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388.君はどんな人になりたい?

あなたはどんな人になりたいですか。

小学生の頃からよく聞かれる。その度に僕は何て答えてきただろうか。将来なりたい職業やちょっとカッコいい言葉でまとめるように言ってきたかもしれない。でも、1つだけ共通して言えることがある。

何者かになりたい。

ハッキリとした像はないけれど、何者かになって認められたい。「やっぱあいつすげえや」って思われるような存在になりたい。これまでは何者かになるために生きてきた。


部活の時はみんなと違うポジション(役割)を任されて嬉しかったし、大学に入ってからはイベントを主催したり長期インターンをしたり、常に何者かになりたくて行動してた気がする。常に焦りと不安を抱えながら。noteだってそう。最初は何気なく始めたけど、やっていく中で自分という存在を出せるものだと気付いた時、noteでの発信にハマっていった。

これからも「こんな姿になりたい!」と一直線に走っていくよりも、何者かになるためにその都度やりたいことに手を出してのらりくらりと進んでいくんだろうな。


何者かになろうと思った時、どうしても他の人と比較してしまうかもしれない。自分の立ち位置を知るために。しかし、他の人と比較してロクなことがない。”隣の芝は青く見える”とはよく言ったもので、他の人のことが羨ましくて仕方がなくなってしまう。不思議だ。

周りから見たらAさんは十分すごいのに、Bさんのことを見て落ち込む、羨ましいなと思う。Bさんも同じようにAさんを見て焦りを感じる。自分の状態には満足できない、という人間は不思議な構造になっている。


なんでこんなことを書くかというと、僕自身が色んな人を見て焦ることが多々あるから。SNSでは他の人の動きが知れるし、一緒に仕事をしている人たちの優秀さにビビる。自分は何者かになりたいのになりきれない焦り。

客観的に見て全然焦る必要もないとは分かっているのに、焦ってしまう。余計なことを考えないようにすると余計に考えるし、不安になってしまう。なんなんだこの人間の機能は。


スッと不安や焦りが消えることはないから、これらをエネルギーにして進んでいきたい。たとえペースが遅くなっても。人それぞれフェーズがあって、自分と他の人とは前提条件が違うだけ。

何者かになるために目の前のことを全力でやっていきたい。死ぬまでもがき続けるだろうな。それはそれで自分らしいから良しとしよう。僕は今日も何者かになるために生きようと思う。あなたはどんな人になりたいですか。


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