みんなのことが羨ましい
SNSを開けば輝かしい姿がある。成果を出しましただの、これだけ稼ぎましただの、遊びに行きましただの、充実した一部分を目にする。
日常を切り取られた一部分でしかない、と分かっていても羨ましいなと感じてしまう。「自分なんて」と思うことだってある。
自分だって周りから見たら羨ましいと思われているはずなのに、他人と自分を比較して劣等感を覚えたり羨ましいと思ったりするんだろう。
自分にないものを持っている人を見た時、猛烈に羨ましいと思ってしまう。僕の場合、年齢が近い人は尚更。比較がしやすいから。「自分と年齢が近いのに、こんなにすごいんだ」と思うことが多々ある。
それなのに、自分は「成長!成長!」というタイプではないから難しい。
感情が振り回されるくらいならSNSをやらなきゃいいじゃん、という極論もあるが、実際のところはそう簡単にはいかない。
情報発信もしていかないといけないし、情報を取りにいかないといけない。
排除するよりも、向き合い方を考えるのが賢明である。
これだけ情報が溢れている以上、他人の情報が入ってくるのは自然なこと。その中でどう対処するか。羨ましいという感情が悪いわけではない。自分を狂わさないように、卑下しないようにするにはどうすれば良いか、を考えないと。
周りから見るとすごいハッピーそうに見える人でも、めちゃくちゃ悩んでいることもある。感情をあまり表に出さないようなタイプの人が人生を謳歌していることもある。
SNSの姿は虚像かもしれない。
実際に会ってみると大したことなかった人もいた。SNSでは強気に振る舞っていても実物はシャイな人だっている。
最近よく考えるのが”自分にとっての幸せはなんだろう”ということ。僕にとって心地よい生き方はなんだろう。何を持って幸せだと感じるんだろう。
自分の中に明確な幸せの定義があれば、周りに振り回されることも少なくなると思う。SNSでキラキラした姿を載せていようと、「へえ~」で終わる。
興味がある、興味がない、羨ましい、別に羨ましくはない、楽しそう、自分にとってはイマイチ。
1つ1つの感情を分解していくと、自分が大事にしているものが見えてくるはず。分解して見えてきた”自分が大事にしたい価値観”を軸に生きていけば、情報過多であるこの時代でも生きていける。
人にとっての幸せと自分にとっての幸せは違う。
学校で教えてくれれば良かったのに。みんなが同じ幸せに向かっていけるわけないじゃないか。教育について書こうとすると長くなりそうだから、この辺で。
自分の幸せの定義を決めることから始めたい。
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