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キザなキャラにもなりきれる

道を渡ろうとしている時などに、
車が止まって待ってくれてたりする場合、
日本では軽く会釈して、
やや小走りで駆け抜けることが多い。

だがアメリカにいた頃は
郷に入っては郷に従えで、
周りのアメリカ人に倣い、
片手を挙げて運転手にお礼の合図をしていた。
そして歩く時も小走りではなく、
スキップに近い駆け抜け方をしていた。

もちろん最初からそうしていたわけではない。
“片手を挙げて合図”というのが、
何となくキザっぽく感じて、
やはり最初はテレがあった。
手を挙げかけてはテレたりして、
中途半端に挙げた手を引っ込めて、
結局は会釈をしながら駆け抜けたりして…。

しかしアメリカで知り合いになった
日本人と歩いている時、まったく普通に、
この片手挙げ合図をしているのを
目の当たりにして、
いよいよ私もやらなきゃ…という焦りが出てきた。

そしてようやく普通に片手を挙げて、
キザっぽく合図をしながら、
タッタッタ…と軽い足取りで
道を渡ることに成功し、
アメリカ式をマスターできた。
1度やってしまえば慣れてしまい、
最後の方は、訳知り顔で微笑みながら
手を挙げたりもしていた。

このように住む場所が変われば、態度も変わる。
英語を話す時は人格が変わる でも書いたが、
自然とその国の背景に
合わせているような感じだ。
アメリカ人ぶっているわけではなく、
周りの雰囲気に合わせているだけなのだと思う。

こうして他の国での経験が増えると、
いろいろな人格が増えていくが、
分裂するようなことはなく、
自動的に切り替わるので不思議だ。

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