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かわいた街、吹き荒れる風、過ぎ去る夏(シャネルズ、鈴木雅之)

鈴木雅之の楽曲を初めて聴いたのは、中学生の時だった。
思春期の少年らしく、早く大人になりたかった。
だから父が車の中で流していた、大人っぽくて都会的で、「ちょいワル」な雰囲気のボーカルに魅せられたのだろう。

彼が昔リーダーだったシャネルズというグループも、ソロ時代と比べれは若いヤンチャさがあるものの、やはり「大人っぽい」。

基本的には「夏歌」が多いのだけれど、そこで歌われる「夏」「海」は「リゾート」としてパッケージ化されたスーパーイノセントなものではない。
ひと夏だけのロマンスを望むならばそれでもよかっただろう。
しかしシャネルズの歌の主人公は、愛した少女を連れて、「ランナウェイ」してしまう。
「二人だけの遠い世界へ」。

二人は知っているのだ。
彼らを取り巻く世界は、「シーサイド」と聞いて思い描くような、人々がみな自然のまま、天真爛漫に愛を語り合う南国の楽園ではなく、「爪をとぎ作り笑い浮かべきづいた愛も奪う」「かわいた街」なのだと。

その「lonely town」から「ランナウェイ」することで若い二人は逆説的に、無慈悲で乾いた砂漠のような世界を認めてしまった。

彼らはもう常夏の楽園という幻想に戻ることは出来ない。
「二人だけの遠い世界」に行き着けたとしても、そこは夢物語のようなパラダイスではなく、現実世界の、したがって別の「かわいた街」の中にある小さな場所で、作り笑いの下で研ぎ澄まされた爪に傷つけられながら生きていかなければならないのだ。

さて、さりげなくデビューシングル『ランナウェイ』の歌詞を引用しながらシャネルズのチョイ悪な大人っぽさを語ってみたけれど、彼らの楽曲でひとつ、「夏歌」に擬装した寒い冬の歌だと勝手に邪推しているものがある。

『街角トワイライト』。

クワマンのトランペットのなにやらカリビアンな雰囲気のイントロから始まり、全体的にアップテンポな楽曲だ。
サビも「南風受けながら(生まれたままの姿で)愛し合い夜明けまで(Night on the beach)」と明るく情熱的。

しかしこの歌、夏の歌というのは見せかけなのではないか。

当初は予定していなかったが急遽入れたという冒頭のアカペラコーラスが、なんとなくゴスペルっぽくて、クリスマス=冬を連想させるというのもある。
真ん中の「夏」の部分は「冬」の部分にサンドイッチされていて、枠物語的というか。

言ってしまえば、これは海の街で出会った少女とのひと夏の思い出を冬に追いかける話なのだ。
現に歌詞の中にもある。

「夏が過ぎ木枯らしに暮らしは冷え始めAnd she had gone」

「夕闇迫る街角でお前によく似たプロフィール追いかけて追いかけて今でもSearchin' only you」

男は今、木枯らしを背に受けながら、駆り立てられるかのように昔の街を探しまわる。
かって南風とともに「迫りくる愛の激しさをふたりの体で受け止めて」いた頃に憧れながら。

出会いはきっと突然だった。
そして南風、もしくは「ハリケーン」に駆り立てられるように、愛し合ったのだろう。

しかし風向きが変わる。
木枯らしが夏を追い飛ばす。
そして、愛すらも。

クワマンのトランペットソロは、男の心に拡がる荒野に吹き荒れる嵐のよう。

男はそれでも、今でも少女を探している。
夕闇迫るかわいた街を。

しかし、彼女は行ってしまった。
南風とともに。

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