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「俺は気に入ってるぞ」-999‘Nasty Nasty’

「セカンド・シングル。アルバム未収録で泣いている人も少なからずいるはず。あんまりゾクゾクしないんだよなあ。思ったほど。むしろ『NO PITY』の方が好きかなあ。『I’Ⅿ ALIVE』にみる緊張感てゆうか、ギリギリの感じがしないんだよなあ・・・。調子に乗ってるとか思ったんだなあ。キャッチーな曲の落とし穴として認識せざるを得ない。ハイ・スピード・チューンだし、どうぞ聴いて判断して下さい。77年てのは凄いけど。有名曲」[1]

 いきなり否定的な引用文から入ってしまったが、今はなき『DOLL』の増刊号の一冊に収録された一節である。この本には、必ずしも肯定的な意見ばかりではない、時には否定的な、辛口な論評も載っている。パンク専門誌をうたっていた『DOLL』であるのに、いやだからこそというべきか、あえて辛口の評を入れてあったから、今回取り上げてみたくなったのである。
 というわけで、999を再びである。ほかのバンド、例えばヴァイブレーターズとかドローンズとか、取り上げたい候補はあるのだが、なんせこの1年近く、頭が999を優先させてしまう。ネットで転がっている海外の(つまり英語の)記事も、999主体に読もうとしてしまう自分がいる(この場合は、英語の勉強のためというのが最大の理由だが)。よっぽど999とは相性がいいらしい。なぜなのであろうとつらつら考えてみると、999は60年代の、ビートルズ以降のブリティッシュ・ロックの伝統を踏まえた楽曲づくりとロックンロールの原初的高揚感とをずっと絶やすことなく保持しているところにあるから、というのが理由なのであろう。その意味では先のバンドにUKサブスやダムド、バズコックスもその範疇に入るのだが、999は他のバンド以上に伝統的な側面が強いように思う。ダムドやバズコックスは、アルバムを出すごとに伝統的なロックンロール・テイストを逸脱する音づくりにも挑むようになり、歌詞作りは一層詩的かつ哲学的になっていく傾向があったし、サブスはプログレやブルース的な味わいが当初から濃厚にあった。ヴァイブレーターズはどちらかといえば、70年代初頭のグラム色が強かった。対して999はより一層伝統的なロックンロール・テイストに忠実であり続けたというべきであろうか。どちらがいいとか悪いとかではない。999のそうした傾向を、今の私がより親しんでいる、というだけなのである。
 ようやく本題に入る。今回は「ナスティ・ナスティ」である。とっかかりとして、先の本を手に入れた経緯から述べておきたい。実は本を手に入れた時期がいつなのか、まともに覚えていないのである。公刊された1998年に手に入れたのか、もっと後なのか、判然としない。たぶん横浜に暮らしていた時期に手に入れたのだろうといえるだけである。手に入れた場所も全く覚えていない。我ながら不思議に思うのは、90年代後半以降、パンクのレコードなりCDはほとんど聴かなくなっていたのに、なぜこの本を手に入れたのかということである。当時は週に一度の休みを取ることすらほとんどできず、寝る暇すらない生活を送っており、本など買って読む体力気力はまるでなかった。それなのに、なぜ買う気になったのであろう。心のどこかに、まだパンクに入れ込んでいた情熱が残っていたからなのか。本はろくすっぽ見ずに、ほったらかしになった。そのまま20数年間、つい2年ほど前に押し入れから見つけ出すまで、忘れ去られたままになっていたのである。表題のセリフは、本に掲載された「ナスティ・ナスティ」評を、その2年前に読んだときに、ふと出た言葉なのである。「ナスティ・ナスティ」が掲載されていたかどうかは、これまた全く記憶になかった。ページをめくっていたら、目に飛び込んできたのである。「載っていたんだね」これが、正直な第一の感想である。そして次に出てきたのが、冒頭の言葉なのである。



本にはピストルズ、クラッシュ、ジャム、ダムド、ストラングラーズのようないわゆる大御所は紹介されていない。あくまで日本で知名度の低い、マイノリティなバンドに焦点を合わせたコンセプトをとっている。[2]バズコックスにオンリー・ワンズ、ドローンズにヴァイブレーターズはしっかり掲載されている。


999は計5枚のレコードが掲載(シングル「アイム・アライヴ」「ナスティ・ナスティ」、アルバム『999』『セパレーツ』『シングルズ・アルバム』)。80年代以降の作品がオミットされているのはやむを得ずか。

 本を手に入れる前には、すでに999というバンドも、「ナスティ・ナスティ」という曲も、知ってはいた。87年のライヴを収録したヴィデオ『FEELIN’ ALRIGHT WITH THE CREW』をすでに観ていたからである。ただ、パンクへの情熱が薄くなっていた時期に観たこと、ヴィデオ自体の内容が当時さほど気に入らなかったということ、これらが相まって「ナスティ・ナスティ」も90年代当時には印象に残らなかった。
 状況が変わったのは、この3年ほどの間である。ほぼ30年ぶりにアルバム『999』を聴き返したのをきっかけに、ほかの曲をYouTubeで聴き、あらためていい曲が多いことに感心してしまった。「ナスティ・ナスティ」もその1曲であった。そして、冒頭に述べた状況に至るのである。「俺は気に入ってるぞ」—

数あるヴァージョンの中で、個人的には77年のシングル・ヴァージョンが一番好きである。

「ナスティ・ナスティ」は、上記の本にもあるように、必ずしもパンク・ファンに無条件で受け入れられている曲ではないようである。いかにもあの時代を象徴するようなスピード感を強調したビート、2分そこそこの演奏時間、繰り返されるコーラス。タイトルもいかにも、である。それが一部のリスナーにあざといと受け取られてきたのであろう。だが、パンクだってそもそも商業音楽である。受けなくては、つまり需要と供給をつくりださなければ生き残ってはいけない。
 ニック・キャッシュはそもそも、偏狭な非商業主義に凝り固まった人ではなかった。音楽はコスモポリタンであるべきであり、パンク(・ロック)はそのコスモポリタンなありようを、最も理想に近い形で具現化した表現である、パンクがコスモポリタンである以上、商業的な面を持つのは必然であるというのが、彼の一貫した主張である。気を付けなければならないのは、彼~999は商業第一主義者ではないということである。売らんがために、自らの節を曲げることまではしてはいないのである。それを証明するのが、以前にも取り上げた「ホムサイドHomicide」をめぐってのBBCとの確執である。[3]「ホムサイド」の件はここでは触れないが、ニック・キャッシュ~999は決して商業主義におもねるアーティストではない。「ナスティ・ナスティ」も、パンクの空気感を音像化させるべく、そしてその空気感を聴き手に認知させようと―つまりある程度(?)は売れようと努めた。その結果があのシングルになった。だが、是が非でも売らんがためにあの内容―音、歌詞、スリーヴ・アートワーク―にしたのではない。表現者として、まっとうな姿勢であるというべきである。


Nasty Nasty


Nasty nasty walk the streets at night
Nasty nasty loocking for a fight
Nasty nasty you're the reason why
Nasty nasty made somebody cry

What the hell is wrong with you
What the hell you going to do
You gonna do

Nast nasty always telling lies
Nasty nasty never really tries
Nasty nasty want to make them pay
Nasty nasty brave to turn away

Nasty nasty rivals blaming you
Nasty nasty all exploitation news
Nasty nasty adding up the score
Nasty nasty what's it really for

Nasty nasty shocking head to feet
Nasty nasty think you're really neat
Nasty nasty into something new
Nasty nasty soon that won't be true

 nastyを辞書で引いてみると、「ひどく不潔な、汚い」「むかつくような」「不快な、いやな」「みだらな」「厄介な」などの意味がある。この曲の歌詞全体、音のあんばいに即して日本語に置き換えると「ひでえよお前ってやつは」となるのであろうか。
 曲が、どのようにして出来上がったのか、ニック・キャッシュ自身が語った言葉は私の知る限り、残されていない。もしかしたらどこかで発言しているのかもしれない。だから歌詞のモデルは誰なのかはわからない。だが少なくともろくでもない人間であろうことは察しが付く。その主人公は気まぐれでトラブルばかり起こし、しかも一向に懲りない奴—男か女はわからない―である。語り手はすっかり辟易しているのがありありとわかる。当時イギリス社会で鼻つまみ者扱いされていたパンクスを観察して、ニック・キャッシュが創作した人物造形なのかもしれない。


ナスティ・ナスティ

ひでえなあ、夜中にうろついて
ひでぇなあ、また喧嘩かよ
ひでえなあ、おまえのことだよ
ひでえなあ、みんな泣きを見てるぞ

おまえ、どうなっちまってるんだ
おまえ、どうするつもりだ
これからさ

ひでえなあ、うそばっかついて
ひでえなあ、まともにやった試しねえし
ひでえなあ、みんなにたかってばっか
ひでえなあ、ふんぞりかえってボッチかよ

ひでえなあ、もう敵ばっかだな
ひでえなあ、さんざ騙しまくったし
ひでえなあ、でっちあげとはったりで
ひでえなあ、もう信用できねえよ

ひでえなあ、すんげえいでたちだな
ひでえなあ、たいしたタマだよおまえ
ひでえなあ、はやりばっか追っかけて
ひでえなあ、すぐにメッキははがれるさ

 語学力の乏しい私の手になるもので、歌詞のニュアンスをうまく伝えているとはとても言えないが、まあ大体はこんな内容ということで、ご寛如いただきたいと思う。


この顔のドアップは、誰?
くぎ打ち機でぐちゃぐちゃにしたメンバー写真を使用したという[4]ところが、まさにパンク感覚。初期の999のレコード・スリーヴ群(シングル最初の4枚とファースト・アルバム)は傑作だが、1枚目「アイム・アライヴ」(の両面)と2枚目「ナスティ・ナスティ」のシングル(の裏面)のアートワークは、いわゆる一般的に言われてきた「のほほんとした999のイメージ」とは大いに異なる。

 「アイム・アライヴ」もそうだが、「ナスティ・ナスティ」も、999のライヴでは定番曲として、必ず演奏されるという。さきに、パンク・ファンすべてに受け入れられていないのではと述べたが、999のファンの間では安定した人気を得ているのもまた、事実であろう。
 そういえば、アマゾンのユーザー・コメント欄に、999がオイ・パンクとの親和性を論じる文言があったが、たしかに、「ナスティ・ナスティ」のコーラス部分には、オイ・パンクへの影響が見て取れる。だが思想面において、ナショナル・フロント~極右思想を自らのアイデンティティとしたオイ・パンクと、右翼思想へのこだわりを持たず、むしろ先にも述べた通り、よりコスモポリタン的な思想を尊重するニック・キャッシュ~999とでは隔たりがあると解釈するのが自然ではないか。[5]
 もう一言。nastyは否定的ななニュアンスを持つ言葉だが、曲はご機嫌である。「おまえ、どうするつもりだ」と聞かれたら、「俺かい?俺は楽しむさ」と答えたい。そう言いたくなるだけの高揚感が、この曲にはあるのだ。



[1] 『DOLL6月号増刊 パンク天国』、(株)ドール、1998年、126ページ。
[2] 前掲書、3ページ、参照。
[3] 詳細は、Full Story by Nick Cash on 999punkband.co.ukに詳しいが、さしあたっては拙稿「999の歌詞への一考察―「ホムサイド」“殺人”の解釈」、参照。
[4] Full Story by Nick Cash.
[5] この件については拙稿「Pop rubbishではない―999『CONCRETE』」でも述べた。