奎文初

ノンビリ、気の向くままに、書きたいことを、書ける時に書く。ここではそれが目的です。

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マガジン

  • 変哲もなく、非凡なバンド―999

    パンク史上、最もメジャーなカルト・バンドについての雑文集

  • インド紀行

    20歳の時に行った、実質唯一の旅の、切れ切れにしてへたれな思い出

  • 『ever fallen in love-』

    ピート・シェリー~バズコックスの、おそらくは現在最良の評伝

最近の記事

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私の大学時代事始め

今はどこの大学でもネットのホームページがあって、大学に関する情報をわんさか伝えてくれる。私の大学にもホームページが当然のようにある。講義一覧や教職員のプロフィールがこまごまと載っている。食堂やら図書館などの施設についての説明も動画付きで実に細かい。なによりそうした施設の映像やら写真やらが実に綺麗で、まるでどこかのアミューズメント・パークの如きであり、軽い眩暈を起こしたほどであった。 「あのころとはまるで違う・・・・」 私は、なんだか自分が浦島太郎になったような気分

    • 砕け散る石に貼りつく苔ありき―ブライアン・ジョーンズ

      「・・・・俺も、持っていたな」 先日たまたま、YouTubeの待ち受けに、ブライアン・ジョーンズの映画を紹介している方の動画が貼りついていた。その方が手に持っている本を見て発したのが、冒頭の言葉である。押し入れから引っ張り出し、最初のページから読みだした。何十年ぶりだろうか。高校時代、あれほど熱心に読んだのに、くだんのYouTubeを見るまで、この本の主人公である男の事をすっかり忘れ去っていた。だから当然、今年2024年に公開されたという映画の事も、全く知らなかった。

      • 歳食っちゃ悪いか?-U.K.SUBS

        世間で問題になっている「老害」に真っ向から異を唱えるかのような表題になってしまったが、いい機会である。本題に入るマクラとして、「老害」について思う所を述べてみたい。 誰が言っていたか忘れてしまったが、人は年を取ってくると脳みそが固くなって柔軟な思考が出来なくなり、それが原因で老害になるのだという。一理あると思うが、私の見立てでは、そもそも老害を起こす人間は、若い時から人格上問題を持っているものである。若いときに害を与えないとみなされていたのは、単に運が良かった

        • 最後のリアルタイム・ロックーエラスティカ

          表題だけを見れば、何だかかっこいいが、つい数日前まで、エラスティカについて私は殆んどその情報を持ってはいなかった。それほど熱心に聴いていたわけでもなかった。つい2年ほど前まで、その存在をまるっきり忘れていたくらいである。家を片付けていて、押し入れの中からたまたまCDを見つけ出し、ああいたわなあこのバンド、と感慨にふけった、その程度の関わりでしかない。それなのに、なぜ今この場でエラスティカを書き記したくなったのか。 どんなに微細のものでも、そのひとつひとつは、己

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        私の大学時代事始め

        マガジン

        • 変哲もなく、非凡なバンド―999
          9本
        • インド紀行
          20本
        • 『ever fallen in love-』
          36本

        記事

          猫にまつわる記憶(二)

          私の実家にも、私が物心ついた時にはすでに、野良猫が徘徊していた。彼らは平然と家々の間を行き来し、時にネズミを捕り、時に花壇を荒らし、時に恋のさえずりをした。そして裏庭に、ここが我が縄張りだとばかりに小便や糞を残していくのだった。それがまた臭くって、家人はぶーぶー文句を垂れた。やがて家には、猫が嫌うという匂いを発する薬がまかれた。猫は我が家には寄りつかなくなった。しかしその分、両隣の家にはより頻繁に足を向けるようになったようで、お隣さんからは「あたしんちも、あの薬まいた

          猫にまつわる記憶(二)

          猫にまつわる記憶(一)

           20代の終わりから6年ほど、横浜で暮らしていたことがある。新横浜の駅から歩いて20分くらいのところにあった小さなアパートである。私の住んでいたのは、坂の多い街であった。ちょっと歩くだけで坂が目に飛び込んできた。しかもその坂がどれもやたらと距離があって、呼吸器系の思わしくない私にとっては難を感ずる地形に思われた。夜中出勤の際、さんざん働かされ夕方になって会社を出て、家に向かう坂を上っている時に、夕日がぽーッと浮かんでいて、私がのろのろと坂を上がるのとは反比例的にノンビリ下って

          猫にまつわる記憶(一)

          孤独には耐えられた―ポンコツの高校時代

          「貧乏には耐えられる。でも、さみしさは、さみしさには耐えられない」 これはウィキペディアに掲載されているオノ・ヨーコの言葉だが、私とは、その心のありようを巡って、ずいぶんと懸隔がある。それよりも私には、漱石の『心』に出てくる「自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、其犠牲としてみんな此の淋しみを味はわなくてはならないでそう」[1]の言葉のほうが、はるかに説得力がある。ヨーコと漱石。どちらの言葉も真実なのだろうが、私は漱石をとりたい。 生まれた時

          孤独には耐えられた―ポンコツの高校時代

          当落線上

          私は生まれた時、体重が2650グラムだったと、母から聞かされたことがある。誰もが生まれた時につけるのであろう母子健康手帳なるものは、とうの昔に失われているので物的証拠は何もないのだが、もしそれが本当だとしたら、未熟児認定は2500グラム未満であるから、私はどうにか未熟児として扱われずに済んだわけである。換言すれば辛うじて当選、といってよいのだろうか。  私の誕生日は3月26日だが、予定日はその1か月後だったとも聞かされた。つまり私は早産だったのである。母は私を身ごもっ

          当落線上

          モニモニとは関係なしに―ジェネレーションX

          「あー。モニモニねえ。あたし好きだよ」  そう言って白い歯を見せた同期のコと顔を合わせたのは、たぶん大学の構内ではなかっただろうか。モニモニとは、ビリー・アイドルが1987年に大ヒットさせた「モニ―・モニー」のことを指す。学部学科が同じであったからよく講義が被った彼女は学内で人気があって、常に一定の取り巻きの男たちがいた。そういう連中と、よくロックの話で盛り上がっていて、同じ教室の、離れた所でそれを聞かされていたのである。私はその会話の中に普段は入らなかった。理由は簡単である

          モニモニとは関係なしに―ジェネレーションX

          Pop rubbishではないー999の80年代『FACE TO FACE』

           本稿は前作『13TH FLOOR MADNESS』から1年4か月振りの1985年3月に発表された999のアルバム『フェイス・トュ・フェイスFACE TO FACE』についての、例によって私の勝手な所感である。今のメディア、パンクのファン、いや999のファンですら、『13TH FLOOR MADNESS』と並んで省みることの少ないアルバムなのではないか。全く省みられないわけではない。YouTubeでは全曲分の音源をアップしておられる海外ユーザーが、少なくとも一人はおられるのだ

          Pop rubbishではないー999の80年代『FACE TO FACE』

          Pop rubbishではないー999の80年代『13TH FLOOR MADNESS』

           本稿で取り上げたいのが、前作『コンクリート』から2年7か月ぶりの1983年11月に発表された999のアルバム『13TH FLOOR MADNESS』―以下、『13TH』と略―である。稿を始めるにあたって触れておきたいのが、2022年にキャプテン・オイ!から出たCD2枚組編集盤『A PUNK ROCK ANTHOLOGY』の収録曲40曲についてである。1枚目の全曲、2枚目の序盤3曲が初期作品で占められ、2枚目の後半10曲が90年代以降の作品なのだが、80年代の作品―厳密には8

          Pop rubbishではないー999の80年代『13TH FLOOR MADNESS』

          Pop rubbishではない―999『CONCRETE』

          本稿で取り上げることになるのが、1981年4月にイギリスで発表された999通算4枚目のアルバム『コンクリートCONCRETE』である。まずお断りしておかねばならないのは、現時点でフィジカルな形で本作を入手しておらず、正規の配信サービスでも全曲を入手できず、YouTubeで私的に配信されているものを聴取している状態である、ということである。本来ならきちんと‟作品”を手に入れ吟味したうえで稿を起こすべきなのだが、いつフィジカルを入手できるかわからないし、配信はアテにならず

          Pop rubbishではない―999『CONCRETE』

          Pop rubbishではない―999の80年代①

           パンクの良心的な再発レーベルとして知られるキャプテン・オイ!Captain Oi ! は数々のパンク・バンドの旧譜をボックス・セットにして発売している。封入のブックレットの内容も力が入っているし、そのラインナップはなかなかに壮観で、ヴァイブレーターズにドローンズ、アディクツにビジネス・・・・と、手当たり次第に買ってしまいたくなるものばかリである。こうなると当方の財政は破綻を示すので、十分気を付けなければならない。本稿の主人公、999もボックスが出ている。それも2種類である。

          Pop rubbishではない―999の80年代①

          新譜とは言えないが―999『BISH!BASH! BOSH!』

          「変哲もなく、非凡なバンドー999」を投稿してから、私が所有する999の作品も少しづつ広がりを見せてきた。目下の最新作『BISH!BASH! BOSH!』―日本語表記にすると『ビシ!バシ!ボシ!』か。なんだか冴えない。もっとかっこいい表記はないものか・・・・。訳すと、「サクサクやろうぜ!」となるのだろうか。―をCDで落手し、歌詞を読みながら聴いている。やはり一筋縄ではいかないなとにやりとしてしまう。 今、『BISH!BASH! BOSH!』を最新作と記したが、リリ

          新譜とは言えないが―999『BISH!BASH! BOSH!』

          一冊の本を巡って―その後の独り言

          先だって、ようやっとDavid McNally, Political Economy and the Rise of Capitalism A Reinterpretation(University of California Press,1988)を読み終えた。丸々一年かかってしまったが、アダム・スミス生誕300年の年に終えることができた。これで大学時代から持ちこされてきた―放棄してきたといったほうが正しいが―目標が果たされた。  本書の内容は、基本的に私には肯定で

          一冊の本を巡って―その後の独り言

          一番高価な本

          これまで買った中で一番高い本はと、問いを出されたことがある。さて何であろうかと考え込んでしまった。新刊本で買ったうちで一番高い本ならわかる。本の裏表紙を見ればそこに値が書いてあるからである。ところが古本を含めると判断に困ってくる。  古本には大概、最後のページに値段が書いてあるものだが、ときとして本に書き込みをしたがらない店側の方針なのか、あるいはこの本は売値を店側で統一してあるのか、全く値を書いていない古本がある。こうなると、いちいちレシートを保存していないので、今の

          一番高価な本