「サヨナラを言えただけ君は大人だったね」(『Tシャツに口紅』『ガラス越しに消えた夏』)
サヨナラを言えただけだけ
君は大人だったね
『ガラス越しに消えた夏』鈴木雅之
昔好きだった女の子が鈴木雅之のファンで、よくカラオケで歌って聞かせていた。
歌手を目指している彼女には僕の歌は拙すぎたけれど、この歌だけは誉めてくれて、たまに一緒に歌ったりもした。
夢を見がちな幼い恋だったけれど、彼女のほうがいくらか大人だったのかもしれない。
サヨナラを言えただけ。
『ガラス越しに消えた夏』は失恋した後を歌ったしっとりとした曲だけれど、別れ際の恋人たちには、もしかしたらこの曲の中でのようなやり取りがあったのかもしれない。
『Tシャツに口紅』。
鈴木雅之がラッツ&スターにいた頃に歌っていた大人のバラードだ。
シャネルズ時代の『ランナウェイ』や『街角トワイライト』のように、吹きすさぶ『ハリケーン』のような激しい曲ではない。
むしろ一種のエアポケットのような無風状態。
美しくも凛としたピアノのアルペジオとゆっくりしたベースのイントロが、緩やかに流れる静かな時の中に漂う妙な緊張感、不穏さを予感させる。
夜明けを迎えるビーチサイドのコテージ。
抱き合いながら、少しずつ色が移ろう空を二人は眺めている。
こうして朝を迎えるのは何度目か、もう「オレ」には思い出せない。
惰性のように肩を抱く腕の中で女はうつむく。
「別れるの?」
低いながらも真剣な声。
波がいやに静かすぎて、音のない浜辺が彼女の問いかけの残響に満たされた。
「みんな夢だよ
今を生きるたけで
ほら 息が切れて
明日なんか見えない」
「君」は先を急ぎ、「僕」は振り向きすぎていた。
(『ガラス越しに消えた夏』)
「君」が付けてしまう口紅はいつも色鮮やかだけれど、一緒に選んだTシャツはとうにくたびれ色褪せている。
途切れ途切れに歯切れの悪い口調で呟くオレを、「君」は強く頬打ちする。
「オレ」とは対照的に歯切れよく、しかし情感に満ちたトランペットソロ。
そこからヴォーカルへの滑らかな移行。
世界は「オレたち」を残して過ぎていく。
カモメは空へ飛び立つ。
朝日は星を塗り潰す。
夜は明け、「今を生きるだけで息が切れて見えない」明日がやって来る。
「これ以上君を不幸に
オレ 出来ないよ」
ぽつりと呟く。
「『不幸』の意味を知っているの?」
顔を上げ、オレを見つめて詰る「君」。
カモメは空へ飛び立つ。
夜は明け、世界は過ぎ去った。
動かない「オレたち」、そしてTシャツに口紅を残して。