安心して"狂える”ということ〜姉のスカートをめくる少年の話〜
数日前、僕は姉のスカートをめくる少年だった。
当然、僕を現実で知っている人ならご承知の通り、現実の僕は23歳の大学を休学しているモラトリアム大学生()だ。
けど、その時は姉のスカートをめくる少年だったのだ。
それも、とびっきり可愛い感じの少年の。
こんなスカートをめくるなんて話をしたらその筋からはとてつもなく怒られそうな話だが、事実だから仕方がない。
僕はその時、本当に純粋な、姉のスカートをめくる少年をしていたのだから。
1、なぜ僕は少年だったのか
突然だが、TRPGというゲームを皆さんはご存知だろうか?
TRPGとは、ドラクエのようなRPGの世界の登場人物に自分がなりきってその世界を冒険する、いわば超クオリティの高いごっこ遊びのこと。
ある時は迫り来る魔王軍に戦う勇者になり、ある時は政界の闇をあばきだすスパイになり、ある時は世界を破滅に導く狂気のマッドサイエンティストになる。
目の前に広がる大地を頭の中で想像して、その大地を駆け回ったり、魔法を放ったり、木によじ登ったり、岩を砕くことだって自由にできる。
そんな、自分の冒険したい世界を自分のなりたいキャラクターで遊ぶことができる最高に楽しい遊びだ。
(こちらの動画、TRPGのイメージも伝わるとっても面白い動画だからよかったらご覧ください)
スカートをめくる少年が誕生したのは、そんなTRPGの物語の一つ「とある幸せな家族の話」を遊んでいる時だった。
「あなたたちは、互いが互いを想い合う家族だ。これは、とある幸せな家族の話である。」 https://booth.pm/ja/items/997001
ネタバレになってしまうので、詳しくは話すことはできないが。とある4人家族、父・母・姉・弟に参加者がなって、家族に起こるイベントを乗り越えていくそんなハートフル()なお話だ。
物語では家族の日常を過ごしている中で、徐々にこの物語の核心に迫るとある事件が明るみになる。ほのぼのな日常からドラマティックな世界観へと入り込んでいくはずだった。
けど、そんな事件はそっちのけで、僕はただひたすらに姉のスカートをめくるという目的のために、姉の部屋に忍び込み、姉の後をこっそりつけ、姉にお叱りを受けるそんな可愛いらしい()弟を僕はしていたわけだ。
2、”狂う”が笑いを生む
さて、ここまで読んでくださった読者の方々はおそらくドン引きしているのではないだろうか?
「なんだこの変態は、、、、ヤバいやつだ・・・・」
といった風に。
当然、こんな姉のスカートをめくることしか考えていない少年が実際の社会にいたらどこからどう見ても100%ヤバい。それはもう、曲げることのない事実だと僕も思う。
けれど、このTRPGの世界だと、この姉のスカートをめくる少年は物語にいい味を出す最高に面白いキャラクターとして光り輝いたのだった。
姉の部屋にこっそり忍び込もうとして失敗して転んで笑いが起き。
姉が出かけている際に後ろをつけているのがバレてめちゃめちゃに怒られている時にも笑いが起き。
めちゃめちゃシリアスな場面で洗面台にある姉の歯ブラシを盗んだことがバレて怒られている時に笑いが起きる。
そんな、このある種めちゃめちゃ”狂っている”振る舞いをすることが、ドン引きではなく場を盛り上げる愉快なフレーバーとして機能をしていたわけだ。
3、安心して”狂える”ということ
昨今、心理的安全性とか、ありのままを大切に、ということで対話や場づくりみたいなことがクローズアップされている。
自分の中にある本当に感じていること、表現したいことを表現することができるのならそれほどの幸いはないのかもしれない。
けれど、きっとそんな場所でも、「姉のスカートをめくりたい」って言ったり実際にめくり出したらさすがにドン引かれるし、制止されると思う。
いやむしろ逆にそれすら受け止められて「そうですか、あなたはスカートをめくりたいんですね」って穏やかな顔で返されたり、「そうですか、じゃあ実際にめくってみましょう」となって実際にスカートをめくるワークショップが始まろうものなら、そう返された僕がドン引きしてしまう気さえする。
ありのままを大切にする場所でも、出していいありのままと出しちゃいけないありのままってどうしてもあると僕は思うのだ。
この”狂いたい”って欲求、きっとここまで読んでくださった読者の中にもあるんじゃないだろうか。
僕にとってそれは、姉のスカートをめくることが”狂いたい”欲求を満たす振る舞いだったわけだけど。
例えば、普段はめちゃめちゃクールに振舞っている人にとっては、山の番人が「ここには立ち入ってはいけません」って言われていることをあえて破って山に侵入したり。一緒に冒険している仲間をわざと罠に嵌めるといういたずら心みたいなものを表現することが、”狂う”ってことなのかもしれないし。
例えば、普段は内向的で人と話すことが苦手な人にとっては、ユーチューバーのキャラクターになってめちゃめちゃハイテンションでしゃべり倒すことが”狂う”ってことなのかもしれない。
例えば、普段は恋愛とか苦手で女性に話すことが苦手でおどおどする人にとっては、チャラ男のキャラクターになって「お姉さん、ちょっとそこでお茶しない?」っておどけて見せることが”狂う”ってことなのかもしれない。
きっと、この”狂いたい”って欲求を表現するためには、心理的安全性とかありのままっていう感じの雰囲気ではなくて。茶番を大切にする、”狂う”を楽しみ笑いに変える、みたいなそんな雰囲気がきっと大切なんだと僕は思う。
「きっと僕のこのちょっと”狂ってて”おかしな感性も、この場所だったら笑いに変わる。茶番として受け止めてくれる。」
そう安心できることがこのTRPGにとっての最大の魅力なんじゃないかって僕は思うんです。
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