自己分析の苦しみを味わった先にあるもの
自分のことって、理解しているようで理解しきれていないことがほとんど。後から振り返った時に「あの時行動したのは〇〇な理由から」と言ったとしても、本当かどうかなんて分からない。
就活をするタイミングで、徹底的に自己分析をしたつもり。自分の強みや弱み、得意なことなどを深掘りしたし、面接では的確に話せたと思う。
就活から数年後。社会人となった僕は今でも自己分析と対峙している。自分は何者なのか?自分の強みは?今後どうしたいのか?「向き合う」と言葉にするのは簡単だが、真の意味で向き合おうとするとかなりしんどい。
自分の強みや長所が見えてくると同時に、弱い部分や向き合いたくない部分がはっきりと出てきてしまう。「自己分析なんてしなければ、出てこなかったのに」と本人たちは言っているかもしれない。
ある経営者の方が話していた言葉。ここにも自己分析が関係してくる。
「儲かりそう」という観点だけで始めた事業は上手くいかないとすぐに挫折してしまう。一方、自分の中で腑に落ちていて「自分はこの事業をするんだ」と理解できていれば、根気強く続けれる可能性が高い。
これは事業者に限った話ではないと思う。会社で働く人でも「働く理由」が整理できていないと、根気強く働くのは厳しくなってしまう。
結局、何歳になっても「自分はどんな人間か」と、自己分析が必要になってくるらしい。
また、他人を理解するためには自己分析が必要。自分を理解できるから、他人の特性を理解できるし、受け入れようとする。
「あの人に相談してみよう」となるのは、自己理解が進んでいて、他人を受け入れられる余白がある人。自分と向き合う苦しさを経験したから、他人の苦しさにも触れられる。
自己分析や自己理解を行う過程は苦しい。人によっては涙することもあるかもしれない。でも、日常を生きやすくするためにはきっと自己分析が必要になる。
強みや弱みだけでなく、日頃の行動分析から。ペンを持って考えなくとも「なんで自分はこの行動をとったんだろう」と考えることを習慣にしていけば、自分を理解できるヒントが見つかるかもしれない。
苦しみの先にある光を求めて、自己分析を続けていきたい。
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