どんなことも「転ぶ」から「歩き方」を覚える
数年前までは、フィギュアスケートの現場で取材していたことが懐かしい。
スケート選手から人生訓として思うことがある。
どんなスゴ技も、初めは「転び方」から習う
いとも簡単にスゴイ技を繰り出すスケート選手も、誰もが最初は初心者。
初めてのスケートレッスンで習うのは「転び方」だと聞く。
先生からわざと転ばされて(危険のない範囲で)、ケガをしない転び方(体の受け身体勢の作り方)や、立ち上がり方をまず教わるそうだ。
スケートでは転倒はつきもの。
転ぶこと前提に、まずは「転び方のコツ」を知っておけば、難しい技に挑む際にも怖がらずに思い切って体を使える。
実はスキーも同じ。
私は8歳で初めてのスキー教室で、まずは「転び方の基本」を教わった。
斜面と身体の方向、足の曲げ方、立ち上がり方、スキー板が外れたとき。
まずはそれを身体で覚えておけば、上達して急斜面で転んでも、慌てずに済むし、大けがも防げる。
考えてみたら、子どもの頃はしょっちゅう転ぶ
スケートやスキーに限らない。
私たちは、生まれてから、ハイハイになって、つかまり立ちして、ヨチヨチ歩き。
頭が重いから、しょっちゅう、コテッと転ぶ。イスの上から平気で転げ落ちて、どっかぶつけたりする。
そして、ケロッと立ち上がる。
私達は、みんなこうやって転びながら、歩き方や立ち上がり方を覚えていく。
大人になった今、あんな転び方したら大騒ぎ!どころか大惨事!
上手に歩いたり走ったりできるようになったぶん、転ぶことが怖くなったし、転びたくない。
歳を重ねると、転ばないように、転ばないように、いつしか無茶もしなくなる。
「転ぶこと」は人をしなやかにしてくれる
失敗するから覚えていく。身体が反応できるようになる。
「転ぶこと」は人生に通じると思う。
転んだことがない人は、転びたくなくて、縮こまってしまう。未知のことは避け、安全圏で無難にいこうとする。
もちろん、それも生き方の一つだとは思うし、誰だって痛い思いはしたくない。
でも「失敗のうちには入らない」ようなことまで、過度に怯えてしまっては、ちょっともったいない。
スキーやスケートで言えば、実際に転んでみたらたいしたことないのに、大ケガでもしちゃうんじゃないか、と思い込んでしまってるような。
でも、転んだことのある人、つまり、失敗したことがある人は、立ち上がり方も知っているから、次の歩き方が違う。
「ここまでやったら転ぶ」「ここまでなら転ばない」みたいな、自分なりの加減を覚え、だんだん耐性もついてくる。
だから、たくさん転ぶほうが、結果的に、様々な場面への柔軟性もできて、自分の可能性の幅を拡げてくれる。
転んでみて初めて知る自分も沢山ある。
失敗のない人生なんてあり得ない=転ばない人生なんてあり得ない。
失敗やら挫折やら、思うようにいかないこと、心折れることは必ずある。
予期できることもあれば、不意に転んでしまうこともある。
スケートやスキーみたいに、人生に転倒はつきもの。
私も、20代半ばで転身をしてから、どれだけ転んできただろう。
悔しかったこと、心折れたこと、理不尽さに憤慨したこと、なんだかうまくいかない…など。
その時は、衝撃的な大惨事!一生歩けない!ような気がしたけど、意外とケガはしてなかったよ、みたいなこともあれば、時が経てばスッと立てたり。
必要なのは「転ばない頑丈さ」ではなくて、「上手に転ぶ柔軟性」
転ぶことは、必ず何かを教えてくれ、自分の幅を拡げ、しなやかにしてくれる。
転び方を知っている人は、人の痛みもわかるし、豊かだと思う。
++++++
再び、スケートにたとえれば。
羽生結弦選手はじめトップ選手が、あんな高難度の4回転ジャンプを試合で成功できるのは、1本の成功のために、数百本も転んでいるから。
それも、やみくもに転ぶのではなく、転ぶたびに、どうしたら転ばないかを学んでいるから。
彼らの練習は、痛々しくなるほど、氷に身を打ち付け、ドロくさい。
あの羽生選手だって、転ぶことを恐れたり、恥ずかしく思っていたら、あれほどの4回転の成功はない。
私たち。
ストイックに自ら転ぶ必要はないけど、
転ぶことを過度に恐れたり、恥ずかしく思わないほうが、可能性は拡がる。
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