート社員として働く」という道を会社から提示してもらえたり、「移住先は美容師が不足しているから、ウェルカムだよ」ということが分かったりして、諦めたはずの仕事の話も実は順調に進んだりもするわけです。
そうして2018年に移住した奄美大島で、初めての年越しを過ごし、迎えた2019年。いよいよnoteで移住生活の話でも書き綴っていこうかと思っている次第です。
南の島に移住した男は、人生という名の迷路から光を見い出したのか、それともさらなる迷宮に迷い込む序章に過ぎなかったのか。今後の展開も、随時レポートしてまいりますので、ご期待ください。
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