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479.べき論からの解放

楽しく生きるべき
就職するべき
結婚するべき
子どもを作るべき
勉強するべき

世の中には”べき論”が横行している。世の中だけじゃない。自分の意識の中にも。

いつから「~するべき」という考えに走るようになったのだろう。「~するべき」に追われて、「~したい」という感情が無くなっていく。「~したい」という感情が出てきても、自分の中で誤魔化して生活するようになる。

このままじゃまずい。

色んな人と話をする中で、自分の中にある凝り固まった思考をほぐす必要があると考えさせられた。頭の中では分かっていてもつい流されてしまう。自分が傷つかないように、波風を立てないように。


このnoteだってそう。別に綺麗に書かなくたっていい。自分の好きなように文字を書き連ねればいい。綺麗に、読みやすいように書くべき。この呪縛から放たれた時、文章を書くことが好きになる気がしている。

最初の頃、文章は下手くそだった。その代わり自分が書きたいように書いていた。いつからだろう。何となくそれっぽく綺麗に書くようになったのは。小さくまとまろうとすればするほど、思考がどんどん狭まっていく。

もっと自由に適当に表現してもいい。久しぶりに自分が書きたいように、自分の頭の中をさらけ出している感じ。


やっぱり文章は気持ちがいい。


仕事も同じ。「仕事は楽しまなければいけない。楽しむために自分が創意工夫するべき」。このべき論が自分を苦しめる。別に苦しみながら働いたっていいじゃない。土日を楽しみにして働くのは何が悪いのか。

べきべき言うのはやめよう。何だっていい。適当に生きりゃいいのよ。


僕は生真面目タイプのため、真面目に生きてしまう。もっと適当にいい加減に生きていいのかもしれない。そのためには自分を許すこと。いつも頑張り続けるのはしんどいから。たまには手抜きで生きてもいいと自分に言い聞かせる。


自分の可能性や思考を狭める、べき論から解放してあげたい。誰が決めたんだろう。誰かに言われたわけでもない。勝手に自分で作り上げている虚像。自分を縛っていないか、定期的に見直してぶち壊していかないといけない。


久しぶりに自分の感情をnoteにぶつけて、めちゃくちゃ気持ちがいい。ドーパミンがドバドバ出てくる。これこれ。誰かの人生を生きているのではない。自分の人生を生きる。そのためのnote。書き殴ったって誰も怒ってくるわけではないもんね。

綺麗に言葉を紡ぎ出すよりも、自分の感情をありのままに出す方が自分には向いているし楽しい。久しぶりの感覚を思い出して元気が出た。また明日からも頑張ろうと思う。


べき論から解放された上で。




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