見出し画像

noteでつながった涙の一曲 これぞ音楽の力、noteの力


それは、すごく地味な偶然だった。他人から見たら、とても些細なこと。
でも、私にとっては魂が震えるような出来事がnoteで起きた。

なにげない読み歩きからの 予期せぬ反射

その日、ふと時間が空き、のんびりとnoteの読み歩き。
私は、noteを毎日のルーティンにはしていないので、記事との出会いも"たまたま"になる。

フォローしているけるぼんさんの最新記事「木曜のプレイリスト」を読み進めると、過去記事のリストがあり、この記事⇩が目に留まった。

沢山の過去記事リストの中で、かなり下のほうにあった。
けるぼんさんの記事は愛読しているので、過去記事リストも初めてではないのに、なぜかこのとき、「青空」というキーワードに反射的に心が動いた。

「青空につながる歌」と言われれば、私にとってはこの一曲しかない。
西城秀樹の『ブルースカイブルー』

しかない、のは言い過ぎで、晴れ女でハワイが好きで、青空で元気になれる私は、青空をイメージする歌は他にも沢山ある。
青空でこの歌なんて、ベタすぎる(笑)。
でも『ブルースカイブルー』は、好きとかイメージの次元を超えている。

ちょうど、けるぼんさんの「青空」の記事を見つけたとき、まさに雨上がりの青空がスッキリと広がっていた。
その気持ちよさにつられて『ブルースカイブルー』とコメント欄に書き込んだ。

語り切れない 歌と私との関係

ヒストリーを語ると、果てしないので別の機会に回そう。
西城秀樹は、私にとって公私ともに原点になった人。
中学生でファンになったときは、既に秀樹さんはアイドル期を過ぎていて、『ブルースカイブルー』が発売されたリアルタイム(1978年)の記憶はない。

ファンの一人にしか過ぎなかった私は、20代半ばのとき、人生最大の神様のイタズラが起きた!
なんと、銀行のOLから秀樹さんの仕事に転身!

ファンをとうに超えて、舞台裏から携わる喜びを知り、これが私が「好き」を仕事にする原点。
私にとって、その後エンタメ界で仕事をしていく礎になった。

長年にわたり、テレビでもコンサートでもよく歌っていた『ブルースカイブルー』。
歳を重ねるごとに秀樹さんの渋さや深みが増していき、発売当時の音源で聴く青い若さより、落ち着きのある味わいのほうが、私は好きだった。
その歌声で今でも耳に残っている。

約3年で、私は秀樹さんの仕事を自ら離れた。
あれから20年ちかく経ち、いつしか歌からも遠ざかっていた…。

しかし、2年前に秀樹さんが亡くなり、あらためて曲を聴き直すと、蘇る思い出たちは怖いほど鮮明だった。
あのとき、辞めるにあたって秀樹さんが私に言ってくれた言葉は、今でも私に大きな力をくれている。
知らずのうちに、秀樹は私に沁みついていたようだ…。

やっぱり秀樹はスゴいボーカリスト!あんな才能は、唯一無二!
歌を聴くと、惚れ直すとともに、若かった私の至らなさや、もっと歌えたはず、もっと花を咲かせてほしかったのに、という悔しさや、せつなさやら、感謝やらが入り混じって、得も言われぬ気持ちになってしまう。

『ブルースカイブルー』は、そんな私の喪失感を象徴する一曲だ。
"秀樹の魅力を語るため"、だったら他の曲を挙げる。

「その日」だった偶然…それは必然?

その日は2020年11月26日。
けるぼんさんの「青空」記事の投稿日は今年の2月。私が見つけてコメントしたのは10か月も遅い。

しかし。この日に意味があった。
けるぼんさんが記事でも書かれているようにディエゴ・マラドーナの訃報が伝えられた日だった。

私のコメントへのお返事⇩2つ

スクリーンショット コメント1

スクリーンショット コメント2

私が『ブルースカイブルー』とコメントを送ったときは、"自分のちょっとした思い出"という軽い感覚だった。
でもけるぼんさんのお返事コメントで、私は思わず泣きそうになった。

歌への思いが共有できたこと。
それは、歌が、たまたま、けるぼんさんの心に響く日であったこと。
秀樹ファンでもなく、旧知の友でなくても、「一曲」を通して心がつながれた感覚。


記事投稿日から10か月も遅い、なぜこの日に私はこの記事を見つけたんだろう。一日早かったらまた違ったかもしれない。
その日が、けるぼんさんにとって心動く日だった偶然。不思議さ。
うまく言葉で表現できないけど、思ってもいない感覚。

けるぼんさんらしい温かい言葉に、私にとっての『ブルースカイブルー』がまた特別な一曲になった。

閉ざしていた思いが ほどかれた

音楽は、時間も場所も超える。
しかも、身構えて紹介するでもなく、予測もできないタイミングとアプローチで、私は一つの楽曲をとおして、思わぬ人に、私の「大切な何か」を受け止めてもらえたようで、嬉しかった。
これは、けるぼんさんのお力が大きい。

なぜ私はこんなに感動したか。
実はちょっと苦い経験があるから。

秀樹さんが亡くなったとき、私がファンだった時代を知る学生時代の知人が、「学生時代の友人の"とある人"(←私のこと)を思い出すわー」「あーそうそう、あの人ねー笑笑」とFacebook上でウワサ話をしていた。
悪気はないんだろう。
こっちは相手にもしないけど、それでも心にトゲが刺さった。

他の多くの友人は、秀樹訃報をキッカケに、久しぶりに「どうしてる?」と連絡をくれて久々に飲んだりもした。
「秀樹と言えば私」を思い出されるのはイヤじゃないし、懐かしがって当時の思い出を分かちあえれば、それもいい。
私は昔みたいなファンじゃないし、深刻に慰めてほしいわけでも、お悔やみの気持ちになってほしいわけでもない。

でも、直接連絡をするでもなく遠巻きに、人を嘲笑するかのようなニュアンス、それも人の死に際して「笑」に、強烈な違和感があった。

この一件が、私をますますSNSから遠ざけた。
これを見て憤慨した親友たちからは、「おもしろがられちゃうから、秀樹との貴重な思い出をFBとかで言う必要ない。彼女たちにはあなたの本当の気持ちなんかわからないから」と言われた。
こんな友が一人でもいれば充分だ。
秀樹の話題はSNSでは言うまい、私の胸にしまっておこう、と誓った。

そして私自身も、他人の気持ちや状況を推しはからずに、軽々しく発信する罪深さを実感し、SNSでの振る舞いには慎重になった。

それが、今回noteで、何かがほどけたような、救われたような気がした。
旧知の仲でもなく、会ったこともなくて、ほんの些細な言葉のやり取りでしかないけど、そんな距離をサラッと超えて。

noteだからこそ実現できた音楽と心のシェアだと思う。
やっぱりnoteは、他のSNSとは違って、深いところでつながれる。

そして、多くを語らずとも心がつながれる、これこそが、音楽が持つ力。
たかが一曲、されど一曲。
今さらながら、秀樹の歌がこんな風に届いたことも嬉しい。

けるぼんさん、ありがとうございます。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?