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【特別対談】女優・島田歌穂 × 仏文学者・鹿島茂 ミュージカル『レ・ミゼラブル』を10倍楽しむための読書術【1/3】

日本では『ああ無情』というタイトルでおなじみ、ヴィクトル・ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』。1987年の日本初演以来、ミュージカルのかたちでも日本で親しまれてきました。今年は4月から東京、名古屋、大阪、福岡、北海道と順に上演され、7/29、九州・博多座公演を初日を迎えました。書評アーカイブサイト「ALL REAVIEWS」では、今年の公演を記念して、初演より1,000回以上エポニーヌを演じた女優・島田歌穂さんと、フランス文学者・鹿島茂さんの対談を実施。ミュージカル初演のエピソードに始まり、原作と舞台との細かい違い、バルジャンが少年から取り上げた40スーは今だといったいいくらだったのか……といったマニアックな話まで、ミュージカルファンにもレ・ミゼラブルファンにも必読の対談です。全3回に分けてお送りします。

鹿島さんと島田さんの出会い

鹿島:よろしくお願いします。鹿島茂です。
今回は島田歌穂さんと一緒に「月刊ALL REVIEWS特別篇」をお送りしたいと思います。みなさんどうぞよろしくお願いします。

※月刊ALL REVIEWS:フィクション部門は豊崎由美さん、ノンフィクション部門は鹿島茂さんをメインパーソナリティとした「ALL REVIEWS友の会」会員限定の書評番組。「ALL REVIEWS 友の会」は、書評サイト「ALL REVIEWS」のファンクラブ組織です。

鹿島:島田さんとは、実はご縁がありまして、「レ・ミゼラブル」の初演が行われたその少しあとですね、あの時に月刊誌で対談をしたことがありまして、それ以来ですね。

島田:もう30年近く前かもしれないですね(笑)。

鹿島:もう32年ですね。それで僕もちょうどその時に、『レ・ミゼラブル百六景』という本を書きました。これは僕の最初の本なんですね。

島田:そうなんですね!

鹿島:翻訳は前にもずいぶんあるんですけど、自分の名前の著書ということではこれが最初だったんです。これはなぜこういうふうに出たか、その経緯を話しますと、僕がフランスから帰ってきたのが1985年なんですが、帰ってからしばらく経つと、(『レ・ミゼラブル百六景』の表紙、コゼットを見せながら)町中にこの看板がいろいろ出てきたんですね。

島田:ちょうど出始めた頃ですね!

鹿島:それで、「あれ?これ僕が買った本の中に入ってるよねー」と思って、実はですね(後ろの書棚から古書を取り出し)、ここに、ちょうどこの本があります!

島田:美術のセットみたいですが、本物の、先生のご本なんですね!

鹿島:はい、この本を買って、「そういえば、あったな」と。(古書を開いて「コゼット」の挿絵を見せる)

島田:これは感動!(拍手)

鹿島:これを知り合いの文藝春秋の編集者に話して、「これを持ってる」と話したら、「それを使って何か本にできませんか?」ということで、僕がここから挿絵を選んで、話をつないでいく、という。
最初はあらすじだけだったんですが、やっていくうちに、編集者と「それではつまらない」ということで、もっと深い解説なりなんなりをつけないと、と。
ただし条件がありまして、半ページなんですね、見開きで。絵が半ページ、解説も半ページ。半ページだけで解説をしなくてはならないという制約だったんですが、その時に運良く、ワープロというものに出会い、私はそれを18万円で買いました。

島田:当時、出始めだから高かったんですね。

鹿島:ちょうどこの字数に合うようにワープロができたんで、これを書くことができたんです。

島田:そんな経緯が!

鹿島:それで、このミュージカルの初演に何とか間に合うように。87年7月に間に合うように、前年度から突貫工事で1日24時間働く感じで(笑)。それで書き上げたのがこの最初の本なんですね。
その後、文庫になった時に増補しましたが、処女作にはその人のほとんどが現れるといいますが、その通りで、僕もここから全部スタートしてます。

島田:こちらのまえがきで、「『レ・ミゼラブル』をそれまであまり読んでいなかった」とありました。

鹿島:そうなんです。『レ・ミゼラブル』って、フランス文学をやってる人間は軽蔑してて。

島田:軽蔑ですか?!

鹿島:大衆小説ということで、研究の対象にしている人は1人もいなかったんですね。

島田:そうなんですか?

鹿島:その当時は。意外なんですが、結構そういうもんなんです。本というのは、わからない部分がないと研究の対象にならないんです。

島田:あーそうか!

鹿島:謎を研究するっていうのが、研究というもの。『レ・ミゼラブル』はある意味とても分かりやすいでしょう。面白いとかそういうのだと研究の対象にならない。
『レ・ミゼラブル』は誰もやった人がいなかったので、僕が書こうとしたら、参考書ゼロという状態。どうやって本書きゃいいんだという感じで、一生懸命、僕の持っているわずかな資料を総動員してなんとか書き上げたんです。

島田:そのおおもとがこの本なんですね!

鹿島:そうなんです。これなんですね。これを見ているとやっぱりこういう形でイメージが喚起されますね。

島田:この挿絵の力が凄いですね。

鹿島:この挿絵の力というのが凄かったんですね。

島田:本当に、先生のこのご本はやっぱりとてもこの挿絵が多いとすごく本当にイマジネーションがすごく助けてもらうとか、ばーっと 読みやすくそしてすごくイメージしやすく…。

鹿島:そうですね。こんなにね、360枚、これだけ挿絵の入っている本は珍しいんですね。

島田:そうですよね。これもすごく参考にさせていただきました。

鹿島:それで、僕がこれを書き上げたときにね、まだミュージカルのああいうのは当然分からない訳ですよね。で、これを書いていて、この中で、最初はですね、コゼットがヒロインなんですね。で、真ん中辺くらいから、エポニーヌのほうに段々重点が移ってきちゃうんですね。そのこともちゃんとここに書いてあります。

島田:はい。

鹿島:ユゴーの視点がですね、エポニーヌ中心になってきている、そういう風なことを書いていて。

レ・ミゼラブル日本初演エピソード

鹿島:それでミュージカルが始まったので、僕も招待状をいただきましたので、観に行きました。そして、そのとき色々な新聞の評価が一斉に出ましたよね。

島田:はい。出ましたよね。

鹿島:そうしたら、皆島田さんを激賛しているの。それがもう、事実本当にそうだったんですよ。最初のときにね、これ(本を指さしながら)最初の頃のスタッフが色々資料に出ていますけれども、皆有名人ですよね。

島田:有名人!(笑)

鹿島:鹿賀丈史さんとか、岩崎宏美さんとかね。

島田:そうです、そうです。もう皆さんスターばかりでいらっしゃって…。

鹿島:そうですよね。あれオーディションやったんですけど、一応公開、完全公開オーディションですよね。

島田:はい。もう本当に老若男女プロアマ問わず…。

鹿島:うん。

島田:全国から1万2,000人くらいの応募があったそうなんです。それで、多分先生がご覧になられたポスターというのは、金色の大きなポスターだったかと…。

鹿島:そうだったかな。わかりません。

島田:金色の大きなポスターで、真ん中にコゼットの絵があって、確か「あなたに白羽の矢が立つ」っていう凄いキャッチコピーで。
「何だろう?」と思って見たら、大々的なオーディションが行われると。それで、主な役柄がわーっと書いてあって。ジャン・バルジャン、ジャベール、ファンティーヌ、アンジョルラス、マリウス…。それで、年齢からいうとコゼットかエポニーヌかなと。

鹿島:うん。

島田:私、全然知らなくて。「レ・ミゼラブル」のこと。ジャン・バルジャンくらいしか知らなくて。で、コゼットの方が美しく清純な乙女って書いてあったんですね。「これちょっと違うな…」って思って(笑)。
で、エポニーヌが明るく気丈な性格って書いてあって、「あっ、こっちだ」と思って。それでエポニーヌで応募したんですね。でも、あまりに大々的なオーディションでしたし、大きな作品でしたし、これはもうスターの方が主な役はされるに違いないと。

鹿島:うん。

島田:でも、海外から錚々たるスタッフがいらして、オーディションということで。これはどこまで自分の力が認めてもらえるのか、運試しというか…。まあ参加することに意義があるという思いで応募したんですね。
そしたら一次、二次、三次、四次…「ええーっ」(口を覆う)っていううちに、エボニーヌの役を頂けることになったんですね。
ちょっと初日が明けるまで、夢の中の出来事…。

鹿島:ああ…。本当になんというか、シンデレラガールっていうかそういうふうな…。もちろん実力があったからなんですけれども。
あれは本当に外国人のスタッフが来られて、日本の事情なしでのオーディションですよね。
それでミュージカルがスタートするわけですけれども。このエポニーヌのですね、このミュージカルの構成もそうなんですけれども、やはり歌唱力が圧倒的っていうですね、その当時の色々な新聞の劇評とかそういうのがありまして、これで一気に話題になったわけですよね。

日本のミュージカルとレ・ミゼラブル

鹿島:そして、もうこれで僕の感じだと日本のミュージカルというのが定着したのが、この「レ・ミゼラブル」じゃないかなという気がしますね。


島田:そうですね。すごく大きかったと思います。まずそのロングランシステムというのが、そのちょっと前くらいに劇団四季さんの「キャッツ」が始まったくらいで。

鹿島:はいはい。

島田:「オペラ座の怪人」が重なっていたか、ちょっと定かではないんですが。

でも、とにかくこの「レ・ミゼラブル」という題材も題材ですし、それが今海外でものすごくセンセーションを巻き起こしていると。それがいち早く日本にくるということで。で、そのロングランシステムというのは非常に…多分、衝撃的だったというか…。

鹿島:そうですね。

島田:一石が投じられたというか。

鹿島:これ、僕は東宝の事実上創業者である小林一三さん、宝塚歌劇の創業者ですね。その方の伝記を最近出したばっかりなんですね。


島田:そうなんですか!

鹿島:それで、小林さんはね、長い間、宝塚、女性だけの劇団だったのを、男性を入れるという試みをずっと続けていたんですね。で、途中から、むしろ女性だけのほうがいけるんじゃないか、という形で、宝塚は女性にしたんですけれども。でも男性を入れた、国民劇と彼は命名しているんですけれども、そのミュージカル版をやりたいっていう願いはね、ずっと持っていたんです。

島田:そうなんですね…!

鹿島:だからそれが、戦後、秦豊吉さんという方が、東宝ミュージカルというものなんとか作ろうと思いまして、戦後試みたんですね。それが、だから長い間試行錯誤をしていて、このですね、「レ・ミゼラブル」で本当に開花したと。だからこれも、小林さんの夢の実現という感じになると思いますね。

島田:そうなんですね…!

鹿島:はい。島田さんは、「レ・ミゼラブル」最多出演に近いんじゃないですか?

島田:どうなんでしょう…? その後、まだ私が卒業してからも続けてらっしゃる方もおられるので、今は分からないですけれども。一応、1987年の初演から2001年までずーっと続けさせて頂いて。1,000回を超える数をやらせていただきました。

鹿島:すごいですね。

島田:その後も特別公演というのがありまして、飛び飛びで。本当に卒業したのが2009年…? ぐらいだったかな? すみません。それで、全部で1050何回とかくらいだったかな…と思います。

鹿島:すごいですね。それで世界の「レ・ミゼラブル」のベストメンバーですね、オールスターの投票みたいな感じで、ベストメンバー、エポニーヌ役のベストメンバーにも選ばれていらっしゃいますので、それぐらいにエポニーヌをですね、一気にカードをですね、高めたということなんですけれども。

日本と舞台芸術、パリと舞台

鹿島:その後、今、島田さんは、大阪芸術大学で舞台芸術科の教授をされている…。

島田:すみません、もう、名ばかりで…。本当にあの、先生を前に私、本当に何も申し上げられないんですけれども(笑)。大阪芸大の舞台芸術学科のミュージカルコースというところで、私は歌の実技の授業を担当させて頂いています。

鹿島:そうですね。日本でもね、舞台芸術とかミュージカルという、それを教える機関というものはなかなかなくてね。

島田:少ないんですよ。はい。

鹿島:これは、絶対ミュージカルの、特に舞台芸術というものは、これからみんな、インターネット時代を迎えてリアルのものを求めるという傾向がとても強いんですよね。だから、フランスのパリなんかに行くとですね――僕なんかもう30年以上行っているんですけれども――行くたびに劇場が増えているんですよ。

島田:そうですか…!

鹿島:すごい数なので。映画館がなくなって、劇場にみんな行っちゃうんだね。

島田:映画館がむしろなくなっているんですか?

鹿島:そうなんですね。映画館だったところが劇場になって。ほんとにちっちゃな小劇場で、こんな小劇場でやっていけるのかと思うと、それが結構、3回転ですね。1日3回転、回すんですよ。7、9、11――夜の11時から始まるというですね、

島田:3回転!すごいな…!

鹿島:それぐらいみんな、劇場に行くのに熱心で。だから本当に、ミュージカルもいきなり素人集団が始めたものがヒットするとかね、そういうふうなの。

島田:アツいんですね、そういう意味で、芸術市場が。

鹿島:アツいんです。どんどん層が厚くなっていて、行くたびに。さすが、だから時代の見る方向はこっちに行くんだろうなと。多分ニューヨークでも同じだと思いますね。ロンドンでも。

島田:そうか…! でも日本は今本当に、何かちょっと、結構いい劇場がなくなってしまったりとか。

鹿島:そう。

島田:むしろ…日本はもっと増えてほしい。劇場。

鹿島:そうですね。観客がますますアツくなってきていますから。そちらの方面で、だから教育のシステムというものをちゃんと整えなければいけないので、島田さんみたいな方が教壇に立たれているのは。

島田:頑張っています。

鹿島:これ、具体的にどんなことを? 座学ではなくて歌を?

島田:座学はもう、まったく無理です。もうとにかく実技で。体を楽器として、どれだけ最大限にそれぞれの楽器を響かせていくかというようなことで、基本的な発声ですとか、あとは、ミュージカルの歌は全部とにかく「ミュージカルとは芝居である」ということが大前提で。私は歌なので、歌の歌詞を全部セリフとしてとらえて、どうやって歌詞を芝居として伝えていくか、表現していけるかというそんなことを、いろいろな曲を通しながら、一緒に、私も学ばせてもらっているという感じです。
私は音楽大学を出たわけでもなく、本当に現場で教わったことしか、体感してきたことしかないので、本当に私が伝えられるものを伝えさせてもらうという、そんな授業になっております。

鹿島:いいですね。学生さん羨ましいですね。

島田:ええ、そうかな…どうなんだろう。

ミュージカル化きっかけに生まれた「レ・ミゼラブル学」

鹿島:さて今日の課題本はですね、「世紀の小説『レ・ミゼラブル』の誕生」。これは2017年にデイヴィッド・ベロスという、イギリスのフランス文学の先生が書かれた本なんですね。

この先生も最初はレ・ミゼラブルに関心がなかったんだけれども、読んでみたらこれだけ面白い本はないということで、これを徹底して本を作られた。このレ・ミゼラブルというのは、ミュージカルができてから、何と言いましょうか、「レ・ミゼラブル学」というものが成立したようなんですね。

島田:ああ。

鹿島:というのは、「シャーロック・ホームズ学」というものがありますね。シャーロック・ホームズに書かれたことを細かなことまで一生懸命研究して、学問としてみんなで語り合うという。それと同じようにレ・ミゼラブル学というものが成立して。

島田:そうか…!

鹿島:僕のこの「レ・ミゼラブル百六景」もそれにかなりお役に立ったと思うんですけれども。この中で、この先生はいろんなことを語られています。主に二つありまして、一つはレ・ミゼラブルというドラマの中の現実ですね。もう一つはこのレ・ミゼラブルを書くユゴーの、そちらの方の現実ね。それを両方、交互にという感じで語られていて。
僕の本は、レ・ミゼラブルの外側のほうは、これだけの本ですからあまり扱っていないんですが、これ、いろいろ面白かったですね。

島田:面白かったです!ヴィクトル・ユゴーという方の生き様というか、本当にそこに初めてじっくり触れられたなということと、あとはやはり、レ・ミゼラブルにかけた歳月――間がすごくあきますよね。でも、よし、じゃあもう出そうってなる出版者の方との出会いとか、いざ出そうってなった時の、どうやって書いたか、どうやってその原稿を届けたか、やりとりを――直してまたどうやりとりしたかとか、ものすごい、こんなに壮絶な…!

鹿島:壮絶なんですね。

島田:ドラマがあったんだなと。

鹿島:レ・ミゼラブルというのはすごい大長編で、それを一気に書き下ろしで書きましたね。

初回原稿料3億円!?

鹿島:ちょっと補っておきますと、レ・ミゼラブルをユゴーが最初に書き始めたのは1840年代――45年ぐらいからなんですね。48年にだいぶ書き終えようとしていたらそこで二月革命という革命が起こって、その後、ユゴーは政治に関わってしまいますので。
その次に、今度はナポレオン3世が登場したことによって亡命をしなければいけないというので、原稿を持ったまま亡命先のジャージー島とガーンジー島という英仏海峡の島に移るわけですね。そこの島はですね、今では意外なことで有名なんです。タックスヘイブンなんですね。

あそこの小さな2つの島というのは、これもちょっと余談なんですけれども、あれはイギリスの王室の領土なんですよ。イギリスの――グレートブリテンの、イギリスの国の領土ではなく、イギリスの王室がですね、

島田:王室の領土…!

鹿島:うん。王室は所有していた領土で。それから、今のイギリスの王室って、フランスのノルマンジー公ウィリアム、ギヨームという人がイギリスにわたってウィリアム1世としてノルマン王朝を築いたんだけれども、そのノルマン王朝の一番古いのが残っているのが、その2つの島なんです。

島田:へえ…!

鹿島:だから一番古い、古ノルマン語というのに近い言語を住民は話していると。まぁここにも書いてありましたけれども、そういうようなことでちょっと有名なところなんです。
そこにユゴーは、帰国を拒否して原稿を書きます。で、このレ・ミゼラブルの前の原稿を取り出して、それを書き加えていく。あるいは完全に書き換えちゃう。というのがレ・ミゼラブルができるわけですね。
で、それを出版しようとするときにこの、従来の出版者だったエッツェルという人に、お前いくら出すんだって言って。そしてエッツェルが大体これぐらいです、と。んー、まったく合わないなというので、ラクロワってベルギーの新しい出版者がやってきて、ユゴーの言ったものすごい金額。30万フランという――これ、僕の計算だと、今でいうと3億円。

島田:え…!

鹿島:この人は、イギリスの計算で4億5000万と言っているんですけど、これはね、最初の渡し金で今まで最高額の契約なんです。

島田:手渡しですよね。

鹿島:それ以後、これを超えるものは誰もいないという。

島田:手渡しで3億円。

鹿島:そう。

島田:そうか、それぐらいの価値があるものを私は…!わからなかった。

清書は愛人と妻の妹が!?

鹿島:だけど、その契約を結ぶと日本だとけっこう融通がきくんだけど、向こうだと何月何日までに渡さなきゃいけないということで、これを破るとどんどん自分のお金が減っていくんですよ。
だからユゴーはね、なんとしても書かなきゃいけない...それから当時はもちろんワープロもないですから、ユゴーはこうまるで記号のようにですね、書き加えるわけですね。それを清書する。

島田:解読して清書しなきゃいけない。

鹿島:これをですね、やった人がここにも出てきますけど、愛人だったジュリエットさん。それと、そのジュリエット・ドルエだけでは足りないので、奥さんの妹さんも呼んで、2人でずっとこう清書する...迫真のドラマが描かれてますね。

島田:ほんとにすごい詳細に書かれていますね。せっかく清書したのに、また一回校正してもう終わったと思ったらまた後から!

鹿島:また書くんですよね。

島田:あと冒頭の部分はなかなか書けなくて、そこを書かないとページ数が決められないっていうね。

鹿島:(笑)そう、ノンブルが書けない。それと、ユゴーは第二章の冒頭でワーテルローの戦いを書き加えるんですね。

島田:うんうん。

鹿島:これがけっこうのちのち「レ・ミゼラブルにかなり効いてくるんですね。テナルディエが登場するっていうですね。

島田さんが演じたエポニーヌは、テナルディエの娘。そのテナルディエの子どもたちの話が続きます。続きは【2】をどうぞ。

※このインタビューは、「月刊ALL REVIEWS」特別対談として 2019年4月17日に実施されたものです。当日の様子は、こちらの動画をご覧ください。

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【文字起こし(ALL REVIEWS サポートスタッフ)】
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【この記事を編集したひと】保田 智子
出版業界の各レイヤーを放浪したのち、ここにたどり着きました。友の会SNS運営をお手伝いしています、覆面メンバーTです。
読んで価値ある本を人にオススメするのが、大好き。
仕事と子育てしつつ、読書時間とミュージカル鑑賞時間を捻出することばかり考えています。

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