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「事の語り事も此をば」も此をば

割引あり

タイトルは『「ことのかたりごともこをば」もこをば』と読みます。

はじめに

このエントリーは一体なに?

こんにちは!文学エアプ勢のあらんちゃんです。このエントリーはゆる言語学ラジオ非公式Advent Calendar 2023 🔗 20日目として寄稿した記事です。

19日目はゴブリンさんの「ジオゲッサーガチ勢になって良かったことと、抱えてしまった宿痾」という記事です。

21日目はskkさんの「【東海道歩き】静岡を地獄と揶揄する人間は静岡を1割も知らない」という記事です。


イントロという名の茶番

わたしは今、古事記制作委員会と万葉集制作委員会から訴訟を起こされそうになっています。古事記制作委員会はストレージ主任の稗田阿礼やライターの太安万侶を中心としたジョイントベンチャーであり、その成果物である古事記の著作権や原盤権を一手に管理しています。また、他方の万葉集制作委員会も同様にエディター兼プロデューサーの大伴家持を中心とするジョイントベンチャーであり、その成果物である万葉集の著作権や原盤権を一手に管理しています。これらふたつの制作委員会(以下、甲と呼ぶ)が所有すると主張する著作権を、わたし(以下、乙と呼ぶ)が侵害していると主張しています。

その前にアナタ誰?

音楽関係の方面から来られた方はご存知と思いますが、ゆる言語学ラジオ🔗の方面から来られた方や、はたまた広大なインターネッツからこのエントリーをたまたま見つけて来られた方はおそらくご存知ないと思いますので簡単に自己紹介しますね。

通称「あらんちゃん」と呼ばれているアーティストミュージシャンで、昼間は別の仕事もしています。アーティスト・ミュージシャンとしてはメジャーとインディーズを行き来しつつかれこれ20枚のアルバムに関与しています。ギタリストボーカリストで、作曲作詞編曲録音ミックスマスタリングまで制作全般手掛けています。2022年5月にリーダーバンドACB(K)🔗にてリリースした「シブリングズ(Siblings)」が本エントリー寄稿時点での最新作です。全曲のダイジェスト動画(5分47秒)がありますので置いておきますね。もし良かったら聴いてみてください。

そしてもしこの作品がお気に召したら全国CDショップや通販でお求めいただけますので、「ACB(K)シブリングズ🔗」で検索していただければ幸いです。

なお、「ACB(K)」の読みは「えーしーびーけー」でも「えーしーびーかっこけー」でも「えーしーびーかっこけーかっことじ」でもその成り立ちの元となった「あらんちゃんばんどかっこかり」でもどれでもOKです。

アートは先行作品の引用や組み合わせ+α

ところで、完全オリジナル、つまり何の影響も受けず、誰の引用もせず、先行する作品のいずれにも似ていないアート作品を観たあるいは体験したことはありますか?残念ながらわたしは観たことも体験したこともありません(N=1)。

アート作品の創作は完全オリジナルの創作は滅多に行われず、なにかしらの先人の作品を踏まえて作られると言っても過言ではないでしょう。たとえばどんなものが思い浮かびますか?もちろん、その際にどれほどのオリジナリティが新たな創作に加えられるのかは千差万別ですし、その成否もここでは問いません。

我が国最古の文学作品のひとつ万葉集、あるいは古事記でもそういう関係性が見られます。たとえば

君之行 氣長成奴    
山多都 迎将行
可将

きみがゆき けながくなりぬ
やまたづ むかへゆかむ
また

君が行き日長くなりぬ
山たづ迎へ行かむ
待た

万葉集・2巻85番、磐之媛命(いわのひめのみこと)

岐美賀由岐 氣那賀久那理奴
夜麻多豆 牟加閇由加牟
麻多

きみがゆき けながくなりぬ
やまたづ むかへゆかむ
また

君が行き日長くなりぬ
山たづ迎へ行かむ
待た

古事記・歌謡88、軽大郎女(かるのおほいらつめ)

このふたつの歌の違いはわずか5文字(上記引用にボールド体で示した部分)、それにも関わらず、これらふたつの歌に込められたコンテクストは大幅に異なり、まったくと言っていいほどに異なるエモーションを伝えているのは[江富2003][榎本2004]等で議論されている通りですが、少し深掘ります。

前者は仁徳天皇(にんとくてんのう)の后である磐之媛命(いわのひめのみこと)の作品とされ、後者は衣通姫伝説(そとおりひめでんせつ)の登場人物である衣通姫(そとおりひめ)その人である軽大郎女(かるのおほいらつめ)とされ、いずれも実在に諸説ある古墳時代、「空白の4世紀」と呼ばれる時代の人物です。仁徳天皇磐之媛命の間に生まれのが允恭天皇(いんぎょうてんのう)允恭天皇忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)の間に生まれたのが衣通姫伝説のもうひとりの主人公である木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)忍坂大中姫のいわゆる婚外子として産まれたのが軽大郎女です。つまり、前者の磐之媛命は後者の軽大郎女の義理のおばあちゃんにあたります。

仁徳天皇はとてもエネルギッシュな人物で妃や妾が多かったという言い伝えがあり、正室の磐之媛命ですら会える機会は多くなかったとのこと。そういう関係性から「あなたが行ってしまってから会えない日が続いたけどどうしよう、山を訪ねて会いに行こうか行くまいか」という揺れる乙女心が垣間見えますね。

歌の解釈にはもちろん諸説あります。例えば[吉村2019]にて詳しく述べられているのでここでは省略しますが、この歌についても先人の作品をふまえた作品づくりをしたということです。当時はよく知られたポピュラーなものだったのかもしれませんね。

では、古事記歌謡88番にて軽大郎女の詠った後者についてはどうでしょうか。木梨軽皇子軽大郎女は母親が忍坂大中姫ですが、父親が異なります。このケースでの婚姻は当時タブーとされていて、そのタブーを破って添い遂げようとするのが衣通姫伝説の大まかなプロットです。現代なら間違いなく週刊誌が追ってくる案件で、当時も政界から軍部まで巻き込む大騒ぎになりました。

そんな事情もあり木梨軽皇子は島流しとなりました。島流しにも時代ごとにいろんなバリエーションがあるようですが、有名なのは隠岐や八丈でしょうか。本件つまり衣通姫伝説では、伊予(今の愛媛県)が島流し先となりました。当然ながら軽大郎女木梨軽皇子に会えなくなり「君が行き日長くなりぬ」と詠います。ここまでは義祖母の歌も踏まえつつ状況をまずは述べたのでしょうね。事情はさておき会いたくても会えない日数だけが増えていくのは同じ状況です。そして軽大郎女も「山たづの」と山に登りそうです。そして「待つには待たじ」、つまり「待とうか、いや待ちはしない(会いに行こう)」と力強く締めくくります。

どちらの歌が実際に先に成立したのかは今となってはわかりませんが、先人の残した作品をリスペクトした上で引用し、自らの思想性を付加して作品を作り上げることがこの当時から行われていた、という事です。

「事の語り事も此をば」における引用と+α

冒頭の茶番で「訴訟」を受けているとしたわたしの作品「事の語り事も此をば」(ことのかたりごともこをば)の歌詞全文が下記です。なお、万葉仮名で記したものが正式ですが、あまりに読みにくいので漢字仮名交じり文も併記します。作詞は2016年12月から2017年1月にかけて行い、初演は2017年2月京都の都雅都雅です。

阿米能迦具夜麻斗迦麻迩
佐和多流久毘比佐迦多能
多和夜賀比那袁麻迦牟登波
佐泥牟登波阿礼波意母閉杼

天の香具山鋭喧に
さ渡る鵠ひさかたの
手弱腕を枕かむとは
小寝むとは吾れは思へど

阿良多麻能登斯賀岐布礼婆
阿良多麻能都紀波岐閉由久
宇倍那宇倍那
加流能伊氣能宇良未由伎見流
可母須良尓多麻毛能宇倍尓比等理
比等理那祢佐世曾

あらたまの年が来経れば
あらたまの月は来経行く
うべなうべな
軽の池の浦廻行き廻る
鴨すらに玉藻の上にひとり
ひとりな宿させそ

斯多備袁和志勢志多杼比尓
登布伊毛袁志多那岐尓
阿賀那久伊毛袁那久都麻袁
許存許曽波夜須久波陀布礼

下樋を走せ下とひに
とふ妹を下泣きに
吾が泣く妹を泣く妻を
今夜こそは安く肌触れ

岐美賀由岐氣那賀久那理奴
夜麻多豆能牟加閇袁由加牟
麻都爾波麻多士
那都久佐能阿比泥能波麻能
加岐加比尓阿斯布麻須那
阿加斯弖杼富礼阿賀岐美

君が行き日長くなりぬ
山たづの向会ヘを行かむ
待つには待たじ
夏草のあひねの浜の
蠣貝に足踏ますな
明かして通れ吾が君

宇都夜阿良礼能多志陀志尓
韋泥弖牟能知波宇流波斯
佐泥斯佐泥弖婆加理許母能
美陀礼婆美陀礼佐泥弖婆

打つや霰のたしだしに
率寝てむ後は愛し
小寝し小寝てば刈り薦の
乱れば乱れ小寝てば

本牟岐能余禮流迦多余理尓
岐美尓余理那那古斐都都
許知多久阿理登奴婆多麻能
用流尓志意母布

穂向きの寄れる片寄りに
君に寄りなな恋ひつつ
言痛くありとぬばたまの
夜にし思ふ


許登能加多理其登母許遠婆

事の語り事も此をば

「事の語り事も此をば」
(Words based on Japanese traditional songs date back to 5th century, rearranged and additionally composed by Takako Aramaki, (C)2017)

これはACB(K)のアルバム「Siblings」に収録されている組曲「Siblings」の第2曲「事の語り事も此をば」の歌詞全文です。漢字ばかりですが中国語や他のアジアの言葉ではなく、「万葉仮名」と呼ばれる日本語です。あまりに読みにくいでしょうから漢字かな混じり文を併記しておきました。作詞者は一応わたしで、アルバムのクレジットにも「一応」とみなせる意味のクレジットを書いています。

Words based on Japanese traditional songs date back to 5th century, rearranged and additionally composed by Takako Aramaki

「事の語り事も此をば」(ACB(K) - Siblings, 2022)

どんな楽曲なのかはACB(K)のYouTubeチャンネル🔗にフル尺のMVがありますので、そちらも置いておきますね。もし良かったら聴いてみてください。ロケ地は奈良県橿原市明日香村にまたがる飛鳥時代の藤原京趾にある藤原宮趾です。2021年12月の寒い朝、日の出前の午前5時半ごろから撮影しました。ちなみに画面上のテロップは万葉仮名ですが、字幕をONにすると漢字仮名交じり文または英訳が選べます。

ちなみに、衣通姫伝説は5世紀で場所は泉佐野市のようです🔗。一方で藤原京は7世紀後半で上述の奈良県橿原市と明日香村です。時代も場所もぜんぜん違いますが、そこはツッコミ禁止でお願いします。さらに脱線すると衣通姫の現代風ビジュアルが「広報いずみさの (2023年4月号)🔗」に掲載されています。

本題に戻ります。冒頭の茶番にて「甲が侵害された」と主張する作品、つまり「事の語り事も此をば」にて引用している作品群は下記です。ボールド体部分が引用している部分です。

比佐迦多能 阿米能迦具夜麻 斗迦麻邇 佐和多流久毘 比波煩曾 多和夜賀比那袁 麻迦牟登波 阿礼波須禮杼 佐泥牟登波 阿礼波意母閇杼 那賀祁勢流 意須比能須蘇爾 都紀多知邇祁理
ひさかたの あめのかぐやま とかまに さわたるくび ひはぼそ たわやがひなを まかむとは あれはすれど さねむとは あれはすれど ながきせる おすひのすそに つきたちにけり
久堅の 天の香具山 利喧に さ渡る鵠 脆細 手弱腕を 枕かむとは 吾れはすれど さ寝むとは 吾れは思へど 汝が着せる 襲の裾に 月たちにけり

古事記・歌謡28、倭建命(日本武尊/やまとたけるのみこと)

多迦比迦流 比能美古 夜須美斯志 和賀意富岐美 阿良多麻能 登斯賀岐布禮婆 阿良多麻能 都紀波岐閇由久 宇倍那宇倍那宇倍那 岐美麻知賀多爾 和賀祁勢流 意須比能須蘇爾 都紀多多那牟余
たかひかる ひのみこ やすみしし わがおほきみ あらたまの としがきふれば あらたまの つきがきふる うべなうべなうべな きみまちがたに わがけせる おすひのすそに つきたたなむよ
高光る 日の皇子 安みしし 吾が大王 新まの 年が来経れば 新まの 月が来経る うべなうべなうべな 君待ち難に 吾が着せる 襲の裾に 月立たなせば

古事記・歌謡29、美夜受比売(宮簀媛/みやずひめ)

軽池之 汭廻徃轉留 鴨尚尓 玉藻乃於丹 獨宿名久二
かるのいけの うらみゆきみる かもすらに たまものうへに ひとりねなくに
軽の池の 浦廻徃きみる 鴨すらに 玉藻の上に ひとり宿なくに

万葉集・3巻390番、紀皇女(きのひめみこ)

阿志比紀能 夜麻陀袁豆久理 夜麻陀加美 斯多備袁和志勢 志多杼比尓 和賀登布伊毛袁 志多那岐尓 和賀那久都麻袁 許存許曽波 夜須久波陀布礼
あしひきの やまだをつくり やまだかみ したびをわしせ したどひに わがとふいもを したなきに わがなくつまを こぞこそは やすくはだふれ
あしひきの 山田を作り 山高み 下樋を走せ 下とひに 我がとふ妹を 下泣きに 我が泣く妻を 今夜こそは 安く肌触れ

古事記・歌謡78、軽太子(木梨軽皇子/きなしのかるのみこ)

岐美賀由岐 氣那賀久那理奴 夜麻多豆能 牟加閇袁由加牟 麻都爾波麻多士
きみがゆき けながくなりぬ やまたづの むかへをゆかむ まつにはまたじ
君が行き 日長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ

古事記・歌謡88、軽大郎女(かるのおほいらつめ)

那都久佐能 阿比泥能波麻能 加岐加比尓 阿斯布麻須那 阿加斯弖杼富礼 阿賀岐美
なつくさの あひねのはまの かきかひに あしふますな あかしてとふれ あがきみ
夏草の あひねの浜の 牡蠣貝に 足踏ますな 明かして通れ 吾が君

古事記・歌謡87、軽大郎女(かるのおほいらつめ)

佐佐波尓 宇都夜阿良礼能 多志陀志尓 韋泥弖牟能知波 比登波加由登母 宇流波斯登 佐泥斯佐泥弖婆 加理許母能 美陀礼婆美陀礼 佐泥斯佐泥弖婆
ささはに うつやあられの たしだしに ゐねてむのちは ひとはかゆとも うるはしと さねしさねてば かりこもの みだればみだれ さねしさねてば
笹葉に 打つや霰の たしだしに 率寝てむ後は 人は離ゆとも 愛しさ寝しさ寝てば 刈薦の 乱れば乱れ さ寝しさ寝てば

 古事記・歌謡79、軽太子(木梨軽皇子/きなしのかるのみこ)

秋田之 穂向乃所縁 異所縁 君尓因奈名 事痛有登母
あきのたの ほむきのよれる かたよりに きみによりなな こちたくありとも
秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 君に寄りなな 言痛くありと

万葉集・2巻114番、但馬皇女(たじまのひめみこ)

ちなみに、この作品「事の語り事も此をば」についての話は他にもいろいろあるのですが、今回取り上げなかった軽皇子の歌った歌についての論考は[井ノ口2008][石田2009][井ノ口2014]他にも多くの先行研究例がありますので、そちらをご参照ください。また、上代日本語万葉仮名そのものの話については、情報量が多くなりすぎるのと、特にわたしはそれらについての専門家でもないので今回は割愛します。また、この曲を含む組曲のきっかけとなった古事記に収録の「衣通姫伝説 」についても同様に今回は割愛します。さらにこの「衣通姫伝説」を下敷きにしつつ外挿してわたしが創作した時空を超えた兄妹の物語の全編である組曲「Siblings」についても、情報量が多くなりすぎるため割愛します。そしてさらに「衣通姫伝説」については宝塚歌劇団による作品「月雲の皇子」…(過呼吸)

最後に、過呼吸とならないうちに「一応」の話をします。

もうご覧いただいた段階でお気づきと思いますが、わたしの作品は古事記歌謡作品や万葉集作品を、引用して並べ替えてほんの一部に創作部分(具体的には歌詞全文のボールド体部分がわたしの創作により付け加えた部分です)を加えたものです。編集が主な操作ですが、編集と追加の創作により物語を構築するという思想性をもたらしています。

いかがでしたか?

上代におけるアートの成り立ち例、ACB(K)🔗の楽曲「事の語り事も此をば🔗」の成り立ちについて書き散らかしました。ふだん何気なく鑑賞しているアート作品も、接する時の解像度が少し上がる手助けになったでしょうか。パッと接してその時は分からなくても、後々になってからその成り立ちの基礎になっている部分に先行作品が浮かび上がってくると、それまで細部が分からなかった作品ももう一度楽しめますね。アートは決して難しいものではなく、感じたままでいいんだよ、ということはよく言われることで、まったくその通りです。それでも、ほんの少しの知識や経験を加えて鑑賞する事で楽しみも大きく広がります。この雑文がそういう楽しみ方の一助になれたなら、とても幸せです。いかがでしたか?

そして、結文に代えてこのフレーズを最後に置いておきます。

「事の語り事も此をば」も此をば。(「ことのかたりごともこをば」もこをば)

DISCLAIMER

このエントリーは一介のアーティスト・ミュージシャンによるゆるく楽しいアート周辺散文です。できる限り裏どりをするよう心がけておりますが、不正確な内容が含まれる場合があります。SNS今後のエントリーなどで補足をしていきますので、適宜ご参照ください。

謝辞

この寄稿は「ゆる言語学ラジオ🔗」のサポーター発企画「ゆる言語学ラジオ非公式 Advent Calendar 2023🔗」に参加しています。寄稿のきっかけを作って下さったみんと葉っぱさんはじめ常日頃「ゆる言語学ラジオサポーターコミュニティDiscordサーバー(通称:ゆサD)🔗」で遊んでくださってるみなさまに感謝します。

また、この作品を一緒に作り上げてくれたACB(K)🔗歴代メンバーとゲスト参加してくれたミュージシャンみなさま、お世話になった関係みなさま、応援して下さっているお客様に感謝します。

あと、特に有料エリアに隠す必要性は特にないのですが、もし記事がお気に召したらサポートしてください。[著者名YYYY]をキーにググれば見つかる、という程度の参考文献のリンクとWikipedia記事へのリンクが置いてありますので、本エントリーを読む際の時短や深掘り(時長?)にお役立てください。

参考文献

論文

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614字

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