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ジョンケージに聞かせないと大変だと思って

山口周さんの「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?」を読んだ流れで、 blueprintの落合陽一さんと山口周さんの対談を見ました。

前編、中編、後編に分かれているのですが、中編が好きです。
この中編はジョンケージについてのトークから、テクスチャーへの偏愛トークが最高です。

対談のなかで印象的だった話のひとつ。

落合さんは日本フィルと一緒に「耳で聴かない音楽会」、音響信号で振動するスピーカーを聴覚障害の方々が抱えて演奏を体感する音楽会を以前されたお話。

そこでジョンケージの4分33秒の演奏(実際には無演奏の楽曲)に対して聴覚障害の方の感想を落合さんが語られていました。

4分33秒を知らない高校生の女の子に聞いたら、その子が手話で表現したのは、
「今の音楽は前の音楽とは違って、すごく繊細で複雑な音がして、注意を澄まさないと聴こえなくて、それがすごく印象的でした。」
って言っていて、無音の周りから環境をやるやつを「演奏」って彼女が定義したんですけど、手話で。

それが僕のなかでは印象的な瞬間で、ジョンケージに聞かせないと大変だ!って。
逆に、4分33秒を知ってる人は「体を澄まさないと感じられない音楽っていうものがある。」つて手話で表現していて。
体を澄まさないとっていう言葉は、耳を澄ますだけが音楽じゃないっていうのは1つの定義だし、そういう定義を超える程度のコンピューターが発達してきたりとか、領域のギャップを超えると「現代アートってまだまだやれるんだな」って最近すごいそれを感じて。

私も4分33秒をコンサートで聴いたことがあります。環境を音楽として聴くって独特の体験。
当時は体を澄ませて聴いていたというより、戸惑いが強かったかもしれない。

この後に続く、テクスチャーへの偏愛は見ていてめちゃめちゃほっこりします。
(私も秋葉原の横断歩道を愛でてあげたい。。)

対談を聞いて、落合陽一さんと山口周さんの美意識と審美眼をもって日本社会の中に美学の価値を定義し直すのだ、という使命感を感じとり、感銘をうけました。

そして夜、ふとこんなニュースが目に留まりました。

639年かけて演奏される曲、7年ぶりに新しい和音

ジョンケージのAs slow as possibleという曲を639年かけて演奏しようというドイツでの試みだそうです。

ドイツ中部ハルバーシュタットの教会で演奏されている故ジョン・ケージ氏の作品の和音が5日、7年ぶりに変わった。9月5日は、ケージ氏の誕生日。
教会にはこの日、多くのファンが詰めかけ、音が変わる瞬間を見守った。

前衛音楽家のケージ氏が作曲した「As Slow As Possible(できるだけ遅く)」は2001年9月5日に演奏が始まり、2640年に終わる予定。
特製のオルガンによって演奏されている。曲の冒頭は長い休符のため、最初の和音が鳴るまでに演奏開始から18カ月近くかかった。
和音が前回変わったのは、2013年10月5日だった。

次に音が変わるのは2022年2月5日。

639年って‥。対談でもヨーロッパの住宅は築平均100年以上で、新築偏重の日本とは異なる歴史的文化があると語られていましたが、639年って‥。やろう!ってなる文化継承の態度がすごいですね。
ニュースの動画も見たのですが、教会に聴きに来た方々が本当にワクワクしてるのが伝わってくるんですよね。
その様子だとコレ639年続くんだろうなぁ。
それがまた密なコミュニケーションを生み出し続けるんだろうなぁと感動しました。

7年ぶりに変わった和音‥きっと味わい深いものだったでしょうね。

お読みいただきありがとうございました。




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