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413.友達の定義

友達の定義は人それぞれ。そもそも友達ってなんだろう。今まで当たり前のように友達と考えていた人が実は友達じゃない可能性だってある。自分が(もしくは相手が)一方的に友達だと思っているケースも考えられる。

勤務、学校あるいは志などを共にしていて、同等の相手として交わっている人。友人。 参考:Oxford Languages and Google

「同等の相手として交わっている人」がポイント。上の立場の人がいるのもおかしいし、下の立場の人がいるのもおかしい。それは友達ではなく知り合い。同等な立場が大事なのだ。そう考えると、むやみやたらに友達を増やすのも意味が無いし「友達多いぜ(ドヤ)」と言うのもなんか違う気がする。


僕が思う友達の定義は、”ふと存在が気になる人”。頻繁に連絡を取っていなくても「あいつ元気かな、連絡してみようかな」と思えるような人。見返りは特に求めていなくて、素直に自分が話したいなと思う人が友達だと思う。この友達関係に損得は含みたくない。

僕には連絡を取りたいなと思える人がいて、連絡を取ったら元気になれる人がいる。本当にありがたいし大事にしたいなと思う。


2.3年前は活発に色んな活動をしていて、新しく出会っていくことが正義だと思っていた。「俺、交友関係広いぜ(ドヤ)」というように。でも、当時繋がっていた人たちとの関係を考えると、今も連絡を取り合っている人はほとんどいない。SNSで見るくらい。

心から気が許せてこれからも仲良くしたい人は限られている。100人もいるわけがないと思う派。自分の成長に合わせて、その都度自分が無理なく付き合える友達を大事にする方が幸せに繋がる。

たとえSNSで繋がっていて仲良くなったように思えても、SNSがなくなればただの他人。SNSをキッカケにして直接会うとか実際に話をするとか、もう1ステップを越えないと、ただのSNS友達になってしまう。


自分のエネルギーが100だとするなら、エネルギーをどう使うかが重要。「10×10」「25×4」「50×2」「100×1」。1人あたりにどれだけのエネルギーを使うかは人それぞれ。自分が心地よい使い方ができればそれでいい。しかし、なんとなく今と同じようにエネルギーを使うのは違う。改めて自分の気持ちを整理して本当に必要なところに注力できるようにしよう。

友達が多いのが正義でもないし、友達が少ないのが悪でもない。その人自身が幸せに友達付き合いができているならそれでいい。自分の存在を脅かしてきたり、嫌な違和感があったりする人は遠慮なく距離を置いていい。友達との付き合い方を考えてみよう。



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