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3年ぶりの家族

3月初旬、実家に帰った。

地元を後にするとき
「家族にはもう一生会わなくてもいい…」
と本氣で思っていた。

「次、実家の門をくぐるのは父か母のお葬式の時かもしれない」
そんなことすら思っていたのに。

きっかけをくれたのは妹だった。

「今、お父さん優しくなってな。お母さんの爪切ったりしてるんやで。これまでの2人からは想像できへんやろ。穏やかな時間が流れてるからいっぺん帰ってきたら」

とのメッセージとともに認知症の母と、母をやさしくみつめる父の写真が送られてきた。

いつも神経をとがらせ母のやることなすこと頭ごなしに否定する父。
最初は耐えていても父の暴言に耐えきれなくなり怒り始める母。
喧嘩の絶えないピリピリとした空氣の流れる家庭だった。

私は幼いころからそんな2人をつなぎとめる役。
威圧的な父から母と妹を守るのが自分の役目だと思ってきた。

そんなふうに立ち回ってきたゆえ、私の心は家族に占領され境界線なんてあったもんじゃなかった。

3年前、私の心は崩壊した。

オットと経営していた飲食店を辞め「さぁ次は何をしようか」と思っていたところに父が地元に戻って来いと言ってきた。

表向きは、両親が経営していた美容室を継いでほしいと言っていたものの、認知症が始まった母の行く末が不安で近くにいてほしかった、というのが本音だったのではなかろうか。

父の言う通り一旦は実家のある滋賀に転居したものの、両親や妹夫婦との価値観の違い、店の経営方針の意見の食い違いなど、色んな問題がいっぺんに押し寄せてきて1年を待たずに私は壊れた。

そしてもう家族とは会わないと決め、地元を後にした。


あれから私は自分と向き合い「本当の自分」を取り戻している最中だ。

家族との境界線をちゃんと引きたい。
家族の一員としてではなく、1人の人間として生きていきたい。

そんな思いが強かった。

だから誰とも会いたくなかったし、この先会わなくてもいいと思っていた。

強がりではなく本当に。

なのでたまに妹から来るメールにもこたえる氣にはなれなかった。


家族との距離をとり数年が過ぎたころ、母が入院した。

大腿骨を骨折し、病院にいるとの知らせを受けた。

骨折は初めてのことではなかったし、妹が側にいるなら大丈夫だろうと見舞いに行くつもりはなかった。

すると妹がこんなメールを送ってきた。

「お母さん、いつも何にも言わへんのに入院した次の日に智恵美は?って聞くんよ。会いたいんやと思う。認知症も進んできてるし…。お母さんの氣持ち分かってあげてほしい。一度お見舞いに来てほしい」

すぐに病院へ向かった。

久しぶりに会う母はぼんやりとした表情で、ずいぶんとおばあちゃんになっていた。

その姿があまりに切なくて。
涙が出そうになるのを必死でこらえた。

側で妹がやさしく母に話しかけていて、その姿に
「ああ、いつもこうやってやさしく接してくれているんや」
とありがたく感じた。

そこに父はいなかったけれど妹から
「お父さん、毎日ここ来てお母さんの顔、熱いタオルで拭くんやで。信じられへんやろ笑」
と聞き、また泣きそうになるのを我慢した。

母は私を見てうれしそうに笑っていた。

病院から帰ってしばらくの間、母の年老いた姿が目に焼きついて離れなかった。
仕事をバリバリとこなし、意気揚々と動いていた母からは想像もつかない今の姿に切なさが胸いっぱいに広がり毎日とても苦しかった。


その後母は施設に入った。

今は家と施設を行ったり来たりの生活をしている。

家に戻っているときは父が母の食事を作り、妹も側についていてくれる。

あの頃とは違った穏やかでやさしい空氣が流れている。

そんな場所に私は戻った。


父と会うのは3年ぶり。
家族4人で会うのもそうだった。

久しぶりに会った父は以前よりまるくなっていた。

「久しぶりやな」とやさしく言い、それ以上は何も聞いてこなかった。

いつもそうしていたようにテーブルを囲んでみんなで座り、最近の母の様子を父と妹から聞いた。

私は驚くほど冷静で、氣持ちがまったく揺れなかった。

施設にいる母のことをかわいそうだとも思わず、母の世話を焼いてくれている父や妹に対しての申し訳なさもなかった。

誰に対しても氣持ちをのっけることなく、事実を事実として淡々と受け止めている私がいた。

実家から戻った後も私の心はずっと凪のまま。

そんな自分にビックリだった。


あれから2週間。

少しわかったことがある。

私はきっと家族との境界線を引けるようになったのだろう。

願っていた通り、家族の一員としてではなく1人の人として生き始めているのだと思った。

家族という舞台で演じていた役を降りたのだ。

私たちは生まれてからずっと家族というコミュニティに属し、そこに行くと当然のように仮面をつけいつもの役回りを演じる。

けれど仮面をぬいだときの自分が『本来の自分』であるということを忘れてはいけない。

長い間役を演じ過ぎるとホントの自分がどれなのか分からなくなる。

何が好きで、何が嫌いで、どうしたいのか?

親の価値観の中に浸かり過ぎて、そんな簡単なことも分からなくなってしまうのだ。

私たちは家族の一員である前に一人の人間だ。

役におぼれて『ホントの自分』を見失ってはいけない。

役を降りた今だからこそ言えること。

もっと自由に生きていい。

あなたは今、自分を生きていますか?

















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